向谷栞は思考する

 俺は千賀せんが大地だいち。今年、この翡翠ひすい高校に入学した高校1年だ。自分で言うのもなんだがここ、翡翠高校は県内でも有数の進学校だ。

 名門中学でそこそこの成績だった俺はこの名門高校もまぁ、そこそこの成績で合格したのだった。

 が、流石に県内有数の進学校。4月1日の入学式を終えて早々に授業。普通、初日は授業なんてしないだろ。なんて思っていたのが甘かった。

 初日から難解な課題を与えられ、土日に必死にその課題をこなし、ようやく本日4月4日を無事終えたところだ。入学したばかりだというのに相当なスピードで授業が進んでゆく。

 中学ではバスケ部などという青春要素満載の部活に所属していた俺。もちろんモテて、――などいない。

 俺のバスケ部での役目はそう。ベンチを温めることだった。キャプテンやレギュラーの奴らが試合の応援にやって来ている可愛い彼女と試合後にイチャイチャしているのを眺めているだけだった。体育会系の部活において、弱い男にはそうした青春イベントは発生しないのである。

「はぁ……今日も疲っかれたなぁ~~っと」

 そして、今日も俺はいつものように1年C組の教室でのホームルームを終え、クラスで仲良くなった友人たちと教室で1時間ほどだべり終え、友人たちが帰った誰もいない教室で窓の外を眺める。

「これから3年間、またこうした毎日が続くのか?」

 沈みゆく夕陽を見ながら心に思う。夕陽。青春漫画なんかではよく出てくるよな、夕陽って。そんな青春の象徴であるような目の前の夕陽を見ていても、ちっとも青春しているような気分にはなれない。

 思えば中学の3年間もそんなことを考えていた。「青春ってなんだろう?」、って。同じ毎日。ガキのころは何も考えずにただ元気に走り回っていれば良かった。なのに、中学生になった途端にそんな生活は大きく変化した。

 勉強に追われて遊べる時間が少なくなった。   

 先生から褒められることが少なくなった。

 大人のような振舞いを求められるようになった。

 かと言って頑張って大人のような振舞いをすれば、「最近の子どもは元気がない。俺が子どものころは――」なんて古物語ふるものがたりを聞かされたりする。

「どうしろってんだ……たくっ……」

 そして高校に入って気がついたことが1つ。問題文が変化していた。

 中学までは、「――の値を求めなさい」、「――を述べなさい」だったのに。

 高校では、「――の値を求めよ」、「――を述べよ」と命令されるようになった。

 高校になるといきなり命令されるなんて誰も教えてくれなかったから少々面喰った。「先に言っとけ」、って話だ。

 大人は急にどうしてしまったのだろう。俺たちに一体何を求めているのだろうか。まぁ、考えても仕方がない。きっとこれから俺はこうして大人たちに命令され、やがて社会に出てからもその命令に従うのだろう。

「――て。俺は一体何を考えてるんだ。考えてもしょうがないし、腹もへった。……気分転換に今日はこっちから帰るか」

 俺は落ち込んだ気分を少し晴れさせようと遠回りではあるが、夕陽で明るくなっている廊下を選んで帰ることにした。



 ♦



「ん? 何だ?」

 廊下を歩いていると俺の視界に何かが入りこんで来た。まるで目の近くを小さな虫が飛んでいるかのようにちらちらと不快な何かが。だが、それは虫ではなかった。

「……なんだ、あれ?」

 廊下から見える部屋を覗くとその不快感の正体が分かった。部屋の中では制服を着た女子が椅子に座り、リズミカルに左右に身体を揺らしている。

 その様子はまるでメトロノームのようだ。吹奏楽部だろうか。そう思い室内を見渡したが、室内には制服を着た女子が1人、メトロノームのようにカチカチと揺れているだけだ。俺は目の前の奇妙な光景に思わず頭上を確認する。

