第35話 なぜ、月ヶ洞は頼んだのか?

 ――幻視。


 冷たく。

 ひたすらに冷たく。


 まるで、氷で象られた短刀のように。

 冷たく、鋭利に。


 昴くんは、おもむろに。

 ペンでも渡すかのような、何気ない動作で。――声音で。


 わたしに切っ先を、突き付ける。


「自分の目に映る世界を、虚像かもしれないなどと疑おうともせず」

「――」


「かといって、それが実像であってほしいと願うことさえしない」

「――」


「ただただ惰性で、なんの疑問も抱かずに、与えられた現実のみを受け入れ続ける。その現実を、作っている存在のことなど知る由もない。知ろうとも思わない」

「――」


「ああ、そうとも。確かに君は『主人公』だ。直情的で偽らず、信条に反することは許せない。天下無敵の性格で、人好きのする笑顔を振りまく。幻想的なその容姿も相まって、まるで君は、童話からそのまま出てきた『主人公』のようだ」

「――」


「けれど君のそれは、時には毒にだって成り得るさ。人知れず、誰かを蝕み続けている」

「――」


「君を『主人公』たらしめる、その人たらしと鈍感力は君の魅力そのものだ。一朝一夕で真似られるものではなく、そして何物にも代えがたい貴重なものであるといえる」

「――」


「しかしね。そこまで来ればもはや滑稽だよ。何事にも程度ってものがあるんじゃないかな」

「――」


「今の君は傲慢だ。君にその意識がなくたって、他の誰でもない、僕の瞳にだけはそう映る。――ああいや、今は僕のことなんかどうだっていい」


 彼は刹那、ちら、と一瞬だけ。生徒会室のドア窓を見やり、


「とにかくだ。君は一度、自分の周りを顧みた方がいい。現状を俯瞰して、何が起こっているのかを正確に読み取ることだ。君が君自身の力で、真に正しい答えを見つけるべきだ。でないと、彼女があまりにも浮かばれない」

「――」



「確かにアリスは〝姫野葵〟の幼馴染で、親友なのかもしれない。けれど君は〝月ヶ洞葵〟のことを、何一つだって知りやしないじゃないか。それなのに、君は彼女の一番の理解者だという顔をする。それは酷く傲慢で、だから僕は君に言うんだ。

 ――――赤佐アリスは愚かだと」



「――――っ」


 段々と音が遠ざかる。昴くんの声が、まるで鐘朧のように感じられた。

 全身の感覚が不鮮明になり、やがて自分の身体が、ただの抜け殻のように思えてくる。


 浮遊感が襲う。

 しかし、左胸にある心臓だけは、とてつもない速さで鼓動していた。


「…………」


 何を言っているのか分からなかった。

 彼の言葉は、まるで異世界の言葉のように聞こえた。

 けれど彼は、なにも酔狂で言っているのではなかった。


 なにか、確固たる意志をもって言っていることが、流石のわたしにもなんとなくわかった。


 わかってしまったから、余計にわからなくなった。


「ともあれ。僕だって、君のことが嫌いでこんなことを言っているんじゃない。言いたくなかったとは言わないけれど、しかし改めて述べるが、僕はアリスのことを友人だと思っている。だからこそ、一つ。友人として、僕は君の考えを正そうと思う」

「……」


 ……わたしの考えを、正す?


「君は、僕が葵に何かを頼んで、それで葵は自身の推理を歪めてしまったのだと、そう言ったね?」

「……」


「それ、実際のところは少し違うんだ。というのも〝僕は葵に、何も頼んじゃいない〟んだから」

「……えっ?」



「――むしろ、葵が僕に頼んだんだ」



「……っ」



「――――なぜ、



「――――」



「――――なにを、



「――――っ」



「――――これが本来、君が問わなければいけない言葉だ。ともなって、問わなければいけない相手も、僕じゃない」




「――――っっ」




「――――――〝月ヶ洞葵〟だよ」

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