第3話
学校から二駅離れたマンション。手狭なワンルームが俺の家だ。
もちろんここが実家というわけではない。去年から家族が仕事の都合で引っ越してしまったので、既に高校に受かっていた俺はこのマンションに住むことを許されたのである。
高校生にして一人暮らしという誰もが羨む環境ではあるが、実際にやってみればそれなりにめんどくさいことも多い。
炊事洗濯は当然のように、定期的な買い出しも地味に面倒くさい。郵便受けを確認したりだとかもうっかり忘れてたら困ったことになったりする。
一人暮らしを始めたての頃はかえって家族のありがたみを思い知らされたものだ。
まあ、一人暮らしを始めて一年経った今ではそこあたりも随分と慣れたのだが。
「今日の野菜炒めはうまかったな」
こうしてたまに自分じゃない人が作ってくれた食事を食べるとグッとメンタルが回復する気がする。作ってくれた『姉さん』には感謝の念が堪えない。
洗い物を終えて、手早くシャワーを浴びると、ちゃちゃっと洗濯を回してしまう。親が買ってくれたこいつは乾燥機まで内蔵されているから楽なものだ。
「……暇だな。ゲームでもするか」
普段ならこの時間は軽くその日の宿題でもやる所なのだが、今日は食事前の暇な時間に片づけてしまった。
なので、友だちに借りていたゼルダの伝説を続きを進めることにする。前回やったときは作った自分の車に弾き飛ばされて爆弾に突っ込んで死んだところで終わってしまっていた。
友人には「あとで誰が推しだったか語ろう」と言われて貸し与えられたので、とりあえずシナリオを進めなくては。
ぽちぽちと前回の続きを進めていると、不意に窓からこんこんと音がした。まるで、外側から「入ってもいいかな」とノックされているかのように。
「……そっちかよ」
ぼりぼりと頭をかくと、鍵を外して窓を滑らせて開けると、さっと影が差した。
「やほ。こんばんは」
空に浮かぶ真白の月に照らされて、これまた真白の翼をはためかせる天使。
闇の黒の中にあってもその翼と白金の髪はしっかりと己の存在を示し、瞳の中の夕日を際立たせる。
天使ユウヒ、彼女は地面もない5階の俺の部屋に、空を飛んで訪れた。
その姿があまりにも不可思議で、非現実的で、それでいて、とても綺麗だったものだから、思わず少しだけ見惚れてしまった。
「? どしたの?」
ぱたぱたと翼を羽ばたかせながら天使さんが小さく首を傾げた。
「……いや、ほんとに来たんだなって」
俺は目線を外すと、誤魔化すように咳ばらいをして、それだけを絞り出した。
正直、今の光景を脳から追い出すのには、それで精いっぱいだった。
「夜詳しい話するために会いに行くって言っておいたよね? 疑ってたの?」
「まあ、少し」
「まったく。キミは僕のかわいい子羊だよ? キミが困るようなことはしません」
「ならドアから来てほしかったところだな」
「え~、やだよ。だって疲れるじゃん。翼で飛べば一瞬なのにさ~」
「このかわいい子羊はそれを毎日やってるんだが?」
「へー、人間って大変だねぇ」
気のない相槌を打った天使さんは、靴を脱いでそのままぴょんっと部屋に入ってくる。
「へー、けっこうきれいにしてるんだね。うむうむ、えらいぞ~」
彼女は俺の部屋を見渡すと、深く頷きつつ壁際の俺のベッドにぽすんと腰かけた。
なんか、すごいナチュラルに俺のベッドに座ったな……。
「あ、ゼルダ。やってるんだ」
「知ってるのか?」
「まーね。商店街のお店のポップに『今年一番のヒット!』って書いてあったし。……お、おもしろい?」
「まあ、割と。俺はあんまりこういうの得意じゃないからあんまり進んでないけど」
「ふ、ふーん」
俺が軽く操作してみせると、天使さんが「わー……」と口を開けて画面をじーっと見つめる。画面の中のキャラクターの一挙一動に、うずうずと手も動かしている。
「あ、その武器そうやって使うんだ。わわ、本当に自由度高いんだね……そっか、そっかー……」
そわそわと身体を動かし、目をきらきらと輝かせているのは、どこか小さい子どもっぽい。
「……やる?」
「いいのっ!?」
天使さんは反射的に目を輝かせたが、ハッとしたように咳払いをしてそっぽを向いた。
「こ、こほん。言ったでしょ、僕はキミにこれからの啓示をしに……来たん……だって……」
俺が動かしているキャラクターがNPCに話しかけてイベントムービーが始まると、天使さんの視線がすすすっと滑っていく。
「やりたいなら素直にそう言えばいいのに」
「はあ? 僕は天使だからそんな人間の娯楽なんかに負けないんだが? なめないでくれない?」
すごい負けそう。
「ま、まあ? そ、その後にキミがどうしてもゲームをしてほしいって言うなら、僕もちょっとやってあげるのもやぶさかじゃないけど?」
訂正。こいつもう負けてるな。
