第3話:鳴海零時の登場
# 第3話:鳴海零時の登場
暗闇の中、紫色の光が脈動する。「零時!どこにいるの?」誰かの叫びが鳴海零時の頭に響く。5歳の彼を恐怖が包み込む。銀髪の少女が手を伸ばし、何かを叫ぶ——その瞬間、記憶が途切れる。
「っ!」
鳴海はハッと顔を上げた。地下研究室の青白い光が眼鏡に反射し、彼を現実に引き戻す。25年経った今も、あの日の影が彼を追い続けていた。
「エネルギー出力、安定。魔法回路の同期率98.2%」
茶色の髪に覆われた知的な顔立ちには若々しさが残る30歳の鳴海。しかし、その瞳の奥には説明できない喪失感が潜んでいた。指先が微かに震えるのは、実験への高揚感と、過去の記憶が呼び覚まされるためだった。
「記憶術式の準備が整いました」佐藤研究員がコンソールから声をかけた。「共鳴魔法パターンを接続します。準備はいいですか?」
鳴海は軽く頷いた。「大丈夫。第五段階へ」
実験室中央のカプセルから淡い紫色の光が溢れ出した。彼は冷静に装置を調整する。記憶術式の専門家として、常に感情より論理を優先してきた—感情に流されれば、失った記憶の欠片に近づけなくなると信じていたから。
突然、警告音が鳴り響いた。
「鳴海さん!エネルギー出力が急上昇しています!」佐藤の声が震えた。
警告音の中で、鳴海の意識の片隅に25年前の記憶が蘇る。暗闇と紫色の光。誰かの叫び声。「零時!」 銀髪の少女の顔が脳裏に浮かび、彼女は手を伸ばし、何かから彼を守ろうとしていた。
「イリア…?」
その名前が無意識に口をついて出た。鳴海自身、その名前がどこから来たのか分からない。彼は目を閉じ、頭を振って記憶を振り払った。
「バックアップシステム起動。全データをリアルタイムで保存」
カプセルの紫色が濃くなり、脈打つように明滅し始めた。
「共鳴波形に変化が…」鳴海は眉を寄せた。「二つの意識が共鳴している」
突然、研究室の空間が歪み、紫色の霧が渦巻いた。鳴海は一瞬、次元の狭間に引きずり込まれる感覚に襲われた。彼の周りの現実が液体のように溶け、その向こうに別の風景が見えた——赤い砂、紫色の空、そして戦場。
「零時!」佐藤の声が彼を現実に引き戻した。
扉が開き、田中部長が入ってきた。
「鳴海、状況は?警告アラートが上層部まで届いている」彼の声には非難の調子が混じっていた。
「制御下にあります」鳴海は冷静に応じた。「共鳴魔法が予想外の反応を示していますが、これは新しい発見かもしれません」
田中部長は腕を組み、鳴海を見据えた。「君の好奇心は買うが、失敗は許されないぞ。評議会は結果を求めている」彼は一歩近づき、声を落とした。「君の…特殊な経歴は知っているが、それに甘えるな。5歳の時の事件は二度と繰り返してはならない」
鳴海は一瞬、固まった。彼の「特殊な経歴」——5歳の時の次元転移実験、3日間の行方不明、両親の事故死。そして彼自身の記憶の曖昧さ。時々、自分の記憶が誰かに操作されたような違和感を覚えることがあった。
「理解しています」鳴海の声は静かだが、心は騒がしかった。
突然、カプセル内のエネルギーが脈動し、研究室全体が振動した。蛍光灯が明滅し、一瞬停電したかと思うほどの暗闇が訪れた。
「波形が安定しない!何かが干渉している!」佐藤が叫んだ。
鳴海は瞬時に装置に飛びついた。「干渉源を特定して」
ホログラムに奇妙なパターンが現れた——二人の人物の意識が交差する波形。鳴海の胸が高鳴った。この波形は、25年前の彼自身のものと酷似していた。
「二人の意識が共鳴している」鳴海の声は冷静だったが、指先は震えていた。「共鳴現象は、次元の壁が薄くなった際に感情の強い個人の意識が引き起こすもの。今回の場合、一人は東京、もう一人はアストラリア」
「誰だ?特定できるか?」田中部長が食い入るように画面を見つめた。
「一人は東京の大学生」鳴海はデータを素早く解析した。「霧島遥、18歳。明陵大学文学部一年生」彼は別の画面を確認し、「もう一人は…」一瞬躊躇した。「バランサーズのメンバー。リヴァイアス・ノート、25歳」
バランサーズ——両世界の均衡を維持する秘密組織の名前に、研究室の空気が緊張で凍りついた。
「リヴァイアス…」田中部長が呟いた。その名前に何か思い当たることがあるようだった。
鳴海は静かに告げた。「監視を続けます。霧島遥への接触も必要かもしれません」
田中部長は厳しい視線を向けた。「危険すぎる。まず上層部に報告する。君は実験を続行しろ」彼は命令口調で言い、研究室を後にした。
鳴海は黙って頷いたが、心には決意が固まっていた。この共鳴は偶然ではない。彼の過去と繋がっている——そう直感していた。
彼はカプセルに近づき、脈動する紫色のエネルギーを見つめた。その光の中に、失われた記憶の断片があるような気がした。「リヴァイアス・ノート…」その名前を口にした瞬間、頭に鋭い痛みが走った。痛みと共に、銀髪の少女の声が聞こえた。
『零時、必ず会いに来るから…』
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夕暮れの柔らかな光が窓から差し込み、部屋に長い影を落としていた。霧島遥はソファに腰掛け、午前中の奇妙な体験を反芻していた。講義中、突然意識が砂漠の戦場に飛んだこと。銀髪の男性が何かと戦う姿。
「幻覚なんかじゃない」遥は静かに呟いた。
彼女は自分の感情を確認するように胸に手を当てた。いつもなら感情を押し殺す彼女だったが、今は心が不思議な高揚感で満ちていた。施設で育った彼女は、波風を立てないように、感情を表に出さないように教育されてきた。それは自分を守るための手段だった。
インターホンが鳴り、彼女は我に返った。モニターには見知らぬ男性が映っていた。警戒心を高めつつも、彼女は応答した。
「どちら様ですか?」遥の声は冷静を装っていたが、心拍数は上がっていた。
「霧島遥さんでしょうか」落ち着いた声が聞こえた。「次元技術庁の鳴海零時です。少しお話ししてもよろしいでしょうか」
次元技術庁——遥は眉をひそめた。なぜ政府機関が彼女を訪ねてきたのか。警戒心と好奇心が混じり合う。
「何のご用件ですか?」
「今日あなたが体験された…共鳴現象について、お話があります」
遥は息を呑んだ。午前中の体験を誰かが知っている?「少しだけなら」
彼女はドアを開け、鳴海零時を迎え入れた。予想以上に背が高く、近くで見ると疲労の色が浮かんでいた。彼の眼鏡の縁には小さなディスプレイが組み込まれ、データが流れていた。その眼鏡の奥の瞳には、何かを必死に探し求める決意が宿っていた。
「どうぞ、こちらへ」遥は彼をリビングへ案内した。「お茶をお出ししましょうか?」
「ありがとうございます」鳴海はソファに座りながら言った。彼は部屋を見回し、「素敵なアパートですね」と微笑んだ。
「次元技術庁って、なんかSF映画みたいな名前ですね」遥は緊張を和らげるために言った。
鳴海は小さく笑った。「まあ、実際はもっと地味ですよ。徹夜とコーヒーで回ってる無機質な職場です」
「意外と人間臭いんですね」遥の口元が少し緩んだ。
「君だって、感情を隠すの上手いじゃないか」鳴海の軽い言葉に、遥は一瞬言葉を詰まらせた。彼に見透かされているような感覚に、胸が締め付けられる。
数分後、鳴海は彼女のリビングに座っていた。彼の穏やかな物腰が、無意識のうちに遥の緊張を解いていく。彼に危険は感じなかった。むしろ、彼の瞳の奥に見える喪失感に、遥は不思議な親近感を覚えた。
「霧島さん、今日の午前10時15分頃、あなたは講義中に意識が別の場所に飛んだように感じませんでしたか?赤い砂漠、戦闘、紫色の光…」
遥の指がカップを強く握りしめた。「どうしてそれを?」
「見張られていたの?それとも私の心でも読めるの?」遥の皮肉めいた言葉には、恐怖と好奇心が混じっていた。
鳴海は微笑んだ。「どちらでもありません。私たちの研究室で検出した共鳴現象があなたに繋がっていたんです」彼はタブレットを取り出し、画面をスワイプした。「こんなに強い反応は初めてですよ」
「共鳴現象?それがあなたたちの作り出した科学用語?」遥は腕を組んで挑むように問いかけた。
「共鳴は感情の強い個人の意識が次元の壁を越える現象です」鳴海は穏やかな声で説明した。「簡単に言えば、二つの意識が同期して、感情や記憶、時には意識そのものが共有されるんです。あなたの意識は、アストラリアにいる誰かと強く共鳴した」
「アストラリア?」遥の声には懐疑が滲んだ。「そんな非科学的な話を信じろというの?」
しかし彼女の目は、彼の説明に食い入るように見つめていた。
「砂漠で戦う銀髪の男性…彼は本当にいるんですか?」思わず口にした言葉に、鳴海の目が輝いた。
「彼の名前はリヴァイアス・ノート」鳴海の声は低く落ち着いていた。タブレットを操作すると、半透明のホログラムが浮かび上がり、銀髪の男性の姿が映し出された。「バランサーズという組織に所属する戦士です」
ホログラムに映る男性の姿に、遥の胸が高鳴った。講義中に見た銀髪の男性と同じだった。緑の瞳が透き通るように鮮やかで、彼女の記憶より一層生々しい。
「霧島さん、あなたには特別な能力があります」鳴海は静かに言った。「共感共鳴と呼ばれる、他者の感情を視覚化し、共感によって増幅する力です」
「馬鹿げています」遥は論理で反論したが、内心では動揺していた。リヴァイアスという名前が、すでに知っているかのように自然に響く。
「科学的に証明できるんですか?」彼女は挑むように問いかけた。
「共鳴現象は科学と魔法の境界線上にあります」鳴海は説明した。彼のペンダントから小さな光が漏れていた。「科学では説明しきれない現象が、私たちの世界には溢れている。火の正体を知らなかった古代人が魔法と呼んだように」
彼はポケットから小さなデバイスを取り出し、テーブルに置いた。デバイスが起動すると、二つの波形が完全に同期したホログラムが浮かび上がった。青と紫の光が絡み合う美しい光景だった。
「これが、あなたとリヴァイアスの意識の波形です」
遥は半信半疑で波形を見つめた。「もし本当なら、私が今考えていることも知っているでしょう?」
鳴海は静かに頭を振った。「共鳴は常に起きているわけではありません。特定の条件が揃った時だけです」彼はためらいながら続けた。「私も…かつて誰かと共鳴していました。25歳の時、5歳の時です」
遥は鳴海の表情の変化を見逃さなかった。彼の目に浮かぶ痛みと喪失感。「どんな条件?」
「それが私たちも完全には解明できていない部分です」鳴海は率直に認めた。「あなたとリヴァイアスには特別な繋がりがあるのかもしれません」
遥の頬が青ざめた。彼の説明があまりにも正確で、論理では否定できなかった。
「私…何を見たんですか?何が起きているんですか?」彼女の声は普段の冷静さを失っていた。
「共鳴現象です」鳴海は真剣な眼差しで言った。「現代日本とアストラリアという二つの世界が、『共鳴点』を通じて繋がっています。あなたとリヴァイアスは特に強く共鳴している」彼は一瞬言葉を選び、続けた。「しかし、それは危険です。強すぎる共鳴は精神を侵食し、最悪の場合…」
鳴海の声が途切れた。彼の指がテーブルの縁を強く握りしめ、どこか遠くを見つめるような目になった。
「あなた自身も経験したことがある」遥は鋭く指摘した。
窓の外で、夕日が沈み始めていた。空が徐々に紫色を帯びていく。
「私は5歳の時、次元転移実験に巻き込まれました」鳴海はゆっくりと語り始めた。眼鏡を外し、疲れた目をこすった。「3日間、行方不明になり、戻った時には両親は事故で…」彼は言葉を詰まらせた。「私の記憶にはその3日間の空白があります」
彼は一瞬目を閉じた。「時々、銀髪の少女の姿が見えるんです。彼女は私を守ろうとしていたような…でも、その記憶も霧の中で、掴もうとすると消えてしまう」彼は苦しそうに息を吐いた。「だから私は記憶術式の研究者になりました。失った記憶を取り戻すために」
遥は黙って聞いていた。彼女の論理的思考は事実を求めていたが、心は鳴海の悲しみに反応していた。銀髪の少女という言葉に、彼女の胸が奇妙に熱くなった。
「私も…感情を抑えて生きてきました」遥は思いがけず口を開いた。「施設で育って、波風を立てないよう生きてきた。感情を表に出せば、傷つくと学んだから」彼女は自分の言葉に驚きながらも、続けた。「だから、あなたの気持ちが少しわかる気がします」
鳴海は驚いたように遥を見つめた。彼の目に、微かな感謝の色が浮かんだ。二人の間に、言葉にならない理解が生まれた瞬間だった。
「私は…何をすればいいんですか?」遥は最後に問いかけた。
「境界評議会があなたに接触するでしょう」鳴海は立ち上がりながら言った。「『境界人交換プログラム』への参加を勧めるはずです」
彼はポケットから小さなカードを取り出し、テーブルに置いた。「何かあれば、この番号に連絡を」
去り際、鳴海は最後に振り返った。「共鳴現象は偶然ではありません。あなたとリヴァイアスには、何らかの繋がりがあるのかもしれない。そして…」彼は言葉を選ぶように一瞬躊躇した。「私も含めて、三人には見えない糸で結ばれているような気がします」
遥の目が大きく開いた。彼の言葉が彼女の内側に反響し、奇妙な確信となって広がっていった。
---
ドアが閉まり、遥は一人残された。彼女の論理的思考は混乱していたが、心の奥で何かが目覚め始めていた。彼女は震える指で自分の頬に触れ、湿り気を感じた。いつの間にか、涙が流れていた。
「何これ…」遥は小さく呟いた。
その時、スマートフォンが鳴った。画面には「美咲」と表示されている。遥は深呼吸し、感情を抑え込もうとしたが、今回は完全には成功しなかった。
「もしもし」
「遥、大丈夫?今日の講義で突然席を立ったけど…」美咲の声には心配が滲んでいた。
遥は微かに驚いた。普段なら誰も彼女の変化に気づかないはずだった。「ちょっと気分が悪くなっただけ」彼女は言い訳をしようとしたが、心の奥で何かが彼女を止めた。
「嘘はやめて」美咲の声が真剣になった。「授業中、あなたの目が紫色に光ったのを見たわ。それに、あなたの周りに砂が舞ったような…」
遥の心臓が跳ねた。「美咲、今すぐ来てくれない?話があるの」彼女自身、自分の声の上ずりに驚いた。
20分後、美咲と遥はリビングで向かい合っていた。長い黒髪と知的な瞳を持つ美咲は、遥の数少ない友人だった。彼女は遥を見つめ、「あなた、泣いたの?」と優しく尋ねた。
「実は…」遥は躊躇いながらも、今日の体験と鳴海の訪問について話し始めた。話しながら、彼女は自分が感情をあらわにしていることに気づき、一瞬言葉を詰まらせた。
美咲は驚きに目を見開いたが、すぐに真剣な表情になった。「実は、私もずっと言えなかったことがあるの」彼女は深呼吸した。「私の母は、境界評議会のメンバーだった」
「なんですって?」遥の表情が崩れた。
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