焔ノ乙女〜紅に染まりて〜

武蔵ペンテン

第1章:焔ノ夜祭

第1話 火宴始舞(かえんしまい)1

山の端に沈んだ陽が、闇を連れてきてから、どれほどの時が過ぎただろうか。

夜の山裾に、焚き火の赤が揺れていた。


 それは単なる灯ではなかった。

 夜気を裂くようにして噴き上がった炎は、まるでこの地を見下ろす神が、息を吐いたかのように、天へと舞い上がる。

 風が吹けばしなり、また穏やかな呼吸に戻ってゆく。まるで火そのものが、生きもののように息づいているようであった。


 村の広場に満ちた人々の輪。その中心で、太鼓の音が、鋼を打つように空気を震わせた。

 その振動が、皮膚を伝って、骨の奥へと染み込んでいく。


 火の周囲では、巫女たちが激しく舞っていた。


 露わな肌を、全身に這う刺青が縁取っていた。

 額にも、頬にも、うなじにも。

 細く長い文様が、肌の上で炎に照らされ、赤と黒を交えて蠢いているようだった。

 爪先に至るまで、隙間なく刻まれたその文様は、艶やかで、どこか妖しげな熱をはらんでいた。


 それは、神に仕える女たちの、厳粛にして、淫靡な舞――。


 ナギは、声もなくその光景を見つめていた。


 ただの火ではない。

 ただの踊りでもない。

 この地に流れる何か、原初の気配のようなものが、炎とともにそこにあった。


 頬をなでる熱気に、思わず指先が震える。

 知らず、胸の奥が高鳴っていた。


「ナギ、始まったわよ」


 後ろから、そっと肩にかけられた声に、ナギは振り向いた。

 そこに立っていたのは、村の先輩乙女――シグリだった。


 艶やかに結い上げた髪からのぞく白いうなじ。まっすぐに伸びた背。

 ほんの少し前まで、川辺で水を掛け合っていた彼女とは、まるで別人のように思えた。


「シグリ……」

「緊張してるのね」

 彼女はふふっと笑って、ナギの手を握った。

「最初は、みんなそうだったのよ。あたしも、初めての夜は震えてばかりだったわ」


 その言葉には、優しさと、どこか遠くを見つめるような達観が混じっていた。

「ホトハは、絶対来年こそはって言ってたわ」

 ナギの友人ホトハは、月のものの為、参加出来なかった。

 シグリは、今年で三度目のウタガキなのだという。


 ――年に一度。神へと捧げられる、交わりの夜。

 この祭を経て、乙女たちは“誰かのもの”になってゆく。

 ナギは、そっと唇を噛んだ。


 巫女たちの舞で、夜はますます熱を帯びる。

 火のはぜる音だけが、夜を裂いて響いていた。


 そのなかに、一組の夫婦が進み出る。

 村でも名のある、睦まじい夫婦であった。


 男の肩には狩りと労働の年輪が刻まれ、女は細やかな所作で衣の裾をさばき、夫と歩幅を合わせるように火のそばへ進む。

 二人の影が炎に重なった。


 やがて、膝をつき、男が女の肩に手を置く。

 女もまた、それに応じるように、そっと身を傾ける。


 ──火の粉が、空にちらちらと舞った。


 次の瞬間、二人はゆっくりと衣を脱いだ。


 炎の赤が、肌の白に移ってゆく。

 男の腕が、女の腰を抱き、静かに横たわる。

 交わりは始まり、やがて、ひとつの呼吸となってゆく。

 太鼓が、ふたたび鳴り響く。

 その音に煽られるように、次々と男女が寄り添い、衣を解き、火のそばで身を重ねていく。


 ──焚き火のそば、男女が寄り添い、衣を脱いで交わる姿が、次第に増えてゆく。


 火のゆらめきに照らされた肌が艶めき、うっすらと汗を帯びた背中や腿が、熱に浮かされたように動いていた。

 それらの合間を縫うようにして、静かに進み出る一人の男の影があった。


 白髪混じりの長老が、舞い続ける巫女のもとへと近づいていく。

 その女巫女は、焚き火の傍らで一人、うなじにまで達する刺青の上に、汗が玉のように浮かんでいた。


 長老の手が、巫女の肌を捉える。しかし、彼女は逃げなかった。

 視線を逸らすこともなく、ただされるがままになっていた。


 次の瞬間、長老の手が、女の肩へと滑り落ちた。


 巫女は目を伏せたまま、抗うこともせず、その手に身を預けた。

 やがて、焔の際へと導かれるままに、地に膝をつく。


 ──これは、神事。


 けれど、そこには祈りも、信仰もなかった。

 ただ、習わしとして刻まれた、無言の義務があるだけ。


 長老の手が、女の胸元をはだけさせ、黒と朱の刺青のあいだから覗く白肌に、舌を這わせる。

 巫女の喉が、かすかに震える。

 だが、それは快楽の震えではなく、心を殺した者だけが見せる沈黙の反応だった。


 腰を押しつけるようにして、長老が女の身体の上に覆いかぶさる。

 女の脚が、開かれる。

 まるで誰かに命じられたかのように、ゆっくりと。


 焔の向こうでは、太鼓が鳴り続けている。


 巫女の頬を汗が伝い、瞼の奥には何も映っていなかった。

 ただ静かに、ただ無言で、その行為に身を晒していた。


 ──異様な光景。


 だが、村ではそれも“日常”だった。


 誰も驚かず、誰も止めず、誰も悲しまない。


 その夜、神の名のもとに、いくつもの命が無言のまま重なっていた。


 火に照らされた肌と肌が、焔の下で淫靡にうごめき合う。

 誰もが、それを当たり前のこととして受け入れていた。


 ナギは、衣の襟を指先で握りしめた。


 ──あれが、自分にも訪れるのだ。

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