第2話 大蜘蛛によって食い尽くされた都

 鳶助とびすけがこれまで積んできた人生の経験は、そう特別に厚いものではない。故に、目の前に『これまでまったく見たことのない景色』が広がっていたところで、それを理由に地球ではない世界に来たのだと断定することはできない。


 だが少なくとも、これだけは断言できる。


 今、鳶助の目の前に広がる世界は、東京ではまず間違いなくありえないものだ。


「なんか変だなと思ったら……静かすぎたんだな」


 瓦の屋根の木造建築が、眼下の街並みをほぼ独占している。そこまでは地球でもごく一部でならあり得る話かもしれない。

 問題は、見渡す限り、どこにもこと。視界には住居という人工物に溢れているにも関わらず、聞こえるのは風のさざめきと、鳥の声。あと後ろから聞こえてくる、サイズの合ってない靴をぺたぺたと引きずるように歩く音。


「ロード。あの……寒くありませんか?」

「……くしゅんっ」


 気候は春の陽気。天守そのものが高い土地に建てられていて、高層建築物が一つたりとも、マンションの一棟すら建てられていないので広く果てしなく感じる空は雲の数が数えられるほどの晴天。


 にも関わらず、少し肌寒く感じるのは風がやや強いから、というだけではない。


 鳶助が先ほどよりも薄着になっていたからだ。


「いや、平気平気。極寒ってわけじゃないし。流石に女の子を裸で放置するよりはマシでしょう」


 鳶助は肌着代わりの白いTシャツと、ボクサータイプのパンツ、そしてあとは靴下だけというみすぼらしい恰好になっていた。


 何故かと言えば、先ほど不可逆変化ふかぎゃくへんげによって生み出された女の子に、自分の服を貸したからだ。

 鳶助の手持ちの服は、自分が着ていたブレザー式の学生服しかない。故にワイシャツとブレザーと、そして裾を上に捲り上げたズボンを着せる他なかった。


 女の子は鳶助より体格が小さいので、ベルトも余りまくっている上に、シャツの隙間から谷間やらが見えて相変わらず目に毒だったが。裸よりかは遥かにマシな恰好となっている。


