鼻×花

15/02/14



まだまだ寒い2月の休日、私は娘と二人でだだっぴろい畑の畔にいた。春になったらここはレンゲソウの花が辺り一面を埋めつくす。茶色い畑はやがてどこまでも薄紅紫に染まるのだ。ちっちゃな手を握り、私たちは畦道を歩く。

「去年ここに来たこと、覚えてる?」

私はあえて間延びした声で娘に聞いてみた。いや、ホントは聞いてなかったのかもしれない。この鉛色の空に向かって言ったのかもしれない。娘は仏頂面で畔の雑草なんかを探し物でもあるかのようにキョロキョロと足元をみていた。握った右手をぶらぶらさせながら「ここでレンゲソウを摘んで、写真をとったんだよ。」とまたひとりごとのように呟いた。


悪いことは、また別の悪いことを運んでくる。よくないこと、上手くいかないこと、不快なことが次から次へと数珠繋ぎになって、私を縛りつける。外見だってそう。私が気にしている団子っ鼻は見事に娘に遺伝しまった。きっとこの子が大きくなった頃、また私と同じように悩むのだろう。そう考えると堪らなく自分が憎かった。

「外見より中身が肝心よ」と言ってくれた私の母は結局のところ、要領がよかっただけのように思える。私は母ほど生きることが得意じゃなかった。それは甘えだったのか、もっと向上心があれば解決できたことなのか、今となってはわからないし、正直わかりたくもなかった。でも、


私はこの子になんて言ってあげればいいんだろう?


いつの間にか近くの小石を蹴っていた。小石はしばらく真っ直ぐ転がってゆき、やがて何かにぶつかったのか変な方向に跳ね、溝に落ちてしまった。娘がその小石を追いかけて私の手を振りほどく。その小さな背中がもっと小さくみえて、つい立ち止まってしまった。所詮そういうことなのだ。


深呼吸すると湿った土の臭いがした。やっぱりカメラはもって来なくてよかったかもしれない。ちょうど畔道から外れたところに自動販売機をみつけて、吸い寄せられるようにそちらへと向かった。お茶でも買ってわけて飲もうか。小銭をじゃらじゃら入れてボタンを押す。ガコンと落ちてきたお茶をとりだしながら娘の名前を呼んだ。返事はない。一瞬のうちに私の胸のなかに冷たいものが流れ込んだ。



「ねぇねぇ、お母さん。」


私の真後ろに娘は立っていた。


「もう、驚かさないでッ!」


そう声に出す前に娘が何かを突きだしていた。


「これ、なに?」


かがんでみると、そこにはちぃさな花が握られていた。ちぃさな握りこぶしからぴょんっと飛び出たちぃさな花。まだ咲ききっていないのか半分花びらが閉じている。私の小指にも満たない小ささで、けれどとっても綺麗なコバルトブルーの花びらをもっていた。


「さぁ… なんて名前の花なんだろうね。 どこでみつけてきたの?」


すると、「そこ。」と言って私が歩いてきた道端を指した。近づいてみれば、同じ花がいくつもかたまって咲いていた。全く気づかなかった。むしろ、何度同じ道を通ったところで私ひとりでは気づかなかっただろう。それほど小さな花だった。娘の手が肩に触れそっと振り返ると


そこには天使がいた。


まんまるな瞳をお星さまにさせて

ニコニコと笑うわが子がいた。


「このお花、どんなにおいがするの?」


そう言って私の答えも聞かずにそっと目を閉じ花を鼻にあてる。


モノクロの空を背景にこの子と名も知れぬ花の青だけが色彩を放っていた。山からそよ風が流れ、まだ薄い幼子の髪をゆらした。


その一瞬は触れられないほど繊細で、神聖なものであるように感じた。


そこで、あるひとつの情景が甦る。それは去年の春。一面 薄紅紫の花畑のなか、イタズラっぽく笑いながらレンゲソウに鼻を近づけそっと蜜をかぐこの子の姿だった。私はそこでも同じものを感じた。そして、取り憑かれたように一心不乱でシャッターを切ったんだ。


それは、 あなたが映る世界を残しておきたくて。たった今、この一瞬にいつまでも居たくて。でも なぜか、とっても痛くて。私がもう少しあなたの鼻を高くして生んであげればよかったのに。そんなドロリとした感情を

ファインダー越しに悟られないよう、何度も何度もシャッターを切り続けたのだ。


なにもかも忘れていた。

あの時の私はもうこの一瞬は二度とやってこないと確信していた。

でも、ちがう。

あの一瞬はやってこなくても、また新しい一瞬がやってくる。

上手く言えないけど、それはきっと悲しいことではないはずなんだ。


なぜか、そう 今思えた。





「なにも におい しない。」


ぽいっと花をなげると娘は喉が渇いたのか、さっき買ったお茶をねだった。


「そろそろ、おうちに帰ろっか。」





そして、私たちは来た道を手をつないで帰ったのだった。









【おわり】

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