「何だ? ここ……ん? ……思考部?」

 見上げた部屋の上には ”思考部” という見慣れない文字が書かれている。そんな謎の3文字を見上げていると、突然ガラッ、と勢いの良い扉の音がした。

「……何?」

「えっ……あっと」

 目の前には先ほどまでメトロノームのようにカチカチ揺れていた女子生徒が扉を開けて俺の前に立っていた。

 1年生だろうか。なんか、小さい。中学生みたいだが、ここは高校。中学生はいないはずだ。となれば、おそらく4日前までは中学生だった小さい高校生だと推測できる。女子生徒の頭頂部には特徴的なとんがった2つの角のような髪の塊がピンク色のリボンによってゆわかれている。

「……なんか用?」

「あ、あっと……い、いやっ……部屋の中で変な動きしてたから……な、何やってんのかなって、思ってさ……」

 目の前に唐突とうとつにやってきていたその女子生徒を前にしどろもどろ。何故こんなにしどろもどろになっているかというと、目の前にいる女子生徒が俺を鋭い目つきで見つめているからだ。どうやら気分を害したらしい。

「あ、その……ごめん。な、何やってたの? あっ、俺、千賀大地。き、キミは? あっ、もしかして俺と一緒の1年?」

 俺は頑張って目の前の女子生徒の機嫌をとろうと必死に質問を投げかける。すると女子生徒は俺にふっ、と笑みを浮かべてくれた。良かった。と思った瞬間――

「あんた……頭付いてる?」

「…………はぁ?」

 予想だにしない言葉が俺に投げつけられた。俺はそんな唐突な言葉に思わず口をぱくぱくさせたまま何も言い返すことが出来なかった。

「放課後に部室で生徒がやっていることと言えば部活動に決まってんでしょ? 何も考えてないんならその頭、とっちゃいなさい? 身体が軽くなるわよ? ふふっ」

「は……はぁ!?」

 目の前の女子生徒は俺に暴言を吐くと、笑みを浮かべてさっさと室内に戻ってしまった。

「……あ、ま、待てよ!!」

 突然の言葉に再びしばらく呆気に取られてしまったが、ようやく湧き上がった怒り感情に従い、生意気な女子生徒を追って室内へ入る。

「おいっ、いくら何でも失礼すぎんだろ!!」

「失礼って……本当のことじゃない。あたしは部活動をしているのに、何をしているのか聞くなんて。ほんとバカ。それに頭がなくても1年半くらいなら生きられるらしいわよ?」

「えっ! ま、マジかよ!?」

「……ニワトリは」

「に、にわっ!! ふ、ふざけんな! 人のことバカにしやがって! ……それに、部活してるっていうけど……何もしてないじゃねぇか」

「してるわよ。思考してるの」

「…………思考?」

「そっ、思考。部屋の外、見てきなさいよ?」

 女子生徒に促された俺は部屋から出て、再び部屋の上を確認した。

 ”思考部” 

