第39話 桃色の契約
――……てます……?
――……ねえ、聞こえてますか……?
「……?」
遠くで声が聞こえる気がする。
いや、気がするというだけで、実際はかなり近くで響いている声かもしれない。頭の中の細胞すべてが電動歯ブラシのように振動しまくっているせいで、意識がまたすぐにでも飛びそうだ。
揺れに揺れまくった視界の向こう、すりガラスのような光景でも、辛うじて色はわかる。桃色の髪の、女性のようなシルエットがいた。
「……閃……?」
――大分参っているようですね。では宿を用意しましょう。
――大丈夫。あなたもあなたの仲間もゆっくり眠れますよ。
――結果的には損はしないはずです。
「……?」
妙な言い回しだった。というか明らかに口調が違う気がする。目の前にいるのは本当に閃だろうか。
しかし、そんな疑問を抱く前に眠気に負けてしまう。
――おやすみなさい。お話はまた後日。
――あーあ。やっちゃったわね鳶助くん。
(あ、最後の声だけはアイツだな……?)
アマテラスの残念そうな、しかしどこか嘲るような声を最後に、今度の今度こそ意識を失った。
◆◆◆
「治療……完了!」
武郎の魔術、
ただし発動条件は極めて歪。治療したい対象に暴行を加えることでしか決して発動しない。
殴る、蹴る、頭突く、噛みつく、突き飛ばす、関節技、締め技。方法は武郎本体による暴行であればなんでもいい。
そうして武郎の暴行を受けた対象は、その暴行を受けた患部が武郎の与えた傷を巻き込む形で再生。結果として、武郎にボコボコにされた者は高級エステ帰りレベルで癒されることとなる。
弱点は二つ。まず武郎本人にこの魔術をオフにすることが不可能なこと、つまり武郎は実質一生『誰も傷付けることが不可能』だということ。
「……いつまでも慣れないな、コレは……!」
そして二つ目は、いかに最終的に全部治るとは言え、痛み自体は本物だということ。
世界一安全な男と、できれば頼りたくない人間筆頭という二つの異名は決して矛盾しない。それが
閃は辛うじて意識を保っているが、閃以外の五人は全員あまりの痛みに
鞘に入ったままの刀を杖代わりにして、ふらふらと閃は立ち上がる。
「……頭の中が渦巻いているような気分だ。端的に言えば目が回る……!」
「俺は忙しい。お前のお父様からの伝言を伝えるから、返事をさっさとよこせ」
景色が右回り、左回りにぐらぐら揺れるが、その程度の返事程度ならどうにかなりそうだった。ひとまず文句はお終いにして傾聴する。
「新入りの沙汰はお前に任せてもいい。手に負えないなら連絡しろ、だそうだ。返事は?」
「……悪いようにはならない。フーの報告書を大人しく待ってろ、と言っておいてくれ。ただ――仕事は欲しいかもな」
「ふふふ……! 安心しろ! 奇跡的に予想済みだ!」
一瞬武郎がなにを言っているのかを理解し損ねたが、すぐに思い至った。
「ああ……そうか。それならいい。伝言の必要性すらあったのか?」
「形式上はな。ともあれ、これであの三人の沙汰は決まった」
武郎は踵を返す。治療する人間が一人たりともいなくなった以上は、もう用はない。そういうことだろう。
「全員無罪。十三都の新しい住人として認める。そんなところか? ふふふ! 旅人など何年振りだ? 十年はいなかったかもしれんなぁ!」
「いくらでも勝手にワクワクしてろ。私は……疲れた……」
身体的には間違いなく健康。だが精神の面では今にも寝てしまいそうなほど疲れ切っていた閃は、下手を打つとそのままその場に倒れてしまいそうだった。
「安心しろ。寝床はすぐそこに用意してある。見張りもちょっと増員してあるからゆっくり休むといい」
結界内に妖魔が入り込むことはないとは言え、妖魔が投石のような遠距離攻撃をする可能性はゼロではない。それ故の見張りを、閃たちのためだけに増やしたと言う。
武郎の気遣い、というよりかはもう一人の方の気遣いだろう。そのもう一人は鳶助と喋ったきり、武郎よりも早く帰ってしまったが。
「……ありがとう」
「よく寝ろ。こちらも明日になって仕事が片付いたらまた来る」
物凄く痛い、という以外はひたすらありがたいことしかされていなかった。
本当に出来た人物だった。心の底から信頼できるし尊敬している。武郎の巨大な背中を見送りながら、しみじみと閃はそう思っている。
だが。
「……し……死ぬほど疲れた……特に治療が一番……」
取丸と戦ったとき以上に骨身が削られた。
比喩ではなく、本当に骨身をゴリゴリに削られたのだ。頭を鷲掴みにされて、その辺の建物の壁にこすりつけられて紅葉おろしのように。
それを全員やられたのだ。閃が杖を含めた三本足で立てているのは、精神の力だけが僅かに残っているからに過ぎない。
「悪いが誰か肩を貸してくれないか……? 私のも含めて六人分」
明日から再開する新しい策に心が弾む気持ちは間違いなくあったが、今はとにかく泥のように寝たい。
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