精鋭騎士ルナの場合

1話 獣耳の女騎士

 王都シリウスの朝は早い。


 ここ数日パッとしない天気が続くが、それでも街の住人たちはいつも決まった時間に動き出す。騎士団本部の居室から見えるだけでも、たくさんの人たちが石畳に覆われた通りを行き交い、今日の食い扶持を稼ぐため忙しなく動く。


 そして、朝が早いのは俺たち騎士団も同様だ。昼間は王都の巡視や厄介な魔物の討伐などがあるため、国を守るための訓練は早朝から行われる。その後は身体を作るために重要な食事を取り、各々の職務へ就くのだ。


 だから……。


 ――こんなに遅い時間までゆっくりするのは、騎士団に入ってから初めてかも……。


 居室の窓際から外を眺めていた俺は、じっとしているのが性に合わずに動き出す。


 ――皆に引退の表明をしてから、まだわずか数日。それでも俺は、いろいろあって、引退のやり方を間違えたかなと、ここ最近後悔し始めていた。




 その後、手早く身支度を整えた俺は、引退表明したにも関わらず騎士団の制服を身にまとい、居住棟とは別の建物にある団長室へ向かう。


 道中すれ違う騎士たちの視線が気まずい……。何かいたわしそうに見てくる者がいれば、どこか抗議したそうな者もいる。ただそれらに共通して言えるのは、皆俺のことを良く思ってくれているからこその感情を見せていること。


 引退すると言ったのになんでいるだよなんて視線がなくてよかった……。


 俺は気まずい笑みを浮かべ、すれ違いざま頭を下げてくる騎士たちに目礼を返しながら階段や廊下を進んだ。


 そして、やがて辿りついた重厚な木の扉をノックし、返事を待ってから中へ入る。


 俺は視線の正面で執務机に座りこちらに視線を向けた偉丈夫に頭を下げて挨拶した。


「おはようございます、団長」


「ああ。おはよう、リオ」


 いくつも皺や傷が刻まれた厳めしい顔のその人物は、しかし俺の名を呼び柔らかく言葉を返してくれる。俺の挨拶に頷くと同時、年老いた狼の毛のようなグレーの長髪が、わずかに揺れる。


 彼こそ、このシリウス王国が誇る二大騎士団のうち、王都の守護を任とする青狼騎士団の長――長年この国に貢献し続けた英雄、聖騎士ゼルドリック・カーマインだ。


 いそいそと、隅に置かれた小さな机を運ぶ俺に向かって、団長は声を掛ける。


「今日も朝からすまんな、リオ」


「いえ……。俺のせいで不要な混乱を招いてしまったんで、せめてもの詫びです」


「うむ……そうだな……」


 団長の向かいに机を置き、団長からいくつかの書類を受け取った俺は、その小さな机で書類仕事を始める。


 団長の歯切れが悪い返事にはもちろん気が付いているし、何を言いたいかもなんとなく分かっている。きっと彼は、俺の引退を引き止めたいのだ。


 嘘の負傷でもう俺に激しい戦闘はできないと思っている彼だが、それでも騎士団に残ってできることは多くある。これでも副団長という地位にまで上り詰めた男だ。ほとんど動かなくても精鋭に見劣りしない戦闘はできるだろうし、教導役など最適だろう。


 ――しかし、俺にも俺のやりたいことがあるから、譲れない部分はある。


 今はひとまず騎士団内の混乱がある程度落ち着くまで、団長に頼まれて暫定的に副残留しているが、やはりいずれは当初の目論見通り退団するつもりだ。嘘をついて辞めることの罪悪感も、残していく団長や部下たちへの申し訳なさも、噛みしめ消化したうえで。


 だから、この場では、すこしだけ気まずい沈黙がしばらく続いた。


 しかし、ペンを走らせるカリカリという音だけが響く時間も、やがては終わる。おもむろに書類から顔を上げた団長は、自分の仕事の一部を進める俺にむかって、物憂げな視線を投げながら言った。


「渡した書類が片付いたら、頼みたいことがある――」




 ――そうして、二時間ほど団長の部屋で書類仕事を続けた後。


 俺はいま、昨日皆を集めた訓練場へと来ていた。


 そこでは魔物の討伐や街の巡回といった任務が今日はない者が小隊ごとに集まり、戦闘や連帯行動の訓練、あるいは単純な体力トレーニングなどを行っている。


 こちらが気になるのかちらちらと視線を向けられるが、気にするなと手を振って俺は進んでいく。そしてみな、俺の歩く方向へ目を向け、その目的を察したのかまた何も言わず訓練へ戻っていく。


 俺が目指す場所は分りやすい。必ず最低二人一組になって訓練を続ける騎士たちがいる中、訓練場の片隅で、ただ一人剣を振るう女性がいる。


 明らかに周囲から遠巻きにされるその女性――精鋭騎士のルナは、わずかに青みを帯びた銀の髪の隙間から、すこし汗ばんだ額を覗かせ、切れ長の瞳をつむって素振りを続ける。


 その型の美しさ、そして振りの鋭さは、誰が見ても彼女がひとかどの人物であると分かるものだった。


 俺は、かつて指導した剣術がしっかり彼女の身になっていることをうれしく思いながら、ルナのもとへと歩いていく。


 そして、彼女まであと十歩ほどの距離へ近づいたその時――


「――!」


 閉じられていたルナの目がぱっと開く。きれいな青い瞳が俺に向けられ、まばたきひとつ。


 そして次の瞬間には――


「リオ副団長。おつかれさまです」


 ――残像が見えるほどの速度で俺の前まで突進してきて、きれいにぺこりと頭を下げる。俺に向けられた小さく形の良い頭頂部には、髪と同じ色の毛に覆われた三角の耳がふたつ。


「ああ、おつかれさま。訓練中に悪いね……」


 あまりの勢いに少し引き気味の返事だが、ルナの犬耳が構わずぴょこんと跳ねる。腰から垂れるふさふさの尻尾も、ぶるんと二度ほど振るわれるのが見えた。


 ――さて。この子一見従順だけど、話し合いは難航するだろうな……。いい子なんだけど、けっこう強情だし。


 先行きは不安だが、とにかく円満な引退のためにも団長の頼みごとを聞かねば。


 ――この、中隊長という立場があるくせに、良く分からない理由であっさり退団しようとする女騎士を、なんとか引き止めないと。



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