 部屋の上にはやはりそう書かれていた。その文字を確認し、再び部屋に戻る。

「思考部って書いてあったけど……」

「そう。で、あたしが今何してるか……分かった?」

「……考えてる。頭の中で思考してるってことか?」

「そっ。それがこの思考部の活動なの」

「い、意味が分からん。……何なんだ? そのキモイ変な部活は? ってか、そういやお前名前は? さっき俺、名前聞いただろ」

「向谷。向谷むかいやしおり

 目の前の女子生徒は憤る俺とは対照的に冷静にそう呟くと再び椅子に座り、メトロノームのように左右に揺れ出した。

「向谷……栞…………っあ!! もしかしてお前、あの向谷か!?」

「どの向谷よ?」

「ぐっ……。だ、だからその……全国模試でいつも名前が載ってる……」

「まぁ、そうね」

 向谷栞。名前を聞いて思い出した。いつも模試で上位に名前が載っていた。同じ神奈川県の奴なのは知っていたが、そんな人物が同じ高校にいることに俺は少々驚いた。

「あたしも1つ聞いていいかしら?」

「え? あ、ああ……何だよ」

「何であたしにタメ口利いたの?」

「え、別にいいじゃんか。同じ1年だろ?」

「いや、別にいいけど。ほらっ、あたしが名乗る前にタメ口利いてたでしょ? 先輩かもしれないのに……何で?」

「ああ。それは制服と靴を見てさ」

「制服と靴?」

「ああ。なんかまだ着て新しい感じの制服だし、靴も綺麗だからそうかなって思ったんだ。あっ、あと身長が小さいからってのもある」

「うっさいバカ! …………でも、ふーん。一応それなりに思考してんのね。なら、頭はとらなくてもいいんじゃない?」

「とれるか!! ったく、何なんだよまったく……」

 向谷は俺に再び悪態をつく。が、先ほどとは異なり向谷の表情が明るい。口元が少し上がっている。なんだか分からんがどうやら機嫌は良くなったらしい。にしてもこれがあの全国模試で毎回1位、2位を争っている向谷なのか? 俺はてっきりもっと素敵な人間だと思っていたんだが。まさかこんな失礼な女だとは予想もしなかった。

「んで? 何なんだよ、この思考部って? 具体的に何考えてんだ?」

「色んなこと」

「例えば?」

「何? 思考部に興味があるのかしら?」

「いや……特に」

「何よ。まぁ、いいわ。そうね……例えばあたしの中学時代の3年間の思考テーマは、『資本主義や共産主義に代わる第3の主義』ね」

「………………はい?」

「『はい?』じゃないわよ! 聞こえなかったの? 第3の主義について思考してたって言ってんの!!」

「いや、聞こえてましたけど……。聞こえてた上でもう一度言うわ。……はい?」

「だから第3の主義よ。資本主義や共産主義に代わる第3の主義ぃ!! それを考えてたの!」

 ――はて? こいつは何を言っているのだろう。資本主義とは、「よしっ、競争だ! みんな自由にお金儲けをしていいよ。切磋琢磨せっさたくまして色んな物つくって頑張ろう!」という思想だ。現在の日本社会もこの資本主義を採用している。一方の共産主義というのは、「資本主義って格差が拡がるから良くないよね。じゃあ、みんなでお金も物も平等に管理しよう。いいな、抜け駆けすんじゃねぇぞ!?」という思想である。

 一見すると共産主義というのは良さそうな思想であるが、競争が無くなりみんなが働かなくなって国が衰退したという実情がある。さらに悪い場合には平等に管理するとか言ってた奴が金や権力を握って、最初目指していた「みんなのものは、みんなのもの」ではなく、「みんなのものは、」な独裁国家が誕生するリスクさえあるのだ。ゆえに、現在の世界では資本主義が主流なのだ。

「へ、へぇー。そ、そんなの考えて……どうすんだ?」

「どうするって……決まってんじゃない。資本主義や共産主義みたいにあたしが考えた主義を採用してもらうのよ。『あ、この主義いいね。うちの国に取り入れよう』ってね」

「さ、採用って……どこが採用すんだよ」

「う~~ん……そうねぇ。……まずはやっぱり日本がいいわね。ここ日本だし!」

 ――――なんてこった。俺は今、とんでもない人物を目の前にしている。資本主義や共産主義に代わる第3の主義? そんなのただの高校生に考えられるわけがないだろう。それにこの資本主義や共産主義という社会構造に直結する思想。実はなかなかにヤバい。

 あれが起きる確率がすこぶる高いのだ。

 そう。―――― ”革命” だ。

 実際、フランスでは隣国イギリスの産業革命での大成功で始まった資本主義に感化されフランス革命が。ロシアでは長引く戦争による不満渦巻く中、共産主義に刺激されロシア革命が。それぞれ1791年、1917年に起きている。新しい思想によって革命が発生し、世界の社会構造が大きく変わったという歴史的事実があるのだ。

「まぁ、結局まだ思いついてないからこのテーマは思考部で宿題として思考しようと思ってるんだけどね」

 ――――ヤバい。こいつはヤバすぎる。フランス革命が1791年、ロシア革命が1917年に起きた。そこからなんやかんやで共産主義を目指した社会主義国ソ連が崩壊してからは、世界の主流は資本主義になり、今に至る。 

 だが! もし。この向谷が資本主義や共産主義に代わる第3の主義を確立し、それが世界に発表されたなら国家転覆を目論もくろむ過激派や革命家たちによって利用され、世界各地で多くの血が流れることだろう。無論、この日本も例外ではない。 

