第3話「消えた辺境」

「ようこそ、ハヤト殿!」


 障子があしらわれた襖が開くと、黄金の髪を風に揺らし、褐色の肌を薄布一枚で包んだ美女が現れた。女王キール=インスぺリアル。


 宝石がちりばめられた腰紐が揺れるたび、豊満な体が目を引く。山エルフの正装だが、その布には異世界の紋様が刺繍され、祖父デューイが語った「向こうの織物」に似ていた。俺たちに礼を尽くしてくれているのだが、たわわな果実が今にもあふれそうでひやひやする。


「お兄様っ!」

「痛っ!」


 セリスが頬を膨らませ、鋭い碧眼で睨みながら俺の腕をつねった。


「いやらしい!」

「俺は何もしてないぞ」

「何言ってんすか。ハヤト様、男のチラ見は女のガン見っす」

「お兄様、やっぱり……」

「こらモルト、余計なこと言うな!」


 セリスが虫を見るような視線を向けてくる。モルトの軽口が火に油を注いだようだ。勘弁を。


 そんな俺たちを気にせず、キールは満面の笑みで俺の腕を取った。

 ふにゅっとした柔らかな感触に内心一瞬たじろいたことはセリスには内緒だ。そんな俺の狼狽などお構いなしに、キールは屈託のない笑顔を浮かべた。


「ハヤト殿は心強い護衛をお連れじゃ。セリス殿、五年ぶりじゃな」

「ご無沙汰しております、キール様」


 セリスが近衛騎士の礼を取ると、キールは女王らしく鷹揚に頷いた。


「さあ、こちらへ。五年ぶりの再会じゃ。それにしてもハヤト殿は逞しくなられたのう」

「キール様こそ、お美しさが変わりませんね」

「いつの間に女たらしになられたのじゃ。わらわも本気にしてしまうぞ」

「コホン!」


 セリスの咳払いに殺気を感じ、俺は慌てて腕を引き抜いた。最近、義妹が妙に怖い気がするのは気のせいだろうか。


「さあさあ、実家だと思ってくつろいでくれい。宴の準備は整っておるぞ」


 テーブルには黒蜜で照り輝く鹿肉、ワイバーンの肝が入ったサツマ揚げ、イモの蒸留酒で仕込まれた蜜酒が並ぶ。

 異世界の香辛料が効いた豪快な料理に、セリスが碧眼を丸くし、モルトは蜜酒に尻尾を振る。俺は祖父が作った似た味を思い出し、懐かしさに杯を重ねた。


「おや、ハヤト殿、杯が空じゃぞ」

「もう無理ですよ」

「遠慮するでない。祖父殿に剣と料理を教わったわらわが、今度は恩返しする番じゃ!」


 モルトは蜜酒で酔い潰れ、尻尾をテーブルに垂らして寝息を立てる。セリスは無言で肉を切りつつ、キールをチラチラ睨んでいる。


「それにしても、ハヤト殿。ピニャから聞いたぞ。山賊を一瞬で薙ぎ払った剣技、見事じゃったとな。どれほどの腕か、わらわにも見せてくれぬか?」


 キールが杯を手にニヤリと笑う。場の空気が一変し、セリスが手を止め、モルトが目を覚ました。


「腕試し、ですか?」

「そうじゃ! リューク殿の次元流、わらわも見ておるからの。ハヤト殿なら見事な型を見せてくれると信じておるぞ。辺境では剣技が頼りじゃからの」


 キールが立ち上がり、手招きする。断るのも気まずく、俺は木刀を手に取った。


「では、『一の型』を……。チェストー!」


 木刀を上段に構え、一気に振り下ろす。瞬間、空気が歪んだように杯が空中で静止し、刃がそれを捉えた。

 キールが投げた蜜酒の杯が真っ二つに割れ、中の酒が一滴もこぼれず左右に分かれて落ちる。宴の間に静寂が広がり、キールが目を丸くした。


「おお……これぞ次元流! 時を斬るとはこういうことか! 山賊を仕留めた技、見事じゃ!」

「お兄様、さすがです!」

「かっこいいっす~!」


 キールが感嘆の声を上げ、再び杯を手に持った。


「ハヤト殿、その若さで王国五指に入る辺境伯になられたとは大した出世じゃの」 「いや、そんなことは――」

「謙遜せずともよい。王国に留学したわらわは知っておるぞ。辺境伯は功績なしにはなれぬ地位じゃ。さぞ王都で活躍されたことじゃろう」

「実は――」

「そうじゃ、ものは相談なのじゃが……どこぞにいい殿御はおらんかの? 実は陛下に先立たれてしもうての」


 キールが寂しげにうつむいた。長いまつげが濡れ、杯を持つ手がわずかに震える。


「あの陛下がですか……。存じ上げず失礼しました。亡くなられたのはいつのことでしょう」

「陛下に先立たれてこうかれこれ五年……いや、五日も前じゃ。長い病だったのじゃ」

「五日って、この間じゃないですか!」

「そう言うてくれるな。陛下は最後に『一刻も早く新しい殿御で幸せになれ』と遺言を残された。だが、ご存じのとおりエルフは女ばかり。昨日も貴族の息子らを呼んでみたがの……」


“ダン!”


 キールがエールを一気に飲み干し、空のジョッキをテーブルに叩きつけた。


「若い女ばかりちやほやしおって! わらわのようなお姉さんはどうなるのじゃ。世の殿御はもっと女を平等に評価すべきじゃ! ハヤト殿もそう思われぬかの!」

「はい……。ですがそれはキール様の魅力に釣り合う男がいなかっただけですよ」 「む、やはりそうかの! 確かに一夜の相手ならともかく、伴侶には頼りない連中じゃった。ちなみにわらわは逞しい年上が好みじゃが、最近は年下も悪くないと思うておる……ハヤト殿はどう思われるかの」

「お兄様っ!」

「そ、それより実は、辺境伯就任には事情がありまして――」


 俺は次元流の詳細を伏せ、アウル辺境伯就任の話を始めた。今までは名誉職で赴任義務はなかったが、今回から領主自ら領地を治めることに――。日本茶をすすりながら説明し出すと、テーブルが“ガタガタ”と揺れ、湯飲みが倒れた。


「おのれ、そんな仕打ちを!」


 キールが歯噛みし、体を震わせる。黄金の髪が乱れ、目に怒りが宿る。


「ハヤト殿、アウル領が今、どうなっておるか知っておるか?」

「えっ?」


 セリスと顔を見合わせる中、キールが口を開いた。


「アウルは消滅しておるぞ」

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