遊幻館の寿ぎ

桜舞春音

遊幻館の寿ぎ

「お兄さぁ〜ん、なになに、入社式?いいねぇ〜、晴れの日にさ、ちょっとウチ寄ってかない?ウチで稼ぎゃあ、人生薔薇色ってもんだよ?」


 四月一日の夜。どことなく駅の方から酒臭い風が流れてきているのには、誰も触れないでいたところだ。

 煌々と黄色い光をちらつかせる日本家屋。派手な格好をした女が、辺りを通る若者をいざなっていた。


 大阪・芦原橋。どこにどんな罠があるかわからないこの街の、その罠の一つがここであった。


「ようこそお越しくださいました、遊幻館へ」


 女が奥から酒を持ってきた。小綺麗な猪口と徳利。女は妙に妖艶な指で猪口に酒を注いでいく。間接照明のようになった、畳が反射する淡い色の光が闇に溶けてそう見えるのかもしれない。


「うまい」


 一人が口にして、心底驚いたように言う。


「酸が強いでしょう?滋賀から取り寄せましたの。お二方はまだお酒は飲めないみたいだけど」


 女は自分の分の酒を呑み終わると、盆を左に下げて正座した。


「それでは、始めましょうか」


「私は青池朱乃あおいけあけのです。まず御三方、チンチロリンはご存知?」


 首を振る男達。


「まぁ簡単な話、使うのはたった二つだけ。碗と賽」


 朱乃は碗の中に三つの賽を振り落とす。出た目は四五六シゴロ。口角が緩んだ。


「これがシゴロ。三番目に強い目。二つ以上目を揃えるか、シゴロを出すか、ゾロ目を出すかすれば順に出した分の賭け金、二倍の賭け金、三倍の賭け金を手にするわけ」

「一を三つ揃えたらピンゾロ、つまり五倍配当されます。シゴロとピンゾロは即勝ちね」


「まずは賭けずにやってみましょうね」


 朱乃は賽をひとつずつその細い指に収めてから、握って碗に振り落とした。

 チンチロリン、たしかに擬音の正解はこうだ。磁器製の碗に、安っぽいプラスティックの賽がぶつかりあって落ちる音。


「親、ゾロ目です」


 朱乃は四でゾロ目を出す。安定の強運に口の中で安堵しつつ、賽と碗を子の一人のほうに向ける。


 はじめての若者にしては恐れもせず賽を振り落とした。


 チンチロリン……。


 音は先ほどより静か。


「子、四四二ですね」


 四四二、普通の目だ。

 二人目の子も三三五と同じ結果だった。


「なんとなくわかってきました?」

「はい、まぁ」

「うん」

「それじゃ本番ね」


 朱乃は碗をひっくり返し、高台の内側の部分に賽を置いた。


「遊幻館では賭ける金額は一円から上限なく自由。お一人ずつ賭けていただいて、勝ち負けに応じて配当されるから」

「要は自分に賭ける感じね」


 朱乃は丁寧な説明をいつも心掛けている。”争い”において、最も大切なのが運とならんで”前提”であることをわかっているからだ。

 

 子の二人は、二人で同じ額、二千円を床に置いた。

 朱乃はすこし間をおいてから、


「これでよろしい?」


 と問う。そこに込められた意味は、向こうがどれほど拾えるかに任せるのみ。


「それでは、賽を」


 チンチロのルールとしては、振る順番はさほど関係ない。朱乃は親である自分は最後に振るようにしていた。

 それほどまでに、自信があるのであった。


 チンチロリン……。


「子、ニニ五」


 次。


 チンチロリン……。


「子、三三ニ」


 次がいよいよ朱乃の番だ。


 朱乃は賽の拾い方にこだわりがあった。人差し指と中指、中指と薬指、薬指と小指……。三つの賽をそれぞれの指で挟むように拾うのだ。指先の器用さや技量は一切求めないチンチロにおいて、そんな操作はもちろん必要ない。だけど朱乃は、自分の持つ「運」がそれによってなんとなく上がる気がしてならないのだ。


 チンチロリン……。


 碗の内側に賽の角が当たる。目線だけでその様子を覗き込んだ、朱乃の口元が緩んだ。


「親、ピンゾロです」


 賽は一の目を三つ揃えて静かになった。

 ピンゾロは、賭け金の五倍が親に支払われる。

 

「ありがとうございましたぁ〜!」


 すっかり夜も更けて、空気が冷えた芦原橋の街。彼らは二万円朱乃に負かされて帰っていった。

 

「あ、姐さんまた荒稼ぎしてるー」

 朱乃が二人を見送る背後から、高校の制服ジャケットを羽織った少年が煙草をふかしながら現れる。

「ええ。今日もピンゾロで五倍勝ちよフフフっ」

「たのしそー」

「当ったり前じゃない。私の主軸収入よ?」

「ギャンブラーな生活だなぁ」

「いいのよ、私は強いから。それでこんだけ豪華な暮らしできてるわけだし」


 朱乃の家は、同じく賭け金で生活していた両親から譲り受けた豪邸だ。外に面したシャッター付のガレージには、いつもポルシェ二台とベンツが停まっている。


「すべては賽しか知らないの」


 朱乃は石畳を無駄に高いヒールで鳴らしながら、闇の深い扉のなかに消えていった。 

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