昼休み。

 風が少し強いかもしれない。ショートボブにした髪がはらはらとなびいては唇の端に当たって鬱陶しい。ポケットにヘアピンを探す。運良く指先に触れたそれでパパッとサイドを止めた。

 わたしは屋上にいた。フェンスの所にあるベンチに座っていて隣には綾崎もいる。

「推理できたから、屋上でごはんしながら話そう」と綾崎を誘ったのだ。

「ん、いいよ」

 二つ返事で了承した綾崎は、真情を読ませない緩やかな微笑をたたえていた。

 思わず見ほれてしまいそうな美しい笑み。

 いつもこっそりと眺めていた、ムカつくのにかっこよくてかわいいほほえみ。

 かぶりを振って邪念を払うと、わたしは口を開いた。


「ミステリーで一番意外な犯人は何だと思う?」


「んー」綾崎は、吸っていたストローから口を離し、落ち着いた口調で語る。「心理的な抵抗を隠れ蓑にできる視点主の恋人、一人称の語り手自身いわゆるワトソン役、一般的には凶悪犯になるべくもない幼い子供、愛すべき脇役である無能な警察官──」ふっと愉快そうに鼻先でほほえんで、「これらも十分な意外性を演出できる。でもぼくは、探偵役を推したいね」


「その心は?」


「読者が最も憧れる存在だからだよ」


「うえぇ」わたしは大げさに唇を曲げてみせた。「性格悪っ!」


「推理作家にとってそれは褒め言葉だよ。でも言われて一番うれしいのは──」


 その先を読んで、


「『伏線がない! アンフェアだ!』」伏線を見逃した読者の負け惜しみをわたしが口にすれば、


「『人間が書けていない! こんなのは小説じゃない!』」本格ミステリとは何たるかをてんで理解していないニワカの常套句で綾崎は応じた。


「ふふ」「へへ」


 わたしたちはシャボン玉が弾けるように、静かにきらきらと笑い合った。

 やがて泡沫が夢幻と消えると、


「まずはハウダニットから聞こうか」綾崎は言った。「更衣室からスマホを消したトリックをね」


「その前に──」


 前置きとしてネズミの足跡が偽装であることと糸を引きずったような跡のことを説明した。


「なるほどね、指の数は盲点だったよ」


 その前提を了解してもらうと、いよいよ本題に入る。


「犯人は糸を使ったんだ。たぶん釣りで使うような細くて丈夫なやつね。

 このトリックにはめんどくさい下準備と献身的な共犯者が必要なんだけど、とりあえずフーダニットは措いといて説明すると、まず主犯はネズミの足跡としっぽの跡をつけるための小さな型、これは靴を作るときに使う木型のようなものを想像してもらえばいいんだけど、それを体育館裏にあった足跡としっぽの跡の数だけ共犯者に3Dプリンターで作らせた。この際注意しきゃいけないのは、土の地面と同じ色にすること、プラスチックの密度を下げるなり中を空洞にするなりしてできるだけ軽くすること、ただし一定の強度は確保すること、偽装する足跡を想定しつつ並べた数個ごとに上部を細い棒状のパーツで繋げること、そしてその棒状のパーツに糸を通す穴を空けること。

 これらが用意できたら、偽装する足跡の順番で型に糸を通しておく。

 そして、事件前日の放課後、ほかの職員がすっかり帰宅したら夜闇に紛れてその数珠繋ぎになった型を外壁沿いに、ぎりぎり隠れるか隠れないかくらいの深さまで土に埋めつつ地面に並べる。

 すると糸の端がそれぞれ女子更衣室の窓の真下と体育館の角の所に来るから、窓のほうの端はその窓のすぐ下か横の外壁に防水テープで留めて、角のほうはそのまま地面に垂らしておく。

 更にもう一本、同じ長さの、今度は何にも通していない糸を同様に留めて垂らしておく。

 最後に体育館の女子更衣室の窓に小さな紙片なりを挟んで下準備は完了。

 ここまでで質問はある?」


「窓に紙片を挟むのは誰かに開けられたらわかるようにするためで、偽装工作用の型を土色にするのはカムフラージュのためってことでいいのかな?」


「うん。

 犯行までに窓を開けられていた場合、仕掛けに気づかれた可能性があるから取りやめにするつもりだった。

 あと、第三者の足跡があった場合も同様。つまり、雨によって偽装工作時の主犯又は共犯者の足跡は消えるわけだけど、そこに自分たち以外の足跡があれば第三者が近づいたということだから、仕掛けを発見されているかもしれず、犯行失敗となる。

