しかし結局、現時点では犯人の特定は綾崎にも難しいようだった。

 翌日の放課後、生徒相談室でテーブルに着いて向き合った綾崎は、場都合が悪そうな面持ちになるでもなく洒々落々しゃしゃらくらくとそのように告げた。

 困り果てて眉尻を下げるわたしに、それだけ言って突き放すのはかわいそうだと思ったのか、次善の策を提示した。


「ストーカーっていうのはさ、リアコドルオタと一緒で、要は自分の世界に引きこもってオナニーしてるわけ。言い換えると、自分の理想を雨ヶ谷先生に押しつけてる」


 美少年の口から聞く性的な言葉にどぎまぎしかける自分を隠して、「たしかに」と顎を引いた。


 大学生のころのストーカーの言葉や手紙の文面から極めて独り善がりな思考が窺えた。


「だから、やり方の一つとしては幻滅させてしまえばいいんだよ」


 綾崎の言に、「でも、どうやって?」と返すと、


「んー、丸刈りにしてみるとか──あ、でもそれじゃ男っぽいとこに惹かれてるなら逆効果か。それなら濃すぎるくらいのギャルメイクにしてみるとか、キモオタ趣味にハマったふりをしてみるとか、いっそのこと両方同時にやっちゃうとか」


 言いたいことはわかるが、あまりやりたくないな、と思ってしまう。

 その内心を察したらしき綾崎は、


「それが嫌なら新しい彼氏を作るとか。彼氏に振られたことがストーカーが積極的な行動に出るきっかけになったんなら、そのストーカーの中では彼氏の存在はブレーキだったってことだ。それなら、シンプルに新しいブレーキを拵えればいい」


 理屈ではそのとおりだ。けれど、わたしはかぶりを振った。「そんな人いないよ。彼氏を作るのは本当に難しいのよ。綾崎君には実感が湧かないかもしれないけど」


「えー、わがままだなぁ」と言いつつ、「じゃあ、まったくの無反応を貫くってのは? アンチとかもそうなんだけど、ああいう手合いは構うから増長するんだよ。何やってもどこ吹く風でノーダメだったら飽きて離れていく──って可能性もある」


「それくらいなら……」


 ということで、やれるだけやってみることにした。

 しかし結局、効果はなく、ストーカーからの手紙や贈り物がやむことはなかった。

 ただ、わたしの心は以前よりは楽になっていた。一人で追いつめられていたころと違って、今は一緒に悩んでくれる綾崎がいるから。

 依存している自覚はある。それを情けなく思って恥じる自分もいる。

 けれど甘えたい心は膨らみ、これ以上はいけないと自制しようとするわたしを苦しめる。

 彼氏を作れというのなら綾崎君がなってよ。ふりだけでもいいから。

 そんなことを危うく口走りそうになったことさえあった。善くないな、と自嘲せざるを得ない。何をやってるんだか。







 そんな息苦しくも、じゅくじゅくと甘やかな日々が過ぎていき──仲夏ちゅうからしいきらきらと蒸暑い朝のこと、わたしが最も恐れていたことが起きた。起きてしまった。

 いつものように出勤したわたしは、自分のデスクに、向日葵を思い起こさせる淡い黄色の洋封筒を見つけた。隠されるでもなく中央にぽんと置かれていた。

 嫌な予感、そしてその予感が現実のものとなる確信がわたしを苛み、息が震えた。

 手に取ると、封筒の口が浮いていた。糊付けはされていないようだった。中を覗くと、折り畳まれた便箋が覗いた。取り出してわたしは、


「『Dearディア Ryoリョウ,』?」


 当惑した。手紙は全文が英語で綴られていたのだ。

 わたしは新人とはいえ英語教師だ、読めないということはない。すぐに頭を英語用に切り替え、読みはじめた。


『どうしてわたしの言うことが聞けないの? 何のことかはわかるわね?

 ……ええ、そうよ、あの少年、綾崎千宙のことよ。

 あなたはわたしのもの、わたしだけのもの。ほかの人間に心を許しては駄目なのよ。それなのによりにもよって男なんかに。何度言えばわかってくれるの?

 わたしはあなたのためを思って警告しているのよ。

 男なんかに期待しても報われることはない。どうせ傷つくことになる。あなただって本当はわかってるんでしょ?