 何としても阻止しなくては

 俺は目の前で呑気にメトロノームのように左右に揺れ動いている向谷を見ながら心に誓う。

「でも、80億人も人間がいて新しい主義が生まれてこないなんて……。いったいどういう了見りょうけんなのかしら?」

 そう言って向谷は少し頬を膨らませてむっ、とした表情。

「あ、あのさぁ……」

「何よ?」

「つまりこの……思考部? ……は、その資本主義や共産主義に代わる第3の主義を思考するための部活ってことなのか?」

 俺は一気に核心かくしんに迫った。もし、この思考部という部活がそのための部活であればそれはもはや、部活ではない。向谷の答えが「イエス」なら、俺はすぐさまここを飛び出し、先生へチクりに職員室まで走る準備が出来ている。 

「ん? 違うわよ?」

「……へ? そ、そうなの?」

「うん。第3の主義は中学生の時に頑張って思考したけど思いつかなかったから、それは2番目の目標にすることにしたの」

「そ、そっか……。じゃあ、この思考部の活動の目的って言うのは?」

「ふふっ、それはねぇ」

「……それは?」

「ずばり! RTCを創設することよ!!」

 はて、RTC? 何だろうか。聞いたことのない言葉だ。何かの略称――!? そして俺は気が付いた。RTCの意味を。まさか、RTCとはRevolution Total Crisisの略称なんじゃないかと。 ”Revolution Total Crisis” つまり、革命によって国家を危機に陥れる団体。この女はまず、その団体を足掛かりに革命を目論もくろんでいるのではないだろうか。

「RTC……悪の組織か何かか?」

「ちっがぁーーうぅ!! Roroho Thinking Club、略してRTC。分かる?」

「……分からん」

「もうっ、本当にバカね。やっぱりその頭、とりなさい!」

「とれるか!!」

「企業よ、企業! RTCって言う企業を作るのよ! アルファベット3文字の企業っていうのはビッグになりやすいんだから!」

「――企業?」

「そうよ? RTCは将来、日本を代表する世界一の巨大グループ企業になるんだから!」

「……企業ならCはCampanyのCだろ。Clubじゃなくね?」

「うぐっ……い、いいのよ」

「なんで?」

「ん……っと…………っあ! RTCが目指すのは楽しい企業なの。思考を楽しんでそれを試し、そして世界一になっていく。いわば同好会みたいな組織を目指すんだから。だからClubでいいのよ」

「あと、Rorohoって何?」

「それは秘密よ! 自分で考えなさい」

「……ふーん、そっか。……じゃあ」

「あっ、ちょ、ちょっと! もうちょいしつこく意味とか聞かないの!? ねぇ!!」

 俺の反応が予想外だったのか、向谷は慌てて声を出す。

 RTCのCがCampanyでもClubでも、ましてやRorohoの意味もどうでも良いのだ。俺はこの女がこの思考部という部活で何か良からぬことを画策かくさくしていないかを確認したかった。それだけだ。そして、どうやらバカが放課後の教室でメトロノームごっこをしているだけということが分かった。それで十分だ。誇らしげにRTCの説明をする向谷の顔をちらりと見て、俺はくるりと向きを変え、扉へ帰る。

「ちょい待ち」

「おわっ! な、何だよ?」

「あんた、思考部に入んなさい……」

「は? なんで俺が……やだよ」

「あんた、何組?」

「えっ、C組だけど……」

「あら、なら良かったじゃない」

「何がだよ?」

「C組のCはRTCのCじゃない♪ これも何かの縁だわ、きっと」

 いや、C組のCはABCのCだ。それにこれは縁などではない。縁というのは両者が互いに不思議と惹かれ逢うこと。だが、俺は今、こいつに一方的に引っ張られている。とてつもねぇ握力だ。右肩に指が食い込んでる。

「は、放せって! 何で俺がこんなあやしい部活に入んないといけねぇんだよ」

「何言ってんのよC?」

「誰がCだ。組をつけろ!! じゃなくって、千賀だ! ちゃんと名前で呼べ!」

「いい? RTCはあやしい部活なんかじゃないの。人間において一番大切な思考をきたえる部活なのよ?」

「……思考を?」

「そうよ? 歴史上、人間は絶えず思考を巡らせて色々な物をつくってきたの。明治維新で活躍した志士ししだって、松下村塾しょうかそんじゅくでみんなであれこれ考えていたわけだし。この思考部はそう。令和の松下村塾みたいなものなのよ!」

