第15話 ホトハ記2

夜具の中、ふたりは静かに絡まり、重ね合う音だけが闇を満たしていった。


変わったのは、ホトハだけではなかった。


隣室に身を置く姑の心もまた、じわじわと、音もなく蝕まれていた。


もともと、イエを継げる子を成せなかったことに、深い負い目を抱いていた女だった。


その胸に巣くっていた影は、夜ごとに膨らんでいく。


――ああ……舅さま……ああ……


板壁越しに聞こえてくる嬌声。


女のうめきとも、悦びともつかぬその声は、耳をふさいでも、なぜか心の奥に入り込んでくる。


本当に聞こえていたのか。

それとも、すでに幻なのか――。


現実と妄想の境が曖昧になり始めた頃には、姑の目には、もう生気がなかった。


微笑んでも、そこには魂がなく、まるで薄絹の奥から、誰かが覗いているような、そんな空虚な眼差しだった。


ホトハに向けられる視線は、憎しみでも、怒りでもなかった。


ただ――

静かで、冷たい、底知れぬものだった。



ある晩のことだった。


舅の寝所へ向かおうとしたホトハを、呼び止めた。


「……今夜は、あんたの好きな魚の煮つけだよ。たんと、おあがり」


姑の声は、いつになく柔らかだった。


あまりに自然で、あまりに穏やかで――


それが、かえってホトハの胸に小さな波紋を残した。


「……ありがとうございます」


微笑みながら箸をとり、煮汁のしみた一切れを口に運ぶ。


けれど、舌に触れた途端、それは異様な熱をともなって喉を滑った。


脈が、にわかに早鐘のように打ち始める。


視界が揺れ、手元がぶれる。


箸が、ぽとりと板床の上に落ちた。


鳩尾が焼け、喉からぬるりとしたものが口に溢れた。


それが床を真っ赤に染める。


「……っ、……?」


その瞬間、ふと視線を感じてそちらを見ると――


わずかに開いた戸口から、姑の目がこちらを見つめていた。


光を失い、感情を脱ぎ捨てたようなその眼差しには、怒りも、憎しみもなかった。


ただ、ひとつ。


――冷たい、決意。


氷よりも冷たく、岩よりも動かぬ意志が、そこに宿っていた。


赤く染まった床に倒れ込み、見開かれたホトハの双眸から、涙が一筋つたい、床の赤と混ざり合った。


翌朝。


村の空気は、どこかひんやりと澱んでいた。


早春の風に吹かれながら、人々の口の端に上ったのは――


「ホトハさん、急な病でね……倒れてそのまま息を引き取ったそうだよ」


その知らせは、どこか遠い出来事のように、静かに村中に広がっていった。


誰も深く詮索はしなかった。


舅も、姑も、何ひとつ語らなかった。


女は、ただ静かにこの世を去った――そういうことにされた。

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