第2話 ちょんまげと中華まん(2)

お相撲さんのまげを結う専門の仕事。

日本に50人しかいない幻の職業に鼓動が速くなる。

こんなチャンス滅多にない!!!


獲物を見つけたオオカミのようによだれが出そうになるのを我慢してメモ帳代わりの漢字ノートを開く(わたしは四角いマス目好きなので昔から漢字ノートを使ってる)。


わたしの一挙手一投足に、女性恐怖症の滝丸はビクついている。

申し訳ないけど今、頭の中は床山に対する興味で破裂寸前なんだ。ごめんね。



「床玉さんは本名?じゃないですよね?」


まばたきもせず滝丸の髪だけを見つめながら、床玉さんはわたしの質問に答えてくれる。


「床山はね、床山名として先頭の文字が「床」の名前をみんな名乗るんだ。だから本名じゃないよ。力士・行司・呼出と一緒に各相撲部屋に所属して、ここで寝起きしながら力士の髷をセットするんだよ。」


丁寧に滝丸の髪をほぐす床玉さん。

滝丸は少し痛そうな顔をしている。


「スポーツで髪型の専門がいるのって珍しいですよね。相撲だけじゃないですか?」


「そうかもね。すごく特殊な職業かも。あぁ、ほら。あっちにいるのは僕の先輩の床永とこなが床月とこつき。あっちはその上の床西とこにし。」


「プリキュアみたいですね。」


「え?何?」


「スイマセン何でもないです。」


滝丸の髪をくしで丁寧にとかしながら、床玉さんはフランクに話してくれるけど、真剣な顔つきは"職人"って感じだ。


「床山には等級があってね。一番上が特等床山。その次が一等床山。僕は床山になって15年くらいの三等床山。」


床玉さんが何やらヘアオイルのようなものを髪全体に馴染ませている。

お相撲さんのちょんまげって、ほどくとわたしより長いんだ。

滝丸の方を見ると、ふぅーっと大きく息を吸ったり吐いたり。

こころなしか小刻みに震えている気がする。

ごめんね。もうすぐ終わるからね。



「"相撲"ってね、職業というより、祭事とか神事としての側面が強いんだよね。古くから日本の文化に根付いているものだから。だから僕たち床山も力士たちも世間からしたら不思議な"仕事"かもね。」


「特に床山さんはテレビにも映らないですもんね。スゴいです。わたし、そういう目に見えない仕事を取材することがほんとに生き甲斐で。」


「偉いねぇ。鮫川さん。自分の仕事にそう言い切れるのは素晴らしい。俺達も一緒。相撲の主役は勿論力士なんだけど、それを支える技術をずっとずっと受け継いでるんだよなぁ。誇らしいよ。伝統ってのは。」