 松下村塾。幕末に活躍した維新志士たちを数多く輩出した私塾だ。彼らの功績によって新たな時代、明治が訪れたわけだ。が、その過程では少なからず暴力的な活動があったことは間違いない。向谷はやはりそんな革命的な思想を持っているのだろうか。

「んで、この令和の松下村塾とやらで何するってんだ?」

「ふふっ、この思考部の部員の中から優秀な人材をそのままあたしが創設するRTCに入社させるの。そしてあたしはその優秀な社員たちとRTCを世界一の企業にしてやるんだから!」

「……なんで?」

「なんでって、決まってんじゃないの! 日本の危機を救うためよ!」

「えっ。……日本の……危機?」

「そうよ。今の日本、何も考えてない人間が多すぎる! 他人を思いやることのない自己中心的なバカ、他人を攻撃してストレスを発散するバカ、場当たり的な本能むき出しな行為をするバカ、何を考えているのか理解不能な犯罪をするバカ。今の日本、バカが多すぎる!」

「そんな……人をバカ呼ばわりするなんて」

「だってそうじゃない。バカはバカよ。バカバカ! しかもバカはそもそも自分がどうしてバカって言われたかも思考しないでいきなり怒り出すから厄介なのよね。このままじゃ日本が腐るわ!」

「く……腐る」

 ずいぶんな言いようだ。向谷は興奮気味に右のこぶしをぶんぶんと振り回しながら説明している。拳によってあおがれた周囲の空気が俺の顔にひしひしと当たってくる。

「そう。腐るの。思考しない思考停止人間たちのせいでね! だからあたしはこの思考部をつくったの! ここでこれからの未来を担う若者である高校生の思考力をきたえ、あたしが創設するRTCに入部させ、この日本を救うのよ!」

 救う。向谷は何とも自信に満ちあふれた表情で言葉を放った。それは予想外の言葉だった。俺はてっきりこいつが日本を危機に陥れる元凶だと思っていたが、どうやらその考えとは逆に、この思考部によって日本の危機を救うことを目標としているらしい。

「思考部、そしてRTCは日本の救世主になるんだから!」

「……ふーん」

 救世主。それは周囲が言うものであり、あまり自分から言うものではない気がする。が、どうやら向谷は本気だ。大真面目にこの日本の危機を救おうとしているらしい。とりあえず俺はこの思考部が危険な部活ではないことに安堵あんどした。

「それでまずはA組のみんなを思考部に誘ったのに、みんな苦笑いや愛想笑いするだけなんだもの。A組のエリートって言っても所詮しょせんあの程度なのね……」

 いや、きっとA組の生徒は優秀に違いない。こんな得体のしれない謎の部活に「はい、是非ぜひ一緒に日本の危機を救わせてください」、と入部するわけがない。高校生と言えば青春真っただ中。そんな貴重な青春をこんな謎の部活に捧げるわけがない。

「まぁ、この際Cで妥協するかぁ」

「だから誰がCだ! まぁいい、分かった。なるほどな。じゃ、まぁ頑張って……」

「え!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あたしの話聞いてた!?」

「聞いてた。……でも、別に俺、興味ないし……」

 俺はくだらない時間を過ごしたことを後悔しながら再び部屋をあとにしようとした。と、その時である。

「そう……残念ね。思考部に入部すればRTCの役員になれるチャンスもあるって言うのに」

「……何?」

 その言葉を聞いた途端、俺の足はぴたりと止まり向谷の目の前に戻っていた。

「その話、詳しく聞かせてもらおうか?」

「今説明したようにこの思考部はあたしがこれからつくるRTCの前組織みたいなものなのよ」

「ふんふん。それで?」

「で、そこで優秀な思考をしてくれた部員をRTCの最初の役員にしようと思ってるのよ」

「や、役員……。その役員とやらの報酬はいくらくらいなんだ?」

 俺は知っている。役員とは会社や団体における重要ポジションである。故に貰える金の額も破格なのだ。

「えっ、まだ決めてないけど――そうねぇ。1000万くらいかしら?」

「い、1000万!?」

「決定ではないけどそれくらいの報酬が出せるようにはなるはずよ? もっとRTCが大きく成長したら金額ももっとアップできるわね」

 1000万。その根拠がどこから来ているのかは分からないが、1000万という金額は魅力的だ。このご時世、そんな大金を稼げる仕事はそうはないだろう。だが、そのチャンスが今、目の前にある。この思考部に入ることでそのチャンスが手に入る。得体のしれない部活ではあるが、思っていたよりヤバい部活って感じでもなさそうだ。

