第7話 フラックスの咲く丘
僕たちは、しばらく草の斜面を歩いた。
「先生の最期を知ったのは、それから半年のこと。
伝染病患者は感染予防のため、火葬は立ち合いなく行われるんだよ。」
「そうなの、なんだか寂しいね。」
「ああ、そうだな。
患者の多くは遺族に遺骨が引き渡されるのだが、先生には遺族と呼べる人もなく、病棟の横にある丘に埋葬されたんだ。」
風が、広がるように吹いていた。
草がさわさわと揺れ、虫の声が遠くで響いた。
さらにその向こうから、かすかに波の音が届いていた。
「……ほら、あそこだよ」
じいちゃんが、指をさした。
足音が止まり、静寂が訪れる。
鳥の声が、どこかで短く鳴いた。
少し開けた場所には、廃墟となった病棟がまだ残っていた。
その隣の見晴らしのいい、小さな丘……一面の花畑。
青く、可憐な、小さな花。
「奈津が植えたんだよ」
じいちゃんが、静かに言った。
「フラックス、アマの花だ。
丈夫で、逆境にも強い。
それでいて、小さな花を静かに咲かせる。」
言葉の間に、風が丘を渡る。
「……花言葉は……。」
「あなたの親切に感謝します。」
一瞬、ばあちゃんの声が聞こえた気がした。
風が強まり、草がざわざわと音を立てた。
僕は、先生がいたこの丘に、そっと花を手向けた。
ありがとう、と。
心の中で、何度もつぶやいた。
……涙が止まらなかった。
横にいたじいちゃんも、目をぬぐっていた。
「メアリー先生。」
じいちゃんは、丘のてっぺんにある小さな石碑に向かって話しかけた。
「……あなたの遺志を継ぐ子供を、今日は連れてきました。
名は、賢治。どうか、導いてやってください。」
花を手向け、手を合わせ、深くおじぎをした。
「奈津も、元気にしています。
でも、もう年です。私たちも……すぐ、そちらへ行きます。
それまで、しばらくお待ちください。」
僕は、ただ黙って、その言葉を聞いていた。
その時、胸の奥で、なにかが確かに形になった。
……ああ。
僕に医者を目指せと言ったのは、このためだったんだ。
風が吹いた。花が、さらさらと音を立てて揺れた。
僕は、花の前で、静かに言った。
「メアリー先生、ばあちゃんの命を、救ってくれてありがとう。」
とめどなく頬を伝う涙を、拭うことさえしなかった。
「僕は、医者になります。
先生のように、患者に寄り添い、生きることを、諦めない……
そんな医者に。」
風が、もう一度丘を通り過ぎていった。
先生の声は、もう聞こえなかったけれど……そっと背中を押してくれた。
初夏の丘に、心地よい風が吹いていた。
フラックスの花が、一面に、優しく、確かに揺れていた。
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