華麗なる転身

木村 瞭 

第1章 OLから高校教師に

第1話 新人フォロー研修で麗奈が失態を犯した

 斉木麗奈は相田健一が入社した二年後に同じ人事課に配属されて来た。健一の真向かいにデスクの席を与えられた麗奈は、程無く、健一とペアで仕事を行うことになった。歳の近い健一に麗奈の指導と教育を担わせようと言う係長の意図でもあった。

健一は教え導くなどと言う大それた考えは持たなかった。信頼される頼りになる先輩として振る舞うことを心掛けた。それは上から目線の強圧的なやり方ではなく、麗奈が示す疑問や質問には丁寧に答えて教え、麗奈の自主性と主体性を重んじる導き方だった。会社の人事理念や方針、制度の基本的な考え方や運用の在り方、実務の進め方や処理方法などの一つ一つを噛んで含めるように懇切丁寧に教えた。麗奈にはやらされる強制的な思いは無く、自ら進んで自主的に仕事に挑むことの面白さを彼女は次第に味わえるようになって行った。


 だが、入社三カ月後の新人フォロー研修で麗奈が失態を犯した。

それは二泊三日の合宿研修で、関西地区の新人達を集めて、京都嵐山の小さな日本旅館を借り切って行われた。

合宿二日目の夜、夕食後の自由時間に新人達は連れ立って散策に出向いたが、市内の繁華街へ出かけた麗奈たち三人は門限時刻の十一時を過ぎても戻って来なかった。監督官として研修を取り仕切っていた健一は旅館玄関口の上がり框に腰掛けて麗奈たちが戻るのを一人待ち続けた。

門限時刻が一時間ほど過ぎた十二時前になって麗奈たちは帰って来た。玄関の引き戸を開けて三和土に立った三人は、其処に健一が腕を組んで座っているのを見て顔色を変えた。麗奈の他に男子一人と女子一人の同期生だった。彼等は何も言わず一斉に頭を低く垂れて畏まった。健一は三人を見やりながら言った。

「明日の朝七時、朝食の前に三人で僕の部屋へ来なさい。今日はもう風呂にでも入って早く寝なさい」

翌朝早く、健一の部屋にやって来た三人は直ぐに正座して詫びを言った。

「真実に申し訳ありませんでした!」

「済みませんでした。申し訳ありません」

「解かった、もう良い」

健一は取り立てて叱責しなかった。ただ一言、こう言った。

「君たちが帰って来るまでの間、皆は心配顔で碌に話もせず、僕の横で立ったり座ったりして待って居たんだ。そのことだけは肝に銘じて置くんだな」

健一のその言葉を聞いて、麗奈は泣き出し、他の二人も鼻を啜った。

研修者全員が揃った朝食の席で健一が簡潔に話した。

「門限に遅れた三人は今朝早く僕の部屋へ謝罪に来た。皆に心配をかけて大変申し訳なかった、と三人は泣いて謝った。だから、もうこのことは忘れてやって欲しい。縁あって一緒に入社した仲間だ。今日も一日、皆で頑張って研修をやろう、良いね!」

皆に異存は無かった。朝の朝食が元気に始まった。


 翌日、普段の仕事に戻った健一は係長に研修報告をする為に席を立った時、麗奈にも声を掛けた。

「一緒に行こう。君も研修担当者としての報告義務が有るだろうから、な」

報告の中には、当然のことながら、門限遅れの件も入れざるを得なかった。最後にそれを報告した後、健一は言った。

「責任は全て私に在ります。斉木君にも人事課員としての自覚の欠如があったかもしれませんが、然し、彼女は未だ入社三か月の新人です。門限時刻を徹底しなかった私の責任です。叱責は全て私がお受け致します」

話す健一の横顔を見ながら、麗奈は泣きたいくらいに胸が震えた。

 その日から、麗奈は健一に全幅の信頼を寄せるようになった。そして、未だ二十代前半だった二人は、会社の帰りにお茶を喫んだり食事をしたり酒を飲んだり、一緒にコンサートに出かけたり映画を観たりして、急速に親しくなり仲良くなって行った。

 

 麗奈はなかなかの美形だった。背中まで垂れた長い栗色の髪、良く動く黒い瞳、ツンと先の尖った鼻、心持ち捲れ上がった唇、ミニの裾からすらりと伸びた小麦色の足は艶やかで伸びやか、身体全体から熱情が迸るような二十二歳だった。麗奈は冷たく冴えわたるような美貌ではなかった。愛くるしさの残る可憐な紅い華の趣が在った。呼びかけられて、キュッと振り向く表情が、眼の光が、チャーミングだったし、大きな瞳が輝いて瞬いた。南国徳島で生まれ育ち、京都の有名私立大学の文学部で日本史を専攻して来たとのことだった。


健一は両親と妹の四人家族で京都下鴨北白川の閑静な住宅街に住まっていた。父親は大会社の部長職で母親は華道の名取師範、麗奈と同い歳の妹は四大を卒業して大手商社に勤めるOLになった。兄妹は厳粛ではあるが寛容でもある両親によって健やかに暖かく育まれ、芯の強い、人や自然に思いを馳せる優しい人間に育った。

 健一は子供の頃、妹が意地悪の女の子や餓鬼大将に虐められたりすると、相手が上級生であっても誰彼構わずに食って掛かり、抗議して妹を助け、護った。

「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」と慕う妹を、一生守ってやろう、と固く心に誓っていた。

高校二年の時、剣道部の仲間が健一と同級の女生徒を秘かに熱愛していることを知った彼は二人の仲を取り持ってやった。

「相田さんが推す人なら間違いなさそうね、解かったわ、一度逢って話してみるわ」

相手の女生徒はそう言って聡の話を了承した。

高校を卒業した時、健一は秘かに思いを寄せていた同級の女の子から告別の手紙を受け取った。

「紅き花の咲き行く如く情熱を燃やした日よ。去り行きし日の慕わしさ、あなたと共に在りせばこそ。三年一組のホープ、相田さん。いつまでもお元気でね。私を悲しい時、思い出して下さいね、そして、闘って!さようなら!さようなら!別れ行く今宵よ、星はせめて耀け、やさしくまた逢う日はいつ、我知らず、せめて捧げん。あなたの御健康とご幸福を心からお祈りします。木村遼子」

飛び上がらんばかりに喜んだ健一は直ぐに彼女の家を訪ねた、手籠一杯にチョコレートや菓子を詰め込んで・・・スキップしながら・・・。

だが、彼女は居なかった。数日前に東京へ一家で引っ越して行ったと言う。何処へ行ったのか、近所の人は知らなかった。健一は泣いた。近くの山の頂に登って声を限りに彼女の名前を呼んだ。返って来たのは麓からの木霊だけだった。零れ落ちる涙が沈み行く夕陽にきらきらと光った。健一は初恋を無くしたが彼女の面影は胸に焼き付いて残った。

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