 カムフラージュに関しては、犬走りの舗装部分からなら足跡を残さずに仕掛けを視認できてしまうから、今言った足跡による判断の穴をできるだけ小さくするためにそうした。長い時間でもないし、その時間帯は体育館の日陰に入るしで発見されるリスクは限りなく低いけど、念のためね」


「強度を確保しつつ軽くしたり、数個ごとに繋げたりするのはなぜ?」


「それについては後でまとめて説明させて。そっちのほうが効率いいから」


「ん、りょーかい」


 ほかにある? と聞くと、ないね、という返事だったので、続ける。


「一時間目の体育が始まり、あらかじめ決めておいた犯行時刻になったら、主犯の女子が更衣室に行く。不意の邪魔者が闖入してこないようにドアに鍵を掛けたら、窓の紙片と周辺の足跡の有無を確認して問題がないようなら犯行開始。

 長宝院のロッカーからスマホをくすねて電源を落とし、紙片を回収しつつ窓を開ける。この時、共犯者は仕掛けの先の体育館の角の陰、犬走りの端にいる。

 主犯は授業に持ち込んでいた小型のテープから、のちに使う分を切り取って自分の手の甲とか手首とか適当な所に貼っておき、そのテープ、これは輪の形をしているわけだけど、それを少し伸ばして窓の下框しもがまちに貼ってぶら下げる。電車の吊り革の輪っかみたいな感じだね。

 そしたら次は、型に通したほうの糸のテープを剥がし、その糸を吊り革風の輪っかに通し、糸口を窓の開閉レバーなりに結びつける。

 続いて、さっき手の甲なりに用意していたテープでスマホを吊り革風の輪っかに貼りつけて固定。型に通してないほうの糸を外壁から剥がし、その輪っかに結びつける。さらに、輪っかの隙間を、糸を滑らせるのに必要な最低限を残してテープを貼って埋める。ついでに剥がした防水テープと挟んでいた紙片も貼りつける。

 そこまでできたら、共犯者が自分のほうに垂れている糸を二本とも持ち上げる。すると、数珠繋ぎの型も一斉に地面から宙に持ち上がり、地面にはネズミの通ったような跡が出現する。

 共犯者は、主犯が窓の下框に貼ったテープを剥がすのを待って、テープの輪っかに繋がった糸を片手でくるくると手繰り寄せる。すると、スマホだけでなく型のほうも、隙間を埋められた輪っかに押されて、引っかかって詰まることなくまとめて回収できる。

 それが終わると主犯が窓のレバーに結んだ糸をほどいて地面に落とし、共犯者がその糸を引いて回収する。

 そして共犯者は、回収した型と糸、テープ、紙片、スマホを中の見えない袋に入れて自分の車に隠してしまう。

 型の軽量化は持ち上げやすくするためだけではなく、このためでもある。つまり、水害対策の高床に伴って窓の位置も高くなるといっても二十メートル近くもあると七度ほどしか傾斜を作れず、型が重いと手繰り寄せる時の負担が大きくスムーズにいかないかもしれないから、その負担を減らしてスムーズに回収するためというのと、袋に入れて運ぶ際の負担を減らすためという意味もあった。

 そして、数個ごとに繋げておいたのも回収の際の動作を少なくして時短するため。足跡の数が多いからね。

 あと、強度の確保は回収の途中で型がちぎれて落ちてしまうのを防ぐためだね」


 ふぅ、と息をつき、


「これで、ネズミの足跡の偽装によるミスディレクションのおかげで糸を引きずった跡が認識されなくなり、何の痕跡もなくスマホが消えたかのように見せかけることができる」


 どうよ? と綾崎に挑戦的な強い眼差しをやる。

 しかし、綾崎はサンドイッチをもぐもぐしていた。

 わたしの話ちゃんと聞いてた? わたし(の推理)とサンドイッチ、どっちが大事なの?

 慌てるでもなく飲み込むと綾崎は、よくやく答えた。


「うん、筋は通ってるね。いいんじゃない?」


「リアクション軽っ」

 

 と言いつつ、認められてニヨニヨしそうになってたり。


「次は、そうだね」綾崎は雲のない透明な空に視線をやりながら、「共犯者を教えてもらおうかな」


「共犯者はね……公民教師の色雲学人だよ」


「うん」綾崎は半微笑とでもいうような曖昧な表情を崩さない。「根拠は何かな?」


「色雲は犯行に必要なすべてを持ってるのよ。車に3Dプリンター、そして犯行推定時刻の自由」


「ん? それだけ?」


 綾崎の反応はもっともだ。これらの事実だけで色雲を共犯者とするのは安直にすぎる。犯人や読者を説得するには足りない。それはわたしにもわかっている。だから、続けてこう言った。


「決め手となったのは動機だよ。そして、その動機を解明するには、色雲と主犯の関係を推理しなければならない」


「共犯プロットならそこは外せないよね」綾崎は納得したふうに相づちを打った。「で、その主犯とは?」


 促す綾崎を焦らすように、


「さっき説明した物理トリックを実行できたのは、体育の時に女子更衣室のほうへ行ったの女子と人知れず入ることのできた人見しかいない。

 その中で色雲を共犯として利用できた人物が主犯ということになる。彼にとって長宝院は単なる生徒でしかなく、特別な関係でない以上、そのスマホを盗む動機もないはずだから」


「要するに、主犯の女子は色雲を籠絡して意のままに操ったってこと?」

 

「いえす」


「男の子が女の子をっていうのならわかるけど、その逆はちょっと想像つかないなぁ」


 などと言う綾崎に、例の告白イベントのことを説明した。

 綾崎は満足げにうなずくと、


「つまり、更衣室に入れた六人の女子のうちIカップ以上のバストの持ち主なら色雲を骨抜きにできた可能性かあると言いたいんだね。たしかに、いくら男女比が偏っているといってもそこまでの胸の子はかなり少ない。女性慣れしていない、というか爆乳慣れしていないであろう色雲ならいけるかもね」


「そう、そして女子更衣室に入れた六人の女子のうち、Iカップ以上の人物は二人だけ。

 一人はこのわたし、若餅紅蒔なんだけど、わたしは探偵役だから容疑者から除外っていうのは──あ、うん、駄目だよね。わかってるって。ちょっとふざけただけだって」


 居住まいを正して気分を仕切り直し、


「わたしには動機がない。長宝院とは今回の騒動があって初めてちゃんと会話したくらいで、事件以前には関わりは皆無と言って差し支えない。中学も全然違うしね。

 となると、残りはただ一人、そのたわわ少女が主犯よ」


 わたしは綾崎を見た。

 綾崎もわたしを見ていた。無邪気に。楽しげに。

 わたしはまっすぐに見つめたまま言う。


「主犯は君だよ、綾崎千宙」


 悪戯な風が吹いた。綾崎のがふわっと膨らみ、しかしは気にしたふうもなく風のまにまに艶かしい腿をさらし、わたしに向けている笑みを深めた。

 綾崎ははち切れんばかりにブレザーを押し上げる豊満な胸乳を両手で掴んで、


「たしかにぼくも、アンダーバストは65だけど、Iカップではあるよ。でも動機は? ぼくもユリアとはほとんど話したことないよ?」


「白々しいなぁ、もうっ」わたしは唇をすぼめて不満を表現した。


「様式美だよ、ワトソン君」


 などとおどける千年に一人の美少女のご要望に、心の広いわたしは、「ホームズだから」と訂正してから応えてやる。


「君は刺激が欲しかった。推理小説執筆のために現実の事件に嘴を容れては自らの糧としていた君は、ある時、思ったの。より間近で、つまりは当事者の立場から謎を、事件を、ミステリーを観察したいってね。それが動機だよ」


 静寂が世界を包み込んだ一拍、あるいは永遠の後、ふふふ、と綾崎は綻んだ。

 綾崎は毒のある花だ。それなのに誰よりも美しいのだから始末が悪い。

 やがて花は告げた。


「正解──」


 そして満開に咲き、


「流石はぼくのライバルだ」


 甘く香った。

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