第18話 甘露ノ蜜愛(かんろのみつあい)1

空が、ゆるやかに白み始めていた。


天幕の外にわずかに差し込む光が、布の内側に淡い朝を告げている。


その気配を感じて、イズナは寝返りを打ち、そっと身を起こそうとした。


そのときだった――


隣に寝そべるナギの指が、静かに、だが確かに彼の手首をとらえた。


「……寂しゅうございます」


囁くような声だった。


だが、それは甘さと名残を帯びて、男の胸にじんわりと沁み渡った。


イズナは一瞬だけ迷ったように目を伏せ、帳の向こうに見えはじめた朝の光を眺めた。


しかし、次の瞬間には、再びその身をナギの隣に沈めていた。


布の下には、まだ互いのぬくもりが生々しく残っている。


そのぬくもりの中で、イズナはそっと腕を回し、ナギを抱き寄せた。


ナギは、抵抗することなく、静かにその胸に顔を埋めた。


まぶたを閉じ、吐息を整えながら、心の奥でひとつ、確信を深めていた。


この男は、もう――

私の声ひとつで、心を翻す。


その朝もまた、カムナ国の朝議は、わずかに遅れて始まった。



それからというもの、イズナがナギのもとに通う頻度は、目に見えて増していった。


最初こそ、夜更けに忍ぶように訪れていた男は、やがて昼の隙にも姿を見せるようになり、ついには朝議の始まる前――まだ朝露の残る刻にすら、彼女の寝所に顔をのぞかせるようになっていた。


その変化は、宮中に静かに波紋を広げていく。


正殿奥の一間。


午後の陽射しが几帳の布をやわらかく透かす中、侍女たちが緋色の影の内でそっと顔を寄せ合っていた。


「……この間など、廊下の途中で急にナギ様をお抱きになったとか……」


「わたくし、見てしまいましたの。ナギ様の上衣の胸元に、オオキミ様のお手が……」


扇の陰で、女たちは一斉に頬を染める。

ひとりが声を潜めて付け加えた。


「それも……昼間ですのよ。夜でもないのに、まるで――」


その先を言いかけた瞬間、年長の侍女がぴたりと視線を向ける。


その鋭さに、言葉の続きを呑み込むように、若い侍女は口をつぐんだ。


だが、すでに部屋の空気には、甘やかな熱がこもっていた。


その熱は、まるで春の陽射しのようにじわじわと、だが確実に、宮中の隅々にまで染み込んでいく。


誰もが知っていた。


いまや、あの女は、ただのお飾りオオキサキではない。


男を虜にし、その胸に火を灯しつづける――蜜のような女となったのだ。




昼下がりの光が、御簾の内側に淡く差し込んでいた。


書案に向かうナギは、墨を筆先に含ませながら、ゆるやかに文を綴っていた。


その所作は優雅で、静けさに満ちていたが――空気には、なにか張り詰めた気配が漂っていた。


不意に、襖が音もなく開く。


濃紫の直衣をまとった男の影が、まるで香の煙のように静かに忍び寄る。


「……オオキミ様」


ナギが声をかけるより早く、イズナはその腕を彼女の腰にまわしていた。


「ここでは……皆が控えておりまする」


その囁きは抗いではなく、甘い戸惑い。


むしろ、悦びを含ませた響きが男の耳をくすぐった。


「かまわぬ」


イズナの手は、すでに胸元に滑り込もうとしていた。


だが、ナギは自らの指先をそっと添え、その動きをゆるやかに制した。


「オオキミ……」


唇を、彼の耳元に近づける。


吐息混じりの声が、男の耳殻を濡らした。


「わたくしも……身体が火照っておりますが……どうか、夜までお待ちを。夜には、たんと――それまで、どうか……」


その一言に、イズナの動きが止まる。

抗うことなど、もはや思いつきもしない。


ナギの声、肌、匂い、息づかい。


それらすべてが、男の理性を薄皮一枚で包み込んでいた。


イズナは何も言わず、ただナギの唇に軽く口づけを落とすと、名残惜しげに身を引いた。


几帳の外では、控えていた侍女たちが、頬を染めながら静かに目を伏せていた。


だが、その唇には、もはや驚きよりも、ほのかな微笑が浮かんでいた。


誰もが悟っていた――


この女こそが、今この宮廷を動かしている。



その夜も、陽が沈むと早々に灯りがともされた。

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