38;世界最大のスナイパー、本田魁十

「……っし、じゃあ話はこんなもんでいいか。じゃあクスリの輸送よろしくな〜」


 集会が終わって、本郷はのそのそとバイクに向かって歩き出した。


「おい、実行する側の実権を握ってるのはお前だろ。ずいぶんやる気がなさそうだな、ナメているのか」


 そんな彼に明確な殺意を向ける男性が一人。小林組の武闘派、本木もとき幸太郎こうたろうだ。 ちなみに間谷は彼が連れた舎弟が連れ帰った。


 本郷もまた本木の口ぶりに苛立ち、ゆっくりと振り返って睨み返す。


「大して生産性ある話できる場でもねぇだろ。テキトーに済ませときゃいいんだよ、長話して日異協の増援が来たらどうすんだ」


 本気で殺すつもりなのか、というほど強い殺気を放つ。

 南は驚愕した。先ほどまでのパリピとでもいうような陽気さはどこへやら、猛獣さえも慄かずにはいられないと彼が確信するほど重い圧が本木どころか残党までも巻き込んで押しつぶす。


「むぅ、それはそうかもしれんが」


 凄まじい眼力に本木は額に汗を滲ませた。


「じゃ、そゆことだ。行くぞ須賀」

「あ……はい」


 南は急ぎ立ち上がって本郷のもとへ駆け寄る。


「あの……どちらへ」


 そのまま彼についていきながらこう問うた。

 それに本郷はニッと笑い、聞いて驚け! とでも言わんばかりに両手を広げて、答える。


「俺たちのアジトだよ!」

「えっ」


 南は思いがけず驚いた。ここまで割れなかった悪Q連のアジトが、ついに割れようとしている。


*****


「おい貴様、もっと急がんか」

「は、はい! すみません!」


 未明の首都高、芝浦ジャンクションの方向へ走る一台のトラックには、運転手を担う残党一人と本木が乗っていた。


「間谷の兄貴をああも痛めつけるとは……おのれ、許すまじ結城杏奈! 出会った時には必ずや、蜂の巣にしてくれる……!」


 本木は助手席で涙を流しながら鬼の形相になっていた。噛み締めた唇からは血が滲み出ている。

 運転手はその様子を見て、恐怖のあまり真っ青になっていた。


「必ず殺す必ず殺す必ず殺す必ず殺す必ず殺す必ず殺す必ず殺す……………」


 本木はぶつぶつと呪詛を唱える。運転手はそれを延々と聞かされ続け、怖いよ早く降りたいよと車を飛ばすのだった。


 そんな時である。


「う、うわわわ!?」

「おい、なにをしている!」


 ボンッという異音とともにハンドルがとられ、車体が大きく蛇行し始めた。激しい揺れが起こり、タイヤが酷いうなり声をあげる。


「パ、パンクした!? なんで??」

「キサマ! 確認はしたのか!」

「しししました! しましたしました!」


 トラックは大きくスピードを落とす。


 その一・五キロメートルほど離れたところに走る車があった。


「よぉし、車通りが少ないおかげで当てやすいな」

「え!? もう当てたんすか!? 見えてすらないのに!」


 窓を全開させた助手席から上半身を乗り出し、ドアに座るいわゆる “ガンナーズ・ポジション” の体勢になった黒スーツの男の言葉に、運転手が絶叫した。


「いやまぁ、確かに遠いし遮蔽物もあるしで、スコープ使ってもたまーに端っこからトラックっぽいものが一瞬出てくる、くらいなんだよな。さっきようやく見えたから撃ち抜けたよ」

「なんでそんだけで撃てるんすか!?」


 一キロ以上先にある物体を認識するのは、人間には非常に困難だ。たとえスコープを使って拡大したところで、トラック本体が見えてもタイヤまで識別することは極めて難しい。

 それなのに高速道路を、しかも遮蔽物の多い首都高を走る車のタイヤを射抜いたのだ。まさに神業といえよう。


「ま、狙撃は