第9話

 その日も、海流は書店やゲーセン巡りをを終えると日課の鍛錬をこなした後、門限以内に転移陣で帰宅した。

 ちなみにこの転移陣は市販の固定式でもマットに描かれた物でもない。

『錬石術師』の最高峰、櫻井迦允が愛息子に特別に造り上げた物だ。

 魔術に頼らないマナ自動充填式ミスト型魔道具で、マナネットワークが敷かれた場ならいつでも繰り返し使える。

 魔術師が描く1回限りの転移陣のように、空でも地面にでもワンプッシュするだけでマナミストが広がり、転移陣が描かれると言う、櫻井家の聖書『みらドラ』にも登場した『どこにでもドア』的なトンデモグッズである。転移場の指定も脳内に想い描くだけなので簡単だ。

 この魔法陣は確実に櫻井のマナネットワークを通る=櫻井サイバー犯罪対策班の個人照会が自動で行われる=防犯対策ばっちり!!。

 なので脛に傷を持つような反社会的人物は使えないシロモノになっている。

 その為、魔術が使える高位貴族でも迦允が造った魔道具の廉価版をこぞって櫻井の血族に作成を依頼し、子息子女に持たせていたりもする。

 防犯対策の無いただの魔法陣なんて、描き間違えていたらどこに飛ばされるやらわかったものでもないからね。


 そんなこんなで屋敷の生体認証ゲートを問題なく潜り抜け、長い道を歩き海流は玄関のノブに手をかけた。

 こちらも生体認証クリア、カチャリとロックが外れる音がする。


 珍しいな。

 海流は独り言ちる。


 乃蒼が帰宅したら即システムロックをかけやがる乃蒼贔屓の家令の奴、とうとう呆けが入ったか?乃蒼さえ帰宅したら俺様が帰る時間を見越していつも完全ロックで遮断してくるくせに。

 まあ、また転移陣ミストを吹いたり自室によじ登らなくて良いから構いやしねーが。


 海流が鍵を開けた扉の先の玄関ホールはガランとしていた。

 ひとつ目の生体認証ゲートを通った時点で海流が帰宅した事はメイド共にも伝わるはずだが、誰一人迎えに来ない。この屋敷に俺様の味方はウザいクソ親父しか居ないから慣れたものだが。


 一応

「帰った」

 と言ってみる。


 が。答える声すら無し。

 毎日の事だ。


 海流は帰宅したその足でキッチンに向かった。

 己れの夕食を己れで確保する為だ。

 なにせ迦允が帰宅しない日は料理人の奴らもグルになり、あからさまな嫌がらせ……海流の食事を作らないからである。


 キッチンに入るとまだサーブしていなかったらしい乃蒼のデザートがあった。


 てことは今は晩餐室に乃蒼が居んのか。


 と海流はただ考えただけだったのに、料理人とメイド達は身を挺して料理の前に立ちはだかりガードしながら海流を睨み付けた。


「けっ!」

 へいへい。毒なんざ持ってもねえし造れもしねえの知ってんだろ?ひっくり返したりもしねえよ、ご苦労さんなこって。

 一度だって俺様はんな事をしたこたぁ無いのに、コイツらときたら想像力たくましい櫻井の血族になんか吹き込まれて信じ込んでんだよな。

 はー、ダっる。


 海流は彼らを総無視する事にすると冷蔵庫を勝手に開けた。

 料理人達が気色ばむが、無視だ無視。


 慣れた手つきでウインナーとレタス、ケチャップとマスタードソースとオレンジジュースの瓶を取り出す。そしてもってパンの棚からバケットを掻っ攫うと手で大胆に割り、先程取り出したウインナーと一緒にオーブンに突っ込んだ。

 マナオーブンレンジの加熱スイッチをポチ。

 しばし待ち、待ち時間は乃蒼の為にだけ作られたが余っていた料理にちょっかいを出す振りをしてメイド達と遊ぶ。

 チンと音がして焼き上がったら取り出して、バケットにウインナーとレタスを挟みソースをこれでもかとかけまくると、海流特製のホットサンドの完成である。

 かーんせーい!ぱちぱちぱち。


 ガブリと喰らいつく。

 高級なウインナーからたっぷりと肉汁が溢れてうまうまだ。レタスもシャキシャキで良。乃蒼の為にだけ用意されていたのだろう食材だと思うとより美味さ格別である。

 海流が美味そうに咀嚼し、オレンジジュースは瓶に口を付けてラッパ飲みするのを料理人達は苦虫を噛み潰したような目で見て来るのが実に楽しい。

 ホットサンドを飲み込み、ゲフーと盛大にゲップしてやる。

 そして海流は中途半端に残ったオレンジジュースをダンッと食台に置き、ついでにまた冷蔵庫を開きツマミ用にサラミやチーズなどをテキトーに取り出してバッグに放り込むとキッチンを出た。

