第2章 小さな抵抗と模索①
2.1 「男の子らしさ」への違和感
2.1.1 小学校の環境に感じる違和感
教室の入口には、クラスの名簿が貼り出されていた。
男子、女子——
それぞれの名前が別の欄に分けられているのを見て、胸の奥がずんと重くなる。
(知ってた。分かってた。でも、やっぱり嫌だ……)
6歳の私は、その違和感をうまく言葉にすることができない。
ただ、名前が「男子」の列に書かれていることが、息苦しくて仕方がなかった。
ランドセルを背負い直しながら、私はちらりと自分のランドセルの色を見た。
黒。
男の子なら当然のように選ばされる色。
実際、教室の中を見渡せば、黒と青のランドセルを背負った子が男子の席に座り、赤やピンクのランドセルを背負った子が女子の席についている。
(どうして、こんな風に分けるんだろう?)
1998年の社会では、それは「当たり前」のことだった。
違和感を抱くことすら、誰も想像もしないくらいに。
だけど、私は違った。
私の中には、2025年まで生きた記憶がある。
私は一度、大人の女性として生きた。
けれど、タイムリープで5歳の「柏木恭平」に戻ってしまった。
戸籍も、体も、もう一度「男の子」にされてしまった。
(でも、今度は違う。私は絶対に、またあの後悔を繰り返したりしない)
そう心の中で決意を新たにする。
だけど——それは簡単なことではなかった。
授業が始まり、先生が出席を取り始める。
男子の名前が呼ばれるたび、元気よく「はい!」と返事をする声が響く。
私は喉の奥がつまるのを感じながら、自分の番を待っていた。
「柏木恭平くん」
「……はい」
自分の声が、嫌に男の子っぽく聞こえた気がした。
でも、ここで高い声を出したら変に思われる。
違和感を噛み殺して、私は黙って座り直した。
次に待っていたのは、整列の時間。
男子と女子で二列に分かれるように言われ、男子の列に並ぶことになる。
並びながら、私はそっと隣の列を見た。
そこには、同じ幼稚園だった沙織の姿がある。
赤いランドセルを背負い、楽しそうに友達と話している。
(私も、本当はあっちに並びたい……)
でも、それは許されない。
私の体は、男の子として扱われるようにできている。
先生も、親も、クラスメイトも、私のことを「男子」としてしか見ていない。
体育の時間になり、さらに強く違和感を突きつけられることになった。
「男子はこっち! 女子はあっち!」
先生の指示に従い、男子チームと女子チームに分かれる。
私は仕方なく男子の列に入るが、どうしても居心地が悪い。
「おい、ドッジボールやろうぜ!」
男子たちは元気よくボールを投げ合い、笑いながら走り回っている。
でも、私はどうしてもその輪に入りたくなかった。
(ああ、またこれだ……)
一度目の人生でも、こうだった。
私は無理に男の子の遊びに付き合わされて、どんどん男らしい体になっていった。
バスケをやらされて、筋肉がついて、低い声が定着して——。
(もう二度と、あんなふうになりたくない)
私はさりげなく足を止め、ボールを拾うふりをしながら、少しずつ後ろに下がる。
幸い、まだ1年生だから、そこまで激しい運動を求められることはない。
トイレや更衣室も、できるだけ目立たないように使った。
(どうして、こんな当たり前のことがこんなにつらいんだろう)
誰にも言えない。
誰にも分かってもらえない。
でも、私は知っている。
この小さな違和感が、やがて私を押しつぶすほどの苦しみに変わっていくことを。
それだけは、何としても避けなければならない。
(私は、私として生きるんだ)
私は小さく拳を握りしめ、もう一度心に誓った。
2.1.2 男女の遊びの違いと孤独感
休み時間になると、教室の中は一気に騒がしくなる。
男子たちは「外で鬼ごっこしようぜ!」と勢いよく廊下に飛び出し、女子たちは机をくっつけてお絵描きやビーズ細工に夢中になっている。
私はどちらにも混ざれずにいた。
「恭平も行こうぜ!」
男子の一人が私を呼ぶ。
断る理由が見つからなくて、仕方なく立ち上がる。
鬼ごっこやドッジボールなんて、前の人生でも苦手だった。
というより、好きになろうと努力したけれど、どうしても楽しくなかった。
校庭ではすでに鬼ごっこが始まっていた。
男子たちは元気よく走り回り、キャーキャーと楽しそうな声を上げている。
私は適当に逃げたり、鬼になったらゆるく追いかけたりしていたけれど、心の中では早く終わらないかな、と思っていた。
汗ばんだシャツが肌に張りつく感じも、土ぼこりのにおいも、不快だった。
授業のチャイムが鳴ると、みんな「楽しかった!」と満足そうに教室に戻っていく。
でも、私はいつものようにどっと疲れていた。
机に戻ると、今度は女子たちがビーズアクセサリーを作っている。
指先で小さなビーズを通していくその動きに、私は無意識に引き寄せられた。
「……一緒にやってもいい?」
つい、そう口にしてしまった。
「え? なんで?」
返ってきたのは、悪気のない疑問の声だった。
女子たちの視線が私に集中する。
彼女たちにとって、それは単なる「普通じゃないこと」だったんだろう。
責めるつもりはない。
でも、心の奥にチクリとした痛みが残る。
——そうだよね。
やっぱり、だめなんだよね。
何事もなかったように席に戻り、本を開いた。
読んでいるふりをしながら、ぼんやりとページをめくる。
こうやって一人でいる時間が増えていくのがわかる。
でも、そのほうが楽だった。
それなのに——
「恭ちゃん!」
突然、明るい声が耳に飛び込んできた。顔を上げると、沙織ちゃんが笑顔で立っていた。
「なにしてるの? 本ばっかり読んでないで、一緒に遊ぼうよ!」
「……でも、いいの?」
さっきの出来事があるから、つい慎重になってしまう。
でも、沙織ちゃんはそんなの気にしないというように、私の手をぎゅっと握った。
「いいの! ほら、みんなでビーズやってるから、一緒にやろ!」
強引に引っ張られるようにして、私は女子たちの輪の中に入ることになった。
最初は戸惑いの目を向けられたけれど、沙織ちゃんが楽しそうに話しているうちに、少しずつ私も受け入れられていった。
ビーズを指でつまみ、糸に通す。
その感触に、懐かしさを覚える。
ずっと遠ざけられていたものに、ようやく手を伸ばせた気がした。
「恭ちゃん、上手じゃん!」
沙織ちゃんの言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
——ここにいてもいいんだ。
沙織ちゃんがいてくれるから、そう思える。
たった一人でも、味方がいることが、こんなに心強いなんて。
今度こそ、間違えないように。
私はそっと、指先で通したビーズを見つめた。
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