「天守の中を探せば、服くらいはいくらか……いえ、服でなくても布の類はいくらでもありそうでしたが」

「そうは言ってもね。バケモノの住処になっていた場所から物を持ちだしたら、それって火事場泥棒と一緒じゃないか」

「……ふふふ。どうやら私は中々優しい人の従者として生まれたようです。あまりの慈悲深さに胸がいっぱいな心地です」


 上機嫌に、赤い唇を三日月状に歪めて笑う女の子は、やたらとつやがある。目を奪われるほどだ。


 ところで――


「……あー、うーん……キミ、名前とかある?」


 どう呼べばいいのかわからないままだと、いい加減会話にも不便だと気付いた故の質問。


 しかし。


「ありません。ついさっき生まれたばかりですので。

 ……ところで、人間ってこういうふうに生まれるものなんですか? 私の記憶だと妊娠と出産という過程が必要なはずなのですけれど」

「僕もそう思ってたよ……」


『気に入ったでしょ? 私の加護チート


 またしても頭上から、呑気な女性の声が聞こえる。

 うんざりした顔で鳶助は声の方を見る。ふわふわと浮かんでいる、橙色の髪の色をした黒い和服の『女神』と目線がカチ合った。


「……今のところの印象は『最悪』の一言なんだが。ちゃんと詳しい仕様は解説してくれるんだろうな?」

『もちろん。でも一つだけ忠告を』

「忠告?」

『私の姿は、基本的にはあなたにしか見えないわよ』


「……ロード? 急にどこに向かって話かけてるんですか?」

「……あー……ひ、独り言……だよ」


 鳶助は、微妙な顔をして誤魔化す他なかった。女の子は尚も怪訝そうな顔をしていたが、それきり質問を続けることはない。


『仕様の解説とは別に、これは私からの提案だけど。その子に名前は付けてあげた方がいいわよ。会話、しにくいでしょう』


「……えーっとさ。キミ、どんな名前がいいとか希望、ある?」

「ロードの随意のままに」


 主の命を待つその姿は、ひたすらうやうやしい。だが決断を迫られたようで、鳶助には少しプレッシャーだった。


◆◆◆


「……から想像してた百倍酷いな、コレは」


 天守のあった高台から降り、城下町をぶらついて、愉快なことは一つたりとも発生しなかった。


 まず、大抵の建物にどこかしら損傷がある。大穴が開いてたり、戸が壊されていたり。


 そしてこれが一番不愉快だったが、生きた人間が一人たりともいなかった。

 逆に言うと、死んだ人間しか転がっていない。


「……これ、検死の知識がなくても一目瞭然ですね。明らかに食い殺されてます」


 家の中にいたりもするが、多くの死体は道端にごろごろと転がっていて、しかもすべてが乾いた白骨と化していた。


 骨折や欠損が遠目からでも見て取れる。もっと近くで見れば噛み傷で骨がデコボコになっているのも確認できるかもしれないが、それを確認する勇気は鳶助にない。


 いつの間にか、無遠慮に骨をベタベタと触る女の子はいたが。


「……由良ゆら。あんまり仏さんを触っちゃダメだよ」

「あ。申し訳ありませんロード。確認したかったので……」


 骨を元通りに丁寧に戻す、元大蜘蛛の女の子。鳶助によって由良と名付けられた彼女は、鳶助に対してずっと従順だ。


(これも不可逆変化の効果の内ってことかな……まあ、そこに穴が開いてたら『人間に変えられたバケモノが復讐として殺しにかかってくる』ってアホな能力になっちゃうし)

「それにしても……なんなのでしょうか、ここは。あちこち蜘蛛の糸だらけです」

「ん?」


 そこは鳶助も気になっていた。まるで大蜘蛛のテリトリーであることを示すかのように、建物のほぼすべてには蜘蛛の糸が張り巡らされている。


 そのすべてが、大蜘蛛の元の住居である天守に向かって伸びているのだが。しかし今の問題はそこではない。


 この蜘蛛の糸を張ったのは間違いなく由良の元になった大蜘蛛だというのに、由良がそのことにまったく無自覚な発言をしたことだ。


「なんなのでしょうかもなにも、由良。これはキミが……」

『おっと。ストップ』


 そこを指摘しようとすると、天からまた呑気な声が聞こえた。


『ここでちょっとしたtipsをば。不可逆変化によって生まれた人間に。前世の記憶なんてもっての他。基本的に彼女が持っているのは、あなたが持っている意味記憶のコピーと、前世に持っていた能力を十全に使えるだけの手続き記憶のみ。


 まあ要するに、コーヒーの淹れ方や元素周期表の暗記の仕方は知っていても、大蜘蛛だったときの記憶はないし、復活もしないってこと。不可逆って言ったでしょ?』


(……知れば知るほど、本当にイヤになるような能力だな……! できれば二度と使いたくない)


「ロード?」

「……いや、なんでもない。さて、どうしたものか……」


 心配そうな由良に声をかけて、思考を再開させる。


 状況は一目瞭然だ。この場所は人間の住処として、いわゆる『みやこ』と呼べるほどの規模だが、どうも完全に滅んでいる。

 過程や原因の細かい見分は不可能だが、それだけは確かな事実としてここにある。そうでなければ乾いた白骨になるまで死体が放置されるはずもない。


「どうにか人気のある場所まで移動したいけど、この格好じゃあな……仕方ない。丸っきり火事場泥棒みたいで気が引けるけど、まずは靴と服をどこかで調達しないと……」

「あっ!」

「ん?」


 服、と聞いた途端、由良の顔色がパッと明るくなる。


「服、作れます! 多分!」

「えっ。いや、作れるって……? その辺の家から服を盗んで、パッチワークとかでってこと?」

「いえ、一から!」

「……んー? ごめん、意味がよく……」


 わからない、と言おうとしたが、由良がパンと両手を合わせると――


「何故だかわからないのですけど、私、蜘蛛の糸を出せるみたいなので!」


 手品のように、あや取りのように、蜘蛛の糸が由良の手に絡みつくように出現した。


「えっ!? な、なに!? どうやってるの、それ!?」

「わかりません! わかりませんが……」


 綺麗な笑顔で、由良は希望に満ちた声を弾ませる。


「多分、これで服が作れます!」

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