 嫌がらせには嫌がらせである。


 オレンジジュースは即刻で廃棄だろう。クハハ!俺様の為に仕事をする気分はどうだ?。せいぜい悔しがれや!ばーかばーか!。


 海流は心の中でキヒヒヒと笑いながら自室に向かうことにした。

 その時だった。


 どうやら海流が海流キッチンを開いていた間に乃蒼はデザートを食べ終えていたらしく、家令の莎丹(サタン)を伴って晩餐室から出てきたのである。


 慌てて海流は隣李の朝食室に滑り込んで息を潜めた。

 いや、堂々と自室に帰って良いのだが、長年の莎丹からの嫌がらせを思い出すと体が勝手に反応してしまったようで、悔しい。

 悔しいが顔を合わせると後が面倒なのでこれで良かったのだと、海流は自分をなぐさめる。


「何度でも申し上げますが、乃蒼様。此度も学年末試験で筆記、実技におきまして総合トップを取られました事、誠におめでたく。流石は次代の櫻井家の頭目であらせられます」


 はい、始まった。

 海流はケっと舌打ち、口を尖らせた。


「当たり前だろう?莎丹。僕は見るだけで吐き気を催す、およそ血が繋がっていると思いたくも無いどこかのゴミクズとは違うからね」

 莎丹による乃蒼のいつものヨイショに、乃蒼は迦允似の海流の茶髪と違い母譲りの艶やかな黒髪をファサりと払って、当然だと言わんばかりに……いや言いきって笑う。


 乃蒼の奴。お袋似のくせしてお袋の遺言とかまるで覚えちゃねーんだろうな、反吐が出る。

 まあ俺様もコイツと今更仲良く櫻井を盛り立てようとか寒気しかしねーし。

 っても昔は乃蒼もここまで俺を毛ぎらいしちゃいなかったんだがなぁ……。

 海流は遠い昔を思い出す。


 宰相の政務に忙しい迦允に代わって、海流は乳母と一緒に乃蒼にミルクを飲ませた事もあったのだ。

 あの頃の乃蒼は可愛かった。

 それが元々は迦允の弟「亜鈴(アベル)」付きの使用人だった莎丹が迦允の屋敷にやって来てから、おかしくなったと海流は思う。


 莎丹はじわじわと、だが顕著に乃蒼の周囲から海流を排除した。

 魔力量以外何も無い海流を馬鹿してせせら笑い、貶めし、迦允以外の櫻井の血族や使用人に至るまで「次代の頭目は『乃蒼』様だ!」と声高らかに言い出すよう周到に徹底的に乃蒼びいきに洗脳した。


 迦允も「海流の事」以外では有能な莎丹を切りきれなかったのだろう。

 年老いた先代の家令に代わり、周囲から櫻井家の家令の地位に推挙され、迦允の下命でその地位を得た莎丹はそれまでより一層苛烈に海流を排斥した。

 それでも迦允は海流を真っ直ぐに見て「芝蘭の遺言を信じているし、なにより海流自身を信じているよ」と笑うので、海流は年々辛くなる立場のなか、芝蘭の『未来視』を否定する事も出来ず苦しんでいるのだが。


