「──というわけで、友輔の解答は半分だけ正解だね」


 解答編をすっかり読み上げた綾崎が、疲れを窺わせない口調で言った。

 友輔の推理は勇者の犯行と魔王の復活魔法については完璧だったが、SNSへの投稿は魔王の株を下げるためにガブリエがやったものとしていた。次期魔王選挙の際に〈火遊びの不始末で敵に弱点をさらしてしまうような人物は魔王にふさわしくない〉という批判をするための伏線を張ったのだ、ということだった。魔王のスキャンダルで一番得をするのは誰かという観点から導かれた推理らしかった。

 しかし、それは間違いで、正解──黒幕はマラクだった。

 が、オレは微妙に納得がいっていなかった。

 推理小説の読者への挑戦とは現代文のテストのようなもので、本文に書かれていることから論理的に読み取れることだけを解答の根拠にしなくてはならない、と偏差値七十オーバーのインテリギャルことメグが言っていた。要は、


「その短編の文章からだと、ガブリエが投稿したっていう友輔の解答を否定しきれないんじゃねぇの」


 ということだ。

 へぇ、と綾崎はおもしろそうに細めた目でオレを見て、


「否定するロジックを挙げるなら〈単に寝室の座標が公開されるだけなら魔王の評価を下げるほどではなく、ガブリエの目的を選挙での勝利と想定した場合、手段として整合性がないから〉ということなんだけど、その根拠は、第一には〈魔界は戦闘力信者ばかりで実力があればその程度は気にしないこと〉、第二に〈そもそも魔界の民は、勇者が転移魔法を使えることを知らなかったならばその程度はたいしたリスクと捉えないこと〉。

 前者は、魔王は男癖が悪いと知れ渡っているにもかかわらず慕われている旨の描写とプリアの『魔界の人たちって戦闘力信者なんだもん』の発言から導ける。

 後者についても、バラキの『勇者が転移魔法を使えるというのが知れたのは魔王様の死後、勇者どもが自首してからなのだから、寝室の座標を暴露したからといってすぐに何かが起きるとは考えられなかったはずだ』という発言を〈敵に転移魔法がないという前提条件では座標を知られても時間的猶予がある〉と言い換えられれば、〈仮に座標を暴露されたとしても本拠地を移動することで対応できるし、逆に利用して罠を仕掛けておくこともできる〉ということが読み取れ、したがって認められる」


 一度言葉を切った綾崎は、挑発的な──小馬鹿にするような皺を目元にたたえ、


「賢明なる読者様におかれましては以上でご納得いただけたかと存じますが、まさかまだご不明な点がございますか?」


 と皮肉たっぷり。

 もちろん、オレはどちゃくそムカついた。何とか一矢報いたくて全力で粗を探し──見つけた。


「魔界の連中は戦闘力信者ばっかなんだよな? しかも民主主義が中途半端に浸透してて、魔王つまりリーダーはそいつらに支持されなきゃいけない」


「うん、そうだよ」綾崎は心底楽しげに、「それで?」と促してくる。


「ってことはよ、弱みとかで仲間にしたやつらに戦わせてクーデターを成功させたとしても、マラク自身の戦闘力は証明されないから魔界では認められねぇはずだ。なのに、合理主義者で頭がいいっぽいメラヘルがマラクを勝ち馬と見るのはガバじゃん。展開ありきのご都合主義じゃん」

 

 ふふ、と得意げにほほえんだ綾崎が口を開く。


「それは違うよ。殺された魔王がしかばね軍団込みで実力を評価されていたことからもわかるとおり、その人物が操る軍団もその人物の戦闘力のうちとみなされるんだ。だから、交渉で配下にした軍団もマラクの戦闘力とみなされる」


「じ、じゃあ、マラクがクーデターを企ててるって推理するヒントがないのは──」


 これへの反論はまさかの方向から飛んできた。


「メラヘルについての説明で『魔族にしては珍しく野心などもないようだった』とあるよ」友輔だ。「言い換えれば、通常の魔族は野心家ということだ。幹部である四天王が魔王の座を狙うのは当然のことで、非戦闘要員で情報戦の天才であるマラクがそうするには謀略を用いたクーデターが最も有効なんだよ」


「ぐぅっ」オレは、かさかさした唇を尖らせた。「何で友輔が裏切んだよ?」


「裏切ってはいないよ」友輔には悪びれるふうもない。「七海の疑問に答えただけ」


 冷た! 何て幼馴染み甲斐のないやつだ!

 綾崎も綾崎で嫌みったらしいしよ、と見やると、彼は意味のわからないことを友輔に尋ねた。


「明日も友輔のお母さんはお休み?」


「明日は普通に朝から仕事だよ」友輔はすぐに答えた。


「そっか」綾崎は立ち上がった。「ぼくらはそろそろ帰るね。いろいろありがと」


 そう言うと、さっさと階段を下りだす。

 木製のドアに視線をやってオレは、どうするか一瞬迷ったが、


「急にわりぃな、友輔。オレも行くわ」


 そうして、家を出たところで気づいた。

 友輔から忌憚のない意見とやらを貰ってなくね?

