「お前は役立たず」と追放されたけど、心配だから陰から見守ります。

夜月 朔

第1章 追放と、その後

第1話 追放の日

「……悪いけど、今日限りでお前はパーティーを抜けてくれ」

 静かな空気を切り裂くように、リオナの冷たい声が会議室に響いた。 その場にいた誰もが、その言葉を予期していたようで、予期していなかったようで、気まずい沈黙が流れる。

 その場に座っていたアスト・ヴァルニールは、しばし言葉を失ったまま、リオナの瞳を見つめ返す。

「……本当にそう思ってるのか?」

 静かな声だったが、その響きにはかすかな熱が込められていた。

「このパーティーが今まで、無事に戦ってこれたのは……誰のおかげだったと思ってる?」

「そんなの、私たちがちゃんと戦ってきたからでしょ?」

 間髪入れずにリオナが返す。冷たく、迷いのない声音だった。

「アスト、あなたがいたっていなくたって、結果は変わらなかったと思うわ。むしろ、もっと効率よく動けたかもしれないくらい」

「お前のスキルって……地味っていうか……いや、何に効いてるのか、わかんねえし」

 カイルが、言葉を選びつつも追い打ちをかける。

「俺たちが強くなったのは、自分の努力の結果だと思ってる。正直、お前がいたことで何か変わったって実感、ないんだよ」

 セラとマルクは何も言わないが、その沈黙が一番雄弁だった。

 アストは拳を握った。何か言い返そうとして、できなかった。

 彼らは、本気で――心から、自分は必要ないと思っている。

 ――ああ、これが答えか。

 どんなに些細なミスも、貢献していた場面も、気づいてもらえない。 それが、アストのスキル【因果修正フレーバーシフト】の宿命だった。

 不運を幸運に書き換える力。 だが、それはあまりにも静かで、目に見えない。

 落石が“たまたま”直前で崩れる向きを変えた。 毒を塗られた短剣が、偶然にも地面に滑って刺さらなかった。 魔物の突進が、ほんの数ミリずれて味方にかすりもしなかった。

 アストのスキル《因果修正》が、それらすべての裏で動いていた。 しかし、その事実に気づける者はいない。

 失敗を防ぎ、致命傷を未然に避け、勝利への分岐点をさりげなく調整する。

 だが結果だけを見れば、それは“何も起きなかった”ことと変わらない。 功績として残ることもなく、感謝されることもない。

 誰も気づかない。 彼が、命を削るようにして、仲間の未来を護っていたことに。

「……わかったよ。ありがとう、今まで」

 アストはそれだけを口にし、立ち上がった。

 木製の椅子がぎこちなく軋む。 その音だけが、無言の空間にわずかな存在感を残す。

 一歩、また一歩と、彼は扉へ向かって歩いた。 その足取りは重くもなく、軽くもなく、ただ静かだった。

 扉の前で一度だけ振り返った。 だが、誰も彼を見ていなかった。

「……そうか」

 小さく呟いたその声も、誰の耳にも届かないまま、ドアが静かに閉まった。

 鈍い木の音が、空気を切るように響く。

 ――誰も、呼び止めなかった。 ――誰一人として、立ち上がらなかった。



 ギルドを出てすぐ、アストは青空を見上げた。

 大通りの喧騒が背後で続いていた。冒険者や行商人たちが行き交い、街のざわめきが日常の音として響いている。

 だが、アストにはその全てが遠い別世界のように感じられた。

 澄み切った空。どこまでも青く、雲一つない。 その完璧な青は、まるで何事も起きていないかのように、ただ静かに広がっていた。

 だというのに、アストの胸には冷たい雲が重く垂れ込めていた。

 心の中では、いくつもの言葉が渦巻いていた。 怒り、悲しみ、そしてほんのわずかな安堵。

 まるで騒がしい街の中で、自分だけが時間の流れから取り残されてしまったような感覚。

 だが、空は何も知らぬ顔で、無垢なまでに美しく、あまりにも遠かった。

(……いざ言われてみると、あっけないもんだな)

 ふと、肩の荷が下りたような気もした。 しかしそれ以上に、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚が残っていた。

 ブレイヴ・ファング。 S級パーティー。 王国に三つしかない、最高位の冒険者集団。

 アストは、その創設メンバーだった。

 まだ無名だった頃に、カイルと出会い、リオナと組み、マルクやセラと出会い。 何度も死線を乗り越えた。

 共に笑い、共に怒り、共に泣いた。 その絆が、ここにきて“無かったこと”にされた。

(……いや。彼らにとっては、俺の存在なんて“無くても変わらなかった”んだ)

 本当は気づいていた。 誰も、自分のスキルを正しく理解していなかったことを。 けれど、それでいいと、自分を誤魔化していた。

「心配だから」

 ただそれだけで、アストは仲間を支え続けてきた。

 損な役回りだ。だけど、それが嫌ではなかった。

 誰かの命が、助かるなら。 誰かの笑顔が、守れるなら。 それだけで、十分だった。

 けれど――

「じゃあ、これからはどうするんだ、俺?」

 道端に転がる小石を軽く蹴り上げながら、アストは呟いた。 乾いた音を立てて石が石畳を跳ね、路地の隅に消えていく。

 王都の夕暮れは喧騒に満ちていた。 行き交う冒険者たち、荷を運ぶ商人、賑わう露店の呼び声。

 そんな中で、自分だけが無音の世界にいるかのような疎外感があった。

(王都にいても、もう居場所はない)

 ギルドでは、実績が全て。 パーティーを失った今、S級の称号もやがて剥奪される。

 スキルも地味で、戦闘力も特別高くない。 派手さもなければ、目立つ活躍もしない。

 一人で旅をするには向かない。 それは、誰よりも自分が一番よく分かっている。

 けれど、それでも。

「……どうせなら、遠くまで行ってやろうじゃないか」

 王都の門が見えた。 その先には、未知の大地と、新たな風が待っている。

 見たことのない景色。 出会ったことのない人々。 まだ語られていない物語。

 誰にも気づかれないなら、それでも構わない。

 気づかれずに、誰かを助けることができるのなら。 それが、自分にしかできない“戦い方”なのだから。

 アスト・ヴァルニールは、静かに歩き出す。

 誰の喝采も、名声もなく。 ただ、誰かを守るために。 その一歩が、世界を変えるとは知らぬままに。



 その日からすべてが変わった。

 地味で、目立たず、仲間からも理解されなかった青年が── それでも世界を“裏から”支える旅に出た。

 この瞬間、誰も気づいていなかった。

 追放されたはずの“支援職”が、やがて幾多の命を救い、王国を影から導く存在になるなどとは。

 その力は誰にも見えない。

 だが確かに、確実に、世界の因果を揺るがせる存在がここに生まれたのだ。

 すべては、ここから始まる。

 ――これは、“目立たない最強”の英雄譚。

 アスト・ヴァルニールの、静かなる冒険の第一歩であった。

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