 どうせ失うものもないのだから、試してみる価値はある。

「分かった。俺、入部するよ」

「本当!?」

 まんまと向谷の口車くちぐるまに乗った感は否めないが、俺は思考部に入部することにした。

「ようこそ、思考部へ! 歓迎するわ。はいっ、これ」

「ん? ガムか?」

 俺は向谷が差し出したうすべったい板状の何かを受け取る。何だろうか。深緑色をしたそれは透明な袋に包まれている。

「塩こんぶよ?」

「塩こんぶかよ!! ってか何でこんなん持ってんだよ!?」

「何でって塩こんぶは我が思考部の必須アイテムよ?」

「ひ、必須アイテム?」

「そっ。塩こんぶにはねぇ頭にいいアルギン酸がたくさん含まれてるの。さらには噛むことによって脳を活性化させてどんどん思考を巡らせることができるのよ。あと、お腹も満たされるし」

「あっ……そう…………ありがとう」

 塩こんぶ。今の時代、それも学校に塩こんぶを持ってくる女子高生がいるなんて。これが向谷の成績抜群の秘密なのだろうか。

 もぐもぐ……もぐもぐ。ちゅぱちゅぱ……ちゅぱ……。俺は向谷としばらくの間、ただ無言で塩こんぶを噛みしめ続けた。

 ――――帰りてぇ。

「――というわけで塩こんぶには疲労回復に役立つビタミンB1やB2、カルシウムやマグネシウムなんかのミネラルが豊富に含まれてるの。さらに思考力を高めてくれるアルギン酸も豊富に含まれてるわ。だから塩こんぶは思考をする思考部にとって必須アイテムなのよ。サッカーで言ったらサッカーボール。剣道で言ったら防具のようなものね」

「……へぇ」

 思考部への入部を決めた俺はさっそく向谷から思考部に関する説明を受けている。実は、思考部の活動開始は今日からだったらしい。向谷が学校に頼んでつくったんだと。学校側も向谷の成績のことだけは知っているだろうからこんな部活をつくることを許可したのだろうな。こいつの性格をよく理解せずに。

「ねぇ、ちょっと聞いてる?」

「…………へぇ」

「ちょっと! へぇ、じゃないわよ! ちゃんと聞いてるの!?」

「はぁ」

「ちょっと!! ちゃんと聞きなさい! あたしの話を聞いて思考しなさい!!」

「だってさぁ、退屈なんだもん……」

「は、はぁ? 退屈?」 

「だってそうだろ? 毎日毎日同じようなルーティンで進んでいく生活。これから1年、たまにある体育祭や学園祭なんかのイベント以外は月曜から金曜まで同じような授業があるだけだろ?」

 俺が椅子の前足を浮かしもたれながらぼやいていると、説明していた向谷の動きが突然ぴくっ、と止まった。

 そうして履いているローファーのかかとをカツカツカツ、と威勢いせいよく鳴らしながら近寄ってきて、――バンッ!!

「うおっ! ……な、何だよ?」

 机に右手を力強く振り下ろしてきやがった。突然何だってんだ。

「退屈にさせてるのはあんた自身!」

「えっ、お、俺?」

「そう、あんたよあんた! あんたが何も考えてないから、あんたの頭が退屈してんのよ! まったく……そんなに思考しないんならやっぱり頭、とりなさい。その方が頭も自由に考えて、自由に思考の旅にでも繰り出せるわ」

「とれるか! あと、頭が勝手に旅に繰り出すか!! お、俺が何も考えていないだと?」

「そっ。思考停止よ、思考停止。今のこの時代、みんな流行り流行りって同じような物作ったり、人のまねしたり……。あたし、そういうの大っ嫌い!」

「ったく、なんなんだよ……」

 向谷はそう言って首を大きく左右に振って、再びむくれ出した。こんな不愛想女に嫌われたって構わねぇっつーの。

「いい? 日本人は古来から色んなものをつくってきたわ。勾玉まがたま埴輪はにわ、和歌、俳句、寿司、福笑ふくわらい」

「お、おう」

 福笑い?