 あの少年だって、そう。純粋そうな顔をしていても所詮は男、腹の底ではわたしたち女を嘲っているに決まっているわ。

 男にとってわたしたち女は、どこまでいっても暇潰し用の玩具にすぎないのよ。

 知ってる? 男たちのある界隈では女を精神的に追い込んで自殺させる遊びが流行っているの。誰が一番早く自殺させられるか競っているそうよ。最低よね。最低すぎて笑えてくる。笑いすぎて涙が出るわ。

 ……だから、駄目。

 もうあの少年に近づいては駄目。あなたのために言ってるのよ。愛しているから、誰よりもあなたを愛してるから。

 わたしと、わたしたちだけの優しい世界を生きましょう。それが一番幸せになれる。わたしたちにはそれしかない。

 これが最後だからね。これでもあなたが態度を改めないようなら……わたしはあなたのために不本意な決断をしなくてはならない。わたしにそんなことさせないでちょえだい。ね、信じてるよ、涼。』


「……ジョウブ? ……ンセイ、どうしたの?」


 不明瞭な呼びかけが聞こえ、ハッとして顔を向けると、雲雀が心配そうに──怪訝そうに眉を曇らせていた。


「いったいどうしたというの? その英文には何が書かれているの?」


「い、いえ、その」とまごつきながら手紙を伏せ、「昨日眠れなくて」と下手な誤魔化し。


「白黒さんと何かあったの?」


 続いて雲雀が口にした予想外の名前に、わたしは驚愕を隠せない。「ええっ?! この手紙、白黒さんからなんですかっ?!」


 彼女がストーカーだった? その可能性はまったく考えていなかった。そんな素振りはなかったのに、本当に?


「ええ、朝早く彼女が置いていったものよ」事情を知らない雲雀は、あっさりと首肯した。


 ストーカーは白黒都和?──いや、でもおかしい。

 わたしはすぐにその矛盾に気がついた。

 今まで姿を現さなかったのに、今回に限って何の偽装もせずに、まるで自分が犯人だと自白するかのように無防備に脅迫状を置いていくのは不自然すぎる。

 それに、白黒は英語ができない。

 翻訳アプリを使ったのだろうか?──いや、それもないように思う。

 翻訳アプリにしては自然な英文──というより、ほとんどネイティブレベル──だし、仮にたまたま違和感のない英文が完成したのだとしても、その内容を理解して確認できない白黒としては利用したくないのではないか。脅迫したいだけなら普通に日本語で書いても目的は達せられるのだから、あえてリスクを取る必要はない。


「どういうことなの……」


 とはいえ、ただ困惑しているだけでは解決しない。わたしは昼休みを待って白黒に話を聞くことにした。







「ああ、はい、たしかにわたくしが置いたものですわ」


 教室でお弁当を広げようとしていた白黒を廊下の端に引っ張っていって洋封筒を見せて尋ねると、彼女は悪びれる様子も動揺もなくあっさりと認めた。

 詳しく経緯を聞くと、


「朝、登校したらわたくしの机にその黄色い洋封筒が置いてあったのです。宛名も差出人も記されていませんでしたけれども、貼られていた付箋に、『授業用資料 雨ヶ谷先生に届けておいて』とありまして、委員長として無下にするわけにもいきませんのでお届けした次第ですわ」


 というのだ。つまり、白黒はメッセンジャーとして利用されただけ。


「誰が白黒さんの机に置いたかはわかる?」と尋ねても、


「申し訳ありません、それはわかりませんわ」


 礼を言って白黒を解放した。並んだ教室からは昼休み特有の楽しげなざわめきが洩れ聞こえてくるが、わたしは廊下に一人、立ち尽くしていた。

 と、


「何してるの?」


 冬の空のように澄んだ少年の声──綾崎に問われた。手に売店のレジ袋を提げている。昼食を買ってきたところなのだろう。

 脅迫状では綾崎と関わるなと釘を刺されていたけれど、わたしが弱り切っているのを察した彼に、


「何かあったっぽいね。ちょうど時間あるからお昼がてら話聞くよ」


 と言われ、拒絶できなかった。

 綾崎の華奢な背中に追従し、着いたのは誰もいない男子サロンの部室だった。

 テーブルを囲む革張りのソファーに腰掛け、脅迫状を見せて事情を説明した。

 すると、綾崎は困ったように溜め息をつき、


「犯人がわかったよ」


 と告げた。

 そして、驚くわたしにその推理を語りはじめた。

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