これ以上ゲームをつけてると話が進まなさそうなのでいったんモニターの電源を消しておく。
ぽちっと。
「あっ」
「それで、天使さんはこんな時間に俺に何を説明しに来てくれたんだ?」
「あ、こ、こほん。そ、そう。僕の話をちゃんと聞く体制を整えたんだね。えらいぞ、うん。えらい」
そういう割にはゲーム画面が消えたころに少し名残惜しそうに唇を尖らせる天使さん。
彼女は「あつい」と言ってブレザーの上着を脱いでワイシャツ姿になると、俺のベッドの上で胡坐をかいた。
俺は地べたに座っていたからスカートの奥が見えそうになったので、座る角度を変えておく。警戒心がないなぁ。
「どこから話したものかなぁ。キミ、運命ってどういうものだと認識してる?」
「どういうものって……生まれつき決まっている、どう死ぬかって道筋……みたいな?」
「まー、悪くない理解だね。天使ポイントを1与えましょう」
にしし、と天使さんが目を細めた。
「全ての人間には運命がある。けどそれは絶対に変えられないってわけじゃなくて、ある程度キミたち人間の努力で形を変えることもできるんだよね」
「へー。それは救いがある話だな」
「でしょ? いつだってこの世界はキミたち人間に可能性が残されてるんだから」
「なんか嬉しそうだな」
「嬉しいよ。僕はキミたち人間が頑張るのを見るのが大好きだから。そんなキミたちが頑張っただけ報われるって、世界の形も大好きなんだよ」
大好き、なんて言葉を恥ずかしがらずに天使さんは口にして、そしてまた嬉しそうに笑った。
「でもね、たまーに意図せず『自分の力じゃ変えられない不幸な運命』を急に与えられる子がいるんだよね」
「不幸な運命」
「世界の修正力って言えばいいのかな。世界にはたくさんの人間が生きているからね。どっか別のところでできたしわ寄せで、理由なく一人の人間に不幸が押し付けられちゃうんだ」
「それが俺だと?」
「そ」
それは、なんというか……。
「俺、もしかしてめちゃくちゃ運が悪い?」
「うん。キミ、ちょー運が悪いよ」
そうかぁ。俺運が悪いのかあ。
それで一か月後に死ぬ運命を押し付けられたのかぁ。
もうちょっとこう、「どこからでも切れます」の袋がまったく切れないくらいの不幸くらいにしておいて欲しかった。
「でも落ち込まないで! この最新世代型天使の僕が来たからにはもう大丈夫! キミの運命、変える手伝いをしてあげるから!」
「最新世代型?」
「そそ。信仰者の祈りに応えて形を成すのが天使である以上、戦いの天使同様、預言の天使同様、『オタク趣味を分かち合える距離感の近い女友達が欲しい』という祈りにも応えて生まれたのが僕ら最新世代天使なんだよ」
「なんてろくでもない祈りだ」
「またまた~、実は嬉しいくせに~」
「ちなみに俺より前に誰かを助けたことあるのか?」
「安心しなよ。キミが記念すべき僕の初めての子羊だからさ!」
そう言って天使さんはベッドの上で立ち上がると、びしっと俺を指さした。
その拍子にふわっとスカートが空気に持ち上げられて危うい感じの動きをしたので、俺はまた目線を外すしかなかった。
「不安だなぁ」
「なにおう! 僕の何が不満なんだよお!」
「自分のスカートの防御にも気を配れるようになったらもう少し俺の運命を任せたい気持ちになるかな」
スカート?と天使さんが眉を寄せてしばらく考え込む。だが、数秒して俺の言ったことを理解すると、ばっと勢いよく自分のスカートを抑えた。
「見たの!?」
「残念ながら幽霊は見たことがない。一度くらい見てみたいんだがな、残念だ」
「そうじゃなくてもっと素晴らしいものが見えたか質問してるの!」
「アンパンマンとか?」
「だいぶかわいくなったね!?」
「まさか、5000兆円……?」
「少なくともそういう欲望を持っている人の前にアンパンマンは来てくれないんじゃないかな」
半目で俺を見つめながら、天使さんはため息をついた。
そして「もういーよ。見てなさそうだし」と呟いて、ベッドに座り直した。
「で、運命を変えるって天使さんは簡単に言うけど、具体的に何したらいいんだ?」
「そう難しくないよ」
俺がそう尋ねると、天使さんはよくぞと聞いてくれましたとばかりに翼をぱたぱたと動かした。
「『あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。』……『マタイの福音書』より」
天使さんは朗々と語り俺にふ、と微笑んだ。
「我らが主は例えそれが死の間際である人でも見捨てることなどなさいません。必ず、その人が救われるように道を作ってくださります」
そう言って俺のベッドからぴょんっと降りる。
一歩、二歩、三歩。俺に歩み寄るととん、と胸を人差し指でつついた。
「篝幸太郎くん、汝、善行を行いなさい。さすれば、貴方の望む道が開けるでしょう」
善行……?
