カルテNO.05 野島 (10/14)

 野島さんが「あの……」と、申し訳なさそうに切り出した。


「今回のアタックは、私の『治療』という風に先生からお聞きだと思うんですけど、実は私は病気ではないんです」


 野島さんの告白に、皆の驚きの視線が集まる。


「元は男の体だったんですけれど、ダンジョンでの事故…… のようなもので、女性の体になってしまったんです。もう元の体には戻れない、女性の体で生きて行くしかないとあきらめていた時に、先生から男の体に戻れるかもしれないと聞いて…… すみません。皆さんをだますつもりはなかったんですが、私のわがままでこんなことに……」


 涙ながらに頭を下げ、「申し訳ありません」と言う野島さんに、「自分の本来の姿に戻りたいというのは、わがままですか」と言った。


「アイデンティティは男性なのに、女性の体で生活するのは大変なストレスをともないます。体が本来の性別と異なるというだけで、しなくてもいいはずの苦労がついて回り、時には…… 悲しい結末をむかえることも」


 なのはちゃんの手紙の『自分勝手でごめんなさい。さようなら』という一文が脳裏のうりをよぎる。


「私は医者として、いえ、一人の人間としてちかったんです。性同一性障害せいどういつせいしょうがいに苦しむ人を救うために全力を尽くすと」


 皆がうんうんとうなずく。


「でも…… 今回は一旦いったん地上に戻りましょう」


「ええっ?」


「どうしてだよ、先生!」


 口々に疑問の声が上がった。


「アタックは、生きていればまたチャンスがめぐってくるでしょう。だから、今は命をけて私たちを守ってくれた高橋さんを早く生き返らせてあげないと」


「でもよう、先生……」


「ごめんなさい、中村さん。今度はちゃんと準備を整えてからアタックしますから」


 泣きそうな顔の中村さんに、背伸びをしてよしよししてあげた。


 ◇◆◇◆◇◆


 中村さんが高橋さんを背負せおい、エスケープクリスタルを使おうとしたとき、背後はいごから「やあ、やっと追いついた」という声がした。


「松本さん?」


 前田さんが驚いて言う。


「え? 松本さんって……」


 確か、前田さんと一緒にダンジョンに潜っていた、認知症の……


「ほら、前田さん言ってくれたでしょう。この頃私の物忘れがひどいから一緒に病院に行こうって。一度てもらおうと思っていたところなんで、ダンジョンのそばの病院に行ったら、受付の人が先生は今ダンジョンに潜ってると教えてくれましてね。ひょっとしたら追いつけるかもと思って、私もダンジョンに入ったわけですよ」


 ニコニコと話す老人に、前田さんが「でも、どうやってここまで?」と聞いた。


「さあ、どういうわけかわなは全部解除してあるし、モンスターもほとんど出くわさなかったもので、簡単に来られましたよ」


 どうやら青木さんが解除したトラップが再起動する前に、私たちがモンスターを倒したすぐ後を追ってきたようである。


「いやいや、それでもモンスターが少しは出てきたでしょう。それを一人で倒してきたの?」


 前田さんのもっともな疑問に「ええ。みんな眠らせてきました」と、こともなげに答える。


「眠らせて? ドルミドで、ですか?」


「いえ、ムエルテ・インスタンタニアですよ」


「松本さん、それ即死呪文そくしじゅもんですよ……」


 前田さんが青い顔で言う。私も血の気が引いた。


「そうでしたかな? はっはっは」


 ポカンとしている中村さんと青木さんに、前田さんが「僧侶そうりょの松本さんです」と紹介した。


「僧侶? 松本さんは僧侶なんですか?」


 青木さんがいきおい込んで聞く。


「ええ。まあこんないぼれですけどね」


 あごひげをでながら言う松本さんに、青木さんが「ここに来るまで、ほとんど魔法を使う必要がなかったわけですよね」とさらにたずねた。


「ええ。楽なものでした」


「では、今すぐ蘇生呪文そせいじゅもんを使えますか?」


「ええ。使えますよ」


 青木さんが中村さんと目配めくばせする。


たのむよじいさん、こいつを生き返らせてやってくれ」


 中村さんが背負っていた高橋さんを地面におろしながら言う。


「どれどれ……」


 高橋さんの横にしゃがみこむ松本さんに、前田さんが「ちょっと待って」と声をかけた。


「松本さん、蘇生呪文って、どんなのでしたっけ」


「何を言ってるんです、ペロ・リコでしょう」


「それは髪の毛が生えてくる呪文です」


「おや、そうでしたか?」


「いいですか? 蘇生呪文はレスシタシオンです。いいですね?」


「はいはい、大丈夫ですよ」


 私たちが固唾かたずをのんで見守る中、高橋さんの蘇生が行われた。

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