ダイニングテーブル
暗闇坂九死郎
第1話 あなたとわたし
「ただいま」
あなたの声が聞こえて、わたしはコンロの火を止めて、いそいそと玄関へと向かった。
「おかえり」
そう言うと、あなたは屈託のない笑みを浮かべて「おッ、味噌汁の匂いだ」などと言ってまた笑う。
「そうよ。今日はあなたの大好きなアサリのお味噌汁よ」
――そう。
今日の味噌汁はただの味噌汁ではない。わたしお手製のとっておきの味噌汁だ。
あなたのことなら、わたしは大抵何でも知っている。好きな食べ物から、嫌いな食べ物。好きな小説や音楽、映画。嫌いな生き物。アレルギーの有無まで、何もかも。
あなたは甲殻類アレルギーだった。エビやカニの類が入っていないか、成分表を入念にチェックしているところを幾度となく確認している。
あなたはピンノと呼ばれるカニのことを、おそらく知らないだろう。二枚貝に寄生する、ごく小さなカニの総称だ。
今日作った味噌汁に入っているアサリには、このカニが漏れなく寄生している。そうなるように細工をしておいた。
普通に食べる分には特に害はない。何のことはない、単なる小さなカニだ。ただ、甲殻類アレルギーの人は注意が必用だ。小さいとは言っても、ピンノは立派なカニの仲間である。食べればアナフィラキシーショックを起こし、最悪の場合、死に至る。
この殺害方法が優れているのは、わたしが同じ物を食べても、あなただけを殺すことができるという点だ。そして、アサリの中に寄生していたピンノが原因だとわかれば、あなたの死は事故とみなされるだろう。仮に失敗したとしても、わたしが故意にアサリにピンノを仕込んだ証拠はない。
――そう。
わたしは完全犯罪を成し遂げ、あなたにかけられた多額の保険金を受け取るという算段なのだ。
そもそも、わたしのような美女が、どうしてあなたのような真面目なだけが取り柄のようなつまらない男と結婚すると思うのか。そのことに疑念を持たない時点で、あなたの運命は既に決定していた。
甲殻類アレルギーならば、エビやカニだけでなく、二枚貝にもゆめゆめ気を付けることである。
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