「ま、簡単に言うと『人助け』だね」
わかりやすいでしょ、と天使さんが小さくウインクした。
「どんな小さいことでもいいんだよ。肝心なのは人間として正しいことをすること。そうすることで、キミの運命はより良い方向に変わっていく」
「より良い方向に」
「具体的に言うと寿命が延びます」
「わかりやすいなぁ」
人助け。人助けなあ。
「簡単に言うけど、そうそう人助け、善行なんてできるものかな」
「そこは僕がサポートしてあげる。僕、近くの困ってる人の声が聞こえるから、普通に放課後にうろうろしてるだけでも善行のきっかけがつかめると思うよ。とりあえず明日の放課後から……うん? どーかしたの?」
「ああ、いや、その……」
ぼんやり考えごとをしていたら、天使さんがそれに気づいたのかこてんと小首をかしげた。
俺は頭をかきつつ、少し思ったことを口にした。
「天使さんはなんで俺を助けてくれるんだろう、って」
「どゆこと?」
「いや、天使さんは俺に死の運命を伝えに来たんだろう? なのに、俺の寿命を伸ばすための手伝いをするというのは……」
「矛盾してるって?」
まあ、そういうことだ。
「俺としては、どんな理由があって天使さんが助けてくれるのかわからないというか」
「キミがそれを望んだから。僕もキミがもっと生きるべきだって思ったから」
即答か。迷いがない答えだったな。真面目な顔だし。
「生きるべきって、何を根拠にそう思ったんだよ。俺なんか大した人間じゃないぞ」
「そんなことないよ。だって、キミ、僕の正体を言いふらさなかったでしょ?」
それ、だけ?
いや、それは天使さんを気遣ったって言うよりは、他の人に行っても仕方ないと思ったというか。そんなこと言いふらしてどうするんだって思ったていうか。
「いやいやなんかもごもご言いたそうだけど、ふつー転校生の背中に翼が見えたら他の人に言いたくなるでしょ。でも、キミは一週間近く誰にも言わず、なんなら僕にもバレないようにしてたでしょ?」
確かに言いふらしはしなかった。でも俺がやったのはそれだけだ。
こんなの誰にでもできることだ。それを理由に「キミはもっと生きていてもいい」と言われても、なんだか過大な評価を受けているような気がしてくる。
「天使さんは勘違いしてる。俺はそこまで上等なやつじゃないよ。このくらい誰にでもできることだ」
「ううん、勘違いじゃないよ。キミは良い人間だよ」
俺が何を言っても、天使さんは揺らがない。ただ柔らかな表情で、俺をよい人だと断言する。
「誰にでもできることを当たり前にするってすごいことだよ。それができるって、めちゃくちゃかっこいいじゃん」
「……そっか」
そして天使さんは微笑んだ。
誰にでもできることだから価値がないのではなく。誰にでもできることをするから価値があるのだと。
それはきっと無償の愛。人間ではないからこそ、人間の全てを受け入れる『天使』の視点。
彼女は俺とは違うからこそ、俺のことを肯定してくれた。
これが『天使』っていう存在……うん? なんか天使さんが、もじもじしてる。
「で、でだよ。話も割とひと段落したし、そ、そろそろその、ゼルダやってみたいなー……とか」
……。
「……天使さん用のセーブデータ作ってあげるよ」
「やたっ」
うーん、俺の運命をこの天使に託してもいいのかな。
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