「それが明治になって蒸気機関車、西洋建築、洋服なんかが入ってきて目覚ましい発展を遂げた」

「文明開化ってやつだな」

「そう、文明開化よ。でも、結局それは西洋のまねごと……。日本が近代化したのは日本人が自ら思考した結果じゃない。戦後の日本もたくさんの製品を作って目覚ましい発展を遂げたけれど、それだって多くは海外製品のアレンジ品ばっかり」

 両手を俺の前の机につく。そこから大きくため息をつく。いや、そんな昔のことで落ち込まんでも。そしてそのままゆっくりと俺の前の席につく。

「そんなこと俺に言われても……俺、何もできないし……」

「そんなことないわよ、千賀! 退屈してる暇があるんなら思考しなさい!!」

「……思考?」

「そっ。日本は明治の文明開化と引き換えに大事なものを無くしたのよ。自分たちで物事を考えるっていうをね!」

「……思考力ねぇ」

「今だってそうよ。何かが流行れば同じものつくってブームに乗って、ブームが去って衰退すいたいして。また別のブームに乗って、また衰退して……バッカみたい」

 おいおいおいおい。なんなんだ? こいつは。言っていることが理解できなかった。今の時代、何かが流行っていればそれに乗り、商売をしていくのがセオリーだ。その方が余計なコストをかけずに利益を見込める。だから皆、流行しているものに便乗する。0から何かをつくるなんてのはナンセンス。今のご時世そういうものだ。現代人にとって大事なんだよ、コスパとタイパはな。

「そ、それの何が悪いってんだよ?」

「思考停止……」

「……えっ」

「いい? 人まねするだけなら人間の脳は要らないのよ?」

「ひ、人まねって……失礼だろ」

「じゃあ、猿まね」

「もっと失礼なんだよ!! ったく……」

 まったく、何なんだよこの女。頭が良い割に口がすこぶる悪い。

「いい? 資源のないこの国が生き残っていくためには考えるしかないの。思考するしかないの!」

「……そんなことないんじゃね? ほらっ、日本製品って海外じゃ人気だってよく聞くじゃん?」

「あんたバカ? そんなの何十年前の話よ? 確かに日本製品は人気だけど今じゃ他の国の製品に価格競争で負けてんのよ?」

「へ? そうなのか?」

「はぁ。ほんと、何も知らないのね……。このままじゃますます日本はみじめになる! そんな危機を救うためにあたしはこの思考部を足掛かりに一刻も早くRTCを創設して全国から優秀な人材を集めて世界と勝負しなくちゃなの。分かった?」

「ん……な、なんとなくは……」

 向谷の熱のこもりようから、今の日本の状況のヤバさがひしひしと伝わってきた。こいつはこの思考部でそんな危機を救おうと言うのだろうか? ほんとに出来んのかよ、んなこと。俺たち高校生だぞ。まぁ、向谷ほどの賢さなら俺には到底想像もつかないようなことを考えているのかもしれないけど。

「んで。結局、思考部って具体的には何をするんだ? やっぱりRTCっていう企業を創るためにいろいろ活動していくのか?」

「ふふっ、そうね。でも、それだけじゃない。思考部は世の中のあらゆることを思考していくのよ?」

「あらゆること?」

「そっ! あたし達はもっと自由でいていい。身近な疑問を思考してもいいし、スポーツが好きなら新しい競技を思考するのもいい。料理が好きなら新しい料理を思考しても良いし、音楽が好きなら新しい楽器を思考したっていい。日常のどんなことだってこの部活のテーマになり得るんだから!」