床玉さんが手を止めてわたしの目を見てにっこりと笑った。

嬉しさで身体がビリビリと痺れる。

これこれ。この感覚。この感じが好きなんだ。

わたし。



「ホントは力士の取材に来たのに俺の取材になっちゃったねぇ。ごめんなぁ。滝。」


綺麗に解いた髪を中央に集めて、綺麗な形の丁髷ちょんまげが出来上がった。

緊張で震えていた滝丸は、眉毛がハの字にして困ったようなホッとしたような表情をしていた。


「もうそろそろちゃんこができるころだから鮫川さんも食べるといいよ。ちゃんこ作りも力士の立派な仕事なんだよ。」


大きな鍋を持ってきた若い力士がわたしの分のちゃんこをよそってくれた。

初めて知ったんだけど、お相撲さんが食べる料理全般のことを"ちゃんこ"って呼ぶらしい。


野菜とお肉がたっぷりのお鍋。出汁の味が染みててすっごく美味しい。

野菜の下からどんどん出てくるお肉。

ポン酢があっさりしてていくらでも食べられそう。

言葉通りほっぺが落ちそうなくらい美味しい。

七重部屋の力士たちもみんなニコニコしてちゃんこを食べている。


「滝丸さん、すいません。時間が来ちゃったのでわたし今日はもう帰らないと行けないんです…。また必ず力士の取材にお邪魔させてください。」


ちゃんこを食べている滝丸に小声で話しかけると滝丸は箸を止めてわたしの方を恐る恐る見た。


「こ…こちら…そ…すません…っした。」


一生懸命わたしと話そうとしてくれてるのが伝わる。


「ぼ僕…も…ぁんぁり…っす。」


「は、はい?」


「…ガがんばります…。」


「うん。応援してます。」


滝丸は顔を真っ赤にしてちゃんこのおわんに顔を向けた。

わたしも昔、心の病気だったからわかる。

苦手なモノに目を向けるのは凄く凄く怖いんだ。

逃げ出したいけど、誰か手を差し伸べてくれる人が必要なんだ。


「また今度来た時も話しかけていいですか?」


「…は!は、ハィ…」


「滝丸!お前良かったな!こんな綺麗なお姉さんと話せて!また来てくれるってんだから気張れよ!」


「…ウス。」


七重部屋の力士たちの笑い声に包まれる。

ちゃんこを食べ終わったわたしは両手を合わせて

「ごっつぁんです。」と一礼してその日の取材を終えた。







✳✳✳✳






「お疲れさまでしたー。」


午後18時30分。退社。

徒歩で通勤しているわたしは、基本何処にもよらずにまっすぐ家に帰るんだけど。

帰宅途中、ふと目についたコンビニに吸い込まれるように入店。


「いろいろ売ってるから買ってみ?全部美味ぇから」

「先輩、アメリカンドッグ食べたら気絶すると思います。」


という編集長と潮田の言葉を思い出す。


初めて手ぶらでレジに向かう違和感と緊張感。


「あの…アメリカンドッグ…、ってありますか…?」


「アメリカンドッグですね。ケチャップはお付けしますか?」


けっ!ケチャップ!?アメリカンドッグにはケチャップを付けて食べるらしい。アッはい!お願いシマス!と早口で答える。


「他にご注文ありませんか?」


「えっと、あの…ピザまんも1つ…。」


「すいません。ピザまん、今売り切れちゃってるんです。」


ピザまんは売り切れか…。

やっぱり人気商品なんだ。

だってあんなに美味しいんだもん。


結局、アメリカンドッグを1つ購入してコンビニを後にする。

なんと1つ148円。

果たしてほんとにわたしはこれで気絶するのだろうか…。




今わたしが住んでいるのは海沿いの古い一軒家。

家賃65000円。築40年。壁が薄くて少し寒い。


そこから徒歩5分ほど。

海岸のテトラポッドが私のお気に入りの場所。


今日もわたしはここに腰掛けて大きな海を見つめる。


秋の訪れを告げる波の音。

優しい10月の風の音。

ゆっくりと豪快に揺れる松の木。

大きな犬の背中みたいなテトラの感触。


毎晩仕事終わりにはこのテトラポットの特等席に座って、海を眺めながらひとりで反省会をするのが日課だ。



床山の仕事をまとめたわたしの記事にはたくさんのコメントが付いた。


裏方の仕事だけど、粋でカッコいい!

日本の伝統文化は素晴らしい。

職人の卓越した技術。初めて知りました。


というようなコメントが若者から寄せられたりすると凄く嬉しい。

わたしの記事は、誰かの歯車を少しだけ動かしてあげられるんだ。


昔は自分の生き方や仕事に自信を持てなかったけど、最近は自分の意思を明確に持てるようになったと思う。

わたしの夢は、世の中のいろんな仕事を取材して、誰かに伝えること。

この世の中をこっそり支えているたくさんの人たちのことを知ってもらうこと。


常識的な部分はまだ欠落しているかも知れないけど。

誰の為に、何が幸せで、今わたしは生きて、この仕事をしているのか。

自分の答えを見つけられた今、すごく大人になったな、と思う。


目を瞑って、規則的な波の音を全身で浴びる。

月明かりで照らされるルビーのようなケチャップ。

アメリカンドッグをひと口食べる。




「ぅぅぅう゛っっまぁあ゛ぁぁあぃ゛い!!」









第3話に続く…






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