 海流がキツく唇を噛み締める隣を

「ごもっともなお話、大変失礼をいたしました」

「ははっ構わないよ、亡き母上の代わりに僕のおしめを取り替えまでして育ててくれた莎丹と僕の仲じゃないか、もっと気楽に語りあおうよ」

「嗚呼……乃蒼様、恐れ多くも恐悦至極に存じます」

2人は楽しそうに海流をこき下ろしながら歩いてゆく。


 はいはい、乙乙。

 海流はそれとなくいつものように耳を塞ぐ。

 たとえ嫌味や侮蔑や嘲笑の言葉を言われ慣れていたって、悲しいものは悲しいし腹立たしいのだ。


 しかしなぜ?。

 人は耳を塞いでも、嫌な言葉はどうして海流の心に突き刺さってくるのだろうか?。


 2人と、いく人ものメイド達が朝食室の前を通って行く。


「しかし乃蒼様……気楽にと申されましても、私めにはもったいないお言葉でございますゆえ」

「そう畏まるな莎丹。これからも末長くよろしく頼むよ。お願いだ」

「おお……!乃蒼様、頭をお上げくださいませ!。この莎丹、命に代えましても櫻井家を、乃蒼様をお支えする所存でございます!」

「さたーん?また力んでいるぞ?」

「これは失礼を。リラックスでな?こう…ぐにゃーんと」

「ハハハ!普段の厳しい顔が蕩けて…ハハ、お前そんな顔も出来たんだな」

「乃蒼様が赤子の折にはこの様な顔も、あの様な顔もして喜んでいただきましたぞ」


 海流の視界からは見えないが、莎丹が乃蒼に百面相をしているようだ。


「ハハハハ!僕の腹を捩り切るつもりか?」

「はっはっは!実際に捩り切るならば、あのゴミカスの腹を切り拗り割いてぶちまけてみたいものですなあ」

 莎丹が下卑た笑いを返す。乃蒼も頷いて


「同感だ。父上がゴミにつけた護衛も、僕に付いてくれている秋夜と冬夜と違ってゴミカスに懐いていると聞くぞ?。東雲家の内紛の話はチラと耳にしただけだが、どうせ『生まれた順』にこだわる僕の父上に家督を継がされただけのゲロ同等の愚図共だろう。まとめて仕末したいものだな」


 鼻で笑う乃蒼の言葉に海流はカッとなった。


 はあ?!オレの事はいい。

 だが春日と夏日に手を出すだと?!。

 ならこっちは東雲の2人に「ダークネス・ダーマ・リヴァイアサン」と「アテルマ・アルティメット・バハムート」を同時召喚させて、テメェらなんざ塵どころか魂の石「プシュケ」も残さず消滅させてやるわ!。

 たった1体でだって1億人程度の国民を抱える小国ならブレスひと吐きで壊滅出来る召喚獣だぜ?!。

 いざ戦地に立てば双騎当千の「五大老」

 東雲侯爵家の頭目の名は伊達じゃねえんだ!。

 アイツらをみくびるなよ!クソッタレが!。


 と、叫んでやりたいが今は東雲兄弟が居ない為、海流はツマミに頂戴していたサキイカを力の限り噛んで耐える。


 莎丹はそれは嬉しそうに手揉みする。

「ええ、ええ、あのゴミは今は旦那様の温情で学園に居座っていますが、来年行われる卒業試験からは逃げられません。

『落伍者は一切において皇国に仕える資格無しとする』のあの卒業試験です。筆記試験こそカンニング出来ようとも、魔術が使えないカスが実技試験に合格しよう筈がありませんから、ゴミは即退学処分♪。

 当家に居場所は無く、何処にも就職先も無く。

 そもそも無能な所為で高位貴族なら必ずいらっしゃる婚約者様すら裸足で逃げ出されてしまい、婿の道も無いクソゴミクズ。

 そのようなウジ虫など、我が皇国の四天王にして筆頭公爵、宰相たる櫻井家の頭目であらせられる頑固な旦那様も、流石に貴族社会の恥を後継者に据えると言い張り続けるのも難しくなるでしょう。

 あと1年の辛抱でございますな、乃蒼様」


「そうだね。来たる日に向けて僕も更に研鑽しなければならないなぁ。

 もちろん引き続き年間の学年トップでい続けよう。卒業試験対策も今から始めておこうかな」

「御立派です乃蒼様!亡き芝蘭様もあちらの世でお喜びかと存じます」

「母上にもか!ならばいっそう勉学を励まないといけないな。

 莎丹、今日より僕のスケジュールは僕に構わず密なものにしてくれ。忙しくなるぞ」

「はっ!御意に」


「…チッ」

 母の名まで出されて貶められた海流は忌々しさのあまり思わず大きな舌打ちをしてしまった。

 すると


「?…誰か居るのか?」

 乃蒼が周囲を見渡す気配を感じる。


 やっべ。

 海流は慌ててバッグに手を突っ込み、何か身を隠す物はないかとまさぐってみる。

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