「具体的には?」

 俺はさらに向谷に質問する。具体的に。もっと具体的にこいつの頭の中を知りたい。いつの間にか向谷に問いかけていた。

「そうね、例えば……あっ。廊下はまるくたっていいはずよ?」

「……ん? 廊下?」

 向谷は部屋の外の廊下を見渡してそう明るく言葉を放つ。

「そっ。ドーナッツ状の廊下の真ん中に螺旋階段らせんかいだんがあって、そこから放射状ほうしゃじょうに教室があるの。そうすれば一番端から端までのクラスの距離も短くなるし、教室から階段までの距離も全部同じ距離になるでしょ?」

「なるほど……」

「それならどのクラスの生徒も遅刻しそうになった時でもチャイムダッシュの猶予ゆうよが平等でしょ?」

「まぁ、な」

 そんなギリギリの時間に登校して来る奴もどうかとは思うが、学校の廊下が円っていうのはおもしろいかもしれない。こいつは普段からこんなことを思考しているのか。

 何だろう。なんか、しょうもないな。でも、なんか、すごく楽しそうだ。うらやましい。――あれ? 俺、なんでこんなこと思ってるんだ? うらやましい? こいつが? 一体、なんで?

 ――そうか。こいつは頭の中でたくさんのことを自由に思考しているんだ。俺の脳からそんな思考が産まれた。そしてそんな産まれたての思考から生まれた俺の感情が ”うらやましい” だった。

「そう。それが思考」

「……え? お、俺の心を読んだのか!?」

「いや、何かあたしの顔をじっと見て何か考えてそうだったから」

「そ、そっか……」

「あんたは何かないの? 千賀」

「え?」

「身近で疑問に感じてることよ?」

「あっ、う~~ん……そうだな。……あっ」

「なんか思いついた?」

「問題文……かな?」

「問題文?」

 俺は高校に入ってから問題文の末尾が命令形になった話を向谷にし、なぜ高校では問題文が命令形であるのかを思考することにした。

「そうね。……多分、問題文には大人の心理が現れてるんじゃないかしら?」

「心理?」

「そっ。小学生に対しては微笑ましい気持ちで見ていて、『この問題を解きましょうね?』って優しく見守る感じ。中学生に対しては少し大人になったから、『この問題を解きなさい』ってちょっと強めに言うの」

「……なんで?」

「それは……やっぱり危機感があるからじゃないかしら?」

「危機感?」

「そうよ? 中学生になって、『あれ? こいつらちょっと大きいな。それにちょっと生意気……』。大人はそう感じる。それで高校生になるとさらに大人は焦る。『なんだか生徒から舐められてる気がする……』。だんだん大人と同じになってくるあたし達高校生に大人たちは危機感を覚え、そして潜在的に問題文を命令口調にすることによってあたし達を抑圧しているんだわ、きっと!」

「ははっ、なんだそりゃ」

「だって他に考えられないじゃない!」

 なんてバカな考えなんだろう。これがあの全国模試で常に上位の向谷の思考なのだろうか。でも、案外間違っていないのかもしれない。自分で言っておきながらなんだが、なんてくだらないテーマだろう。でも、なぜかそんなくだらない素朴で身近な疑問を真剣に思考するこいつを見ているととても楽しく、心晴れやかな気持ちになった。

「でも、なかなか良い疑問を持っているわね、千賀」

「そりゃどうも」

「あたしはこれから、世の中のあらゆることを思考できる仲間を見つけたい!! さぁ、これから一緒にこの思考部でバシバシ思考して仲間を増やしていくわよ~! えいえいっお~~~!!」

「………………」

「ちょっと! なにぼ~~っとしてんのよ?」

「いや……その……」 

「あれ? もしかして『えいえいっお~~~!!』知らないの?」

「いや。知ってる」

 知っているのだが、面喰らってしまい動けなかった。今の時代、こんな古くさいかけ声を使う女子高生がいることに。 

「だったらさっさと立つ! そしてやる! では改めて……。一緒に至高しこうの日本をつくってやろうじゃないの! えいえいっお~~~!!」

「えいえい……おぉ~……」

 向谷の言う至高の日本がなんなのかはよく分からんが、こうして俺はこの奇妙で謎な部活、 ”思考部” で本格的に活動することになった。

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