 並んで歩きはじめながらそれを問い質すと、綾崎はあっけらかんと答えた。


「ただの方便だからね、意見云々なんてのは」


「はぁ?」


「あの短編はね、友輔が学校に来なくなる少し前に彼に一度読んでもらって感想を聞いてるんだ。だから意見なんて今更いらないの」


「じゃあ何のために──」あんなことを、と言いかけてその矛盾に気づいた。


 友輔のやつ、何でそれを言わなかったんだ? しかも、答えも間違えて。

 突然降って湧いた不可解なその事実が、オレを不安にさせる。嫌な感じがぞわぞわと皮膚の裏側を這い回るようで──思わず立ちすくんだ。

 数歩先で立ち止まった綾崎が、振り返った。そのかわいい顔に、いつもまとっている緩い雰囲気はなかった。

 が、それも一瞬のこと、そのシリアスは綾崎が口を開くとふっと霧散した。


「明日も空けといてね、また友輔んちに行くから」


「何しにだよ」乾いた口で聞き返すと、


「ん、不法侵入」


「は?」


「違法行為で犯罪の不法侵入だよ。知らないの?」


「……いや、そうじゃなくて少しは悪びれろよ」


 不良のオレが言うのもおかしな話だが。







「そんで、どうやって侵入するんだよ?」

  

 午後の授業をサボった翌日の昼下がり、同じように──つっても不法侵入っつーことで訪問の連絡は入れてねぇが──友輔の家の前まで来たところでオレは綾崎に尋ねた。

 まさか窓をカチ割るつもりか?

 と半ば本気で思ったら、綾崎はスクールバッグから、刑事が使うような白手袋を出して装着し、続いて耳掻きとアイスピックを足して二で割ったような謎の道具を取り出した。

 何だそれ、と聞かれるより先に綾崎はそれを玄関扉の鍵穴に差し入れ、カチャカチャする。


「──って、ピッキングかよ!?」


「こらこら、静かにね」


 オレには目もくれずにそう言った綾崎は、


「──ん、いけたみたい」


 あっという間に鍵を開けてしまった。


「いやいやいや」オレは突っ込まずにはいられない。「何でそんなに手際いいんだよっ?! どん引きだっつーのっ!!」


「秒でピッキングする美少年がいたらいけないの?」


 かわいらしく小首をかしげても誤魔化されないからな。そんな美少年がいてたまるかよ。

 綾崎は、はぁやれやれだよ、というように首を左右に振り、


「正義だとか法律なんてのは所詮は動物的ご都合主義の最大公約数にすぎないんだから、縛られる必要なんかないの──ほら、行くよ」


 とドアノブを引いた。

 三和土たたきには男女兼用ユニセックスらしきサンダル一足しかなかった。

 綾崎は横の靴箱を開けた。見覚えのある友輔の靴と女物がお行儀良く肩を並べているが、出し抜けに一足分のスペースが空いている。結子の靴が入れてあったのだろう。


「気配もしないし、母親はいないみたいだね」


 綾崎はつぶやくようにそう言うと、靴を脱いで家に上がった。

 ここまで来たらなるようになれだ、の精神でオレも続く。

 綾崎はまっすぐに二階の友輔の部屋へ向かった。ドアが施錠されているのを確認すると、またしても躊躇のないピッキング──ものの五分もしないうちにカチャッと開錠の音がした。


「古い家はちょろいね」


 ハミングするようにそうささやくと綾崎は、畏縮も何もないごく自然な仕草でドアを開けた。

 友輔がいたら何を言われるか、というオレの不安は、杞憂に終わった。彼は不在だったのだ。何度も来たことのあるありふれた六帖の洋室は、以前と変わらず友輔のにおいに満ちていて、なぜか泣きたいような切ない気持ちが胸の奥でもじついた。

 部屋をぐるりと見回した綾崎は、ドアの横のコンセントに充電したままの友輔のスマホに目を留めた。手に取ると、液晶画面に向かって、


「友輔、いる?」


「は? お前、何言って──」オレの言葉は、


『あれ、また来たの』友輔の声に止められた。


「──はぁあ?」


 オレは困惑した。だって、スマホが友輔の声でしゃべっているのだ。通話中なのか? と思っても、そんなわけないとすぐにわかる。状況的にありえない。


「うん、来ちゃった」綾崎は声だけは明るく答え、それから核心を衝いた。「今の友輔は、人格と声を再現したAIってことでいいんだよね?」


 驚きすぎて声を失っているオレとは反対に、AI(?)の友輔は淡々とうなずく。


『そうだよ、プログラマーの母さんが開発した最新式会話型AI、それが僕』


「だよね、そうだと思ったよ」綾崎は合点の表情を浮かべた。


『どうしてわかったんだい?』


 綾崎は言う、急に真面目ちゃんのふりをしだしたオレを見た時からAIの可能性は疑っていた、と。


「それで七海んに詳しく聞いてみれば、引きこもりをやめる交換条件に変な要求をするだけじゃなく、通話には応じるのに一緒にゲームをしてはくれなくなっていたり、顔を合わせてくれなくなっていたりもしていたという。

 奇妙な条件はAI特有の不自然さゆえ。通話はよくてゲームは駄目なのはプレイングまでは再現できていなかったからで、会えないのはAIだとバレたくないから。そして、状況からいって少なくとも母親の結子は仕掛人であると見ていい──そういうふうにぼくは考えた。

 だから、鎌を掛けてみることにしたんだ」


 綾崎は短編小説のことを説明した──未発表だからと人間の友輔にはタイトルと内容について口止めしていた。だから本人以外は知らないはずで、結子の作った人格再現AIなら訝りも答えられもしないだろうと思って試してみたら、案の定、引っかかった。


『なるほど、流石は綾崎君だね。大正解だよ』


 その物言いはオレの知っている友輔のもので、脳が理解を拒んでくらくらする。


 しかし綾崎は平静そのもので、「いつからAIになってたの?」とぐいぐい踏み込む。


『それは──』AIの答えは、友輔が不登校になった日と一致した。


 綾崎は質問を重ねる。「結子は何のためにAIを用意したの?」


『不登校が続けば不意に教師が様子を伺いに来ることもあるわけだから、その対策というのが一つ。そしてもう一つの目的は、七海やそのほかの友人を欺くこと』


「なぜ教師や友人を欺かなければならなかったの?」


『それはわからない』


「学習素材は何?」


『母さんの手動入力を除けば、彼女が集めていた動画や録音データ、それから僕のスマホ内のメッセージとかのデータだね』


「録音データ? 結子はなぜそんなものを集めていたの?」


『わからないけど、推測するに、僕のことが好きだからかな?』


 そしてついに、オレの一番知りたいことを綾崎は尋ねた。


「本物の友輔はどこにいるの?」


『それも僕にはわからないんだ。ごめんね』


 肩を落とすオレを余所に、綾崎はスマホを手にしたまま学習机を物色しはじめた。

 教科書、ノート、筆記用具、眼鏡、漫画、ゲームキャラクターのフィギュア──そして昔オレがあげたジグソーパズルも出てきて気恥ずかしい。

 が、次に現れたものを見てオレは眉をひそめた。


「『神の下の平等推進委員会』……?」


 そのパンフレットがあったのだ。思わず洩れたオレのつぶやきに、


『男女平等を目指す新興宗教だね』とAIが友輔の声で答える。


「何でこんなものがあるの?」と綾崎。


『興味があったからだと思うよ』


 ピンと来るものがあってオレは、口を出す。「友輔のやつ、家出してこの宗教のとこに行っちまったんじゃねぇか?」


『可能性はあるね』とAIは肯定したが、


「それはないんじゃない?」と人間は否定する。「だってさ、友輔って目、悪かったよね?」ほらこれ、と綾崎は友輔の眼鏡を目の高さにかざした。「コンタクトをしてきたことはなかったし、予備のがあるという話も聞いたことがない。自発的な失踪なら、この眼鏡を置いていかないんじゃない?」


 たしかに、と思わせる理屈だった。それに、そういえばさっき確認した友輔の靴もすべて揃っていたように思う。

 綾崎は部屋の物色を続ける。ベッド、本棚と見ていき、クローゼットを開けようと取っ手に手を伸ばし──彼はピタリと停止した。


「どうした?」


『何が?』と反応するAI。


 綾崎は腰を屈めてクローゼットの取っ手をまじまじと見つめながら、


「埃がついてる」


 オレは肩透かしを食った気分で、『どこに?』と聞くAIを無視して、「何だそんなことかよ」と言う。


「でも不自然じゃない?」綾崎は神経質に気にして、「何でこんな所に?」と思案顔。


『こんな所って?』と再び質問するAIに、「いいって言うまで黙ってて」と指示して綾崎は、クローゼットを調べはじめた。


 そして綾崎は、掛けられた服の上、天井に嵌められた四角い蓋のようなものに目をつけた。天井裏の点検口らしい。


「七海ん、肩車して」綾崎はそれが当然であるかのように要求する。


 たしかに綾崎のほうが小柄ではあるが、とためらうも、早く早く、と急かされ、膝を折った。

 見た目どおり軽い綾崎が、オレの頭の上でごそごそやって点検口を開けると、天井裏から、学校で使うB5のノートの半分くらいの、たぶん日記帳──少し埃がついている──が出てきた、わらわらと数冊。


「当たりだね」綾崎はうれしそうに言った。屈託は埃ひとつまみほども窺えない。


 友輔の行方のヒントが記されているかもしれないということらしい。

 流石に悪い気がしたが、綾崎は止まらない。

 そして、オレも抗えない。俗な好奇心に、じゃない。友輔に会いたい気持ちに。

 オレと綾崎は、身を寄せ合うようにして日記──友輔の秘密を覗き見しはじめた。

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