第5話(空の上で)

「空たかー⋯⋯」


 鳥の爪がパーカーを突き破って肩が痛いが、もうそんな事どうでもよくなるくらい空高く舞い上がらされている。

 警察庁を出た。

 ら、いきなり掻っ攫われた。

 誰も何も反応出来なかった。それくらい早速かったし、的確だった。

 このままどこへ連れていかれるのだろうか。姿はほとんど見えなかったが、鋭い爪のようなもので運ばれているので恐らく鳥類かな。雛鳥のエサとか嫌だなぁ⋯⋯。

 下を見ると、住宅街を抜けて翔真と晃が追ってきてくれている。

 翔真はさすが足速いなぁ。

 なんてのんびり考えていると、いきなりピタリと運搬者の動きが止まった。


「あっ」

「あっ、じゃねぇよ。何してんだお前」


 思わず夏椎が零すと、眼前で柚木が眉を顰めていた。


「警察庁を出たらいきなり⋯⋯」

「⋯⋯『迷い子のシルシ』なし攫いは重罪だぞ、柊」


 何やら見たことの無い巨大な白い鳥に乗った柚木は、夏椎の話を遮り運搬者に目を向ける。

 柊、と呼ばれた運搬者は、女性のような高い声で淡々と答えた。


「ゼウス様に連れてくるよう言われたから、連れていくだけ」


 どこに?


 夏椎が口を挟む暇なく、柚木はため息をついた。


「あのなぁ、本人の許可なく連れていくのは誘拐ってんだ」

「許可なら今とる」

「だってよ、夏椎」

「許可しません」


 突然話を振られ、夏椎は戸惑いながらも何とかそれだけは振り絞った。


「そう⋯⋯」


 柊は残念そうに声を落とす。あまりに残念そうだったので絆されかけるが、夏椎にはまず自宅に帰ってやることがあるのだ。今は知らない所へ行く時間的余裕はない。


「あの、明日なら大丈夫ですから⋯⋯」

「明日⋯⋯」

「ゼウスには俺から言っとくから、とりあえず夏椎を離せ」


 柚木がそう言うと、柊は静かに目を輝かせた。


「それなら助かる」


 ぱっと柊は夏椎から足を離した。

 無論、空中で。


「え」

「下ろしてやれよ!」

「あ、ごめん」


 真っ逆さまに落ちていく夏椎を、先回りした柚木が受け止める。

 

 びっくりした。びっっくりした!

 

 バクバクと心臓の音が聴こえる。うるさいくらいに。そして次に感じたのはもふりとした感触だった。柚木が乗る白い鳥はとても柔らかい。


「これが羽毛⋯⋯」

「おい、しっかりしろ」


 柚木にデコピンされた。地味に痛い。額を押さえる夏椎の前に、ずいっと綺麗な顔立ちの女性が近付く。


「明日、これくらいの時間に迎えに来る」


 肩まで伸びた桃色の髪がふわふわと揺れている。

 腕に鳥の羽根が生えた、奇妙な出で立ちの女性だった。睫毛や瞳までもが桃色で、くりくりとした瞳が伺うように夏椎を見上げている。


「あの⋯⋯どこに行く予定だったんですか?」


 一応尋ねると、柊は柔らかく微笑んで言った。


「ゼウス様が、神族の気配がするけど知らない奴だから連れて来いって」

「し、しんぞく⋯⋯?親族?」

「柚木地区長、ちゃんとゼウス様に言っておいて。サボりだと思われたら困る」

「あーはいはい。ったく、そういう事なら先に言えよ。お前も警察官なんだから」


 警察官が誘拐するなんて⋯⋯。


 夏椎は何とも言えず押し黙った。とりあえず柚木をじっと見つめておく。柚木は苦笑いを返して、去っていく柊を見送った。


「口下手な部下が悪いことしたな」

「全くもって何も理解できてないんですが、なんで俺攫われたんですか?」

「あぁ、あー⋯⋯」


 柚木は口ごもった。何度かあー、と唸った後、はぁ、と深いため息をつく。


「⋯⋯いや、もう面倒くせぇな。俺の疑問をそのままぶつけるなら、なんでお前は人間のガワを着てんだ?」

「がわ?」


 何を言われているのかさっぱり分からない。

 白い巨鳥は優雅に羽ばたいている。とても静かな羽音だった。だから、柚木の声もよく耳に届く。

 澄んだ声が、疑念をはらみながら夏椎を射抜くようだった。


「お前から魔族やら神やら、色んな種族の気配がする」

「⋯⋯はぁ?」

「お前の母親と父親は?」


 夏椎は首を傾げた。柚木の言っていることがこれっぽっちも理解できない。


「父さんは人間だと思いますけど⋯?⋯⋯母さんは、俺が産まれる時死んだので分かりません」


 母親の写真は見たことがあるが、病室で映っていた写真では人間に見えた。

 父親と母親は、病院で出逢ったと聞いている。心臓病で長く生きられないと分かっていた母が、どうしても生きた証を残したいと俺を産んだんだと。その命と引き換えに。まだ15歳だった龍司に全てを託して。

 

 そんな2人が人間でないとは、到底思えない。


 俺は何も聞かされていないし、父さんも何も言わなかった。


「⋯⋯そうかよ」


 真っ直ぐに見つめる夏椎にそれ以上何も言えず、柚木は押し黙った。夏椎が親のことを知らないなら仕方がない。

 亡くなった者を冒涜するような聞き方もしたくない。

 柚木は言葉を選びながら、夏椎の目を見る。今は黒い瞳だ。先程の異様な赤は奥へ潜んでいるのか、それとも発動に条件があるのか。

 柚木は長い睫毛を伏せた。


「――夏椎。これからも他の種族がお前を呼びに来ると思うから、とりあえずまずは俺に相談しろ」

「何でですか?」

「俺ならアイツらと対等に話せる」


 夏椎が口を開きかけたその瞬間、身体がぐいっと引っ張られた。


「夏椎!」


 翔真と晃に同時に引き寄せられ、きつく抱きしめられる。いつの間にか随分地上に降りてきていたしい。2人と合流して、夏椎もほっと息をついた。


「なに、あのハーピー!」

「うちの部下が申し訳ない」

「柚ぽん、管理不行き届き!夏椎連れてくのダメ絶対!」

「逆らえない上からの命令だそうなので、許してやってくれよ。ちゃんと文句言っとくから」

「当たり前だ!」


 2人の怒りが真っ直ぐに向けられて柚木はたじろぐ。でも怒られて然りなので柚木は反論もせず黙って受け入れた。


「柚木さん、その鳥⋯⋯」

「ん?あぁ、俺のペット」


 クゥ、と白い巨鳥が柚木に擦り寄った。


「可愛い⋯⋯」

「だろ?俺はこのままゼウスのアホに文句言ってくるから、とりあえずお前らは『兎の目』に行っとけ。後で俺も行くから」

「柚木さん、俺何が何だか分からないんですけど」

「後で順を追って説明してやるから。晃、翔真、油断せずにちゃんと連れてけよ」


 返事を待たずに、柚木はまた白い鳥に乗って飛んでいってしまった。

 魔族やら神やら、なんのことかさっぱり分からない。人間ではないかもしれないと言われても夏椎に思い当たる節はない。節はないが、柚木が言うならそうなのだろうか。

 柚木には一体何が見えているのだろう。

 柚木が何者かは分からないが、味方でいてくれそうなことは夏椎にも理解出来る。

 警察官と言うことを差し引いても、柚木には悪意が感じられない。純粋に心配してくれているのが分かるし、空の上から落とされた時もすぐに助けに来てくれた。

 

 とにかく、今はそれで十分か。

 

 夏椎が2人を見上げると、2人も不安そうに夏椎を見つめていた。大丈夫、この2人も味方だ。夏椎は無理やりにでも笑顔を見せる。


「怪我もしてないし、大丈夫!」


 パーカーはちょっと破れたけどな!

 それは言わずにおいて、夏椎は立ち上がった。破れたパーカーの中に傷はない。


「も〜、ほんっと⋯⋯心臓に悪い」

「夏椎、手を繋ぐぞ。これなら攫われても一緒だ」

「あ、じゃあ俺も!」

「いや、さすがに恥ずかしいからやめとこ?」


 翔真も晃も、無視して夏椎の手を繋いだ3人で手を繋ぐなんて、まるで幼稚園児みたいだ。

 そうして、『兎の目』までの道を歩く。道行く人に見られている気がするのは、きっと気のせいではない。

 でも、安心は出来た。

 まだ少し心臓がうるさかったから。

 それに、柚木の言葉がずっと反芻していたから。


「なんでお前は人間のガワを着てんだ?」


 ⋯⋯心の奥底にしまっていた疑問が、蓋を開け出てこようとする。

 夏椎は気付いていた。柊に掴まれた時、背中に血が伝わったのを。

 無事なわけがなかった。鋭い爪は、肉を離さず掴む猛禽類の爪だ。

 パーカーが赤色で良かった。

 気付かれないように。悟られないように。

 まだ、知られたくない。知りたくない。一体自分が何者かなんて。

 ただ。

 物心ついたころから、病気どころかまともな怪我などした事がなかったと。

 そしてそれを龍司も気に留めていなかったことを思い出して、夏椎は薄ら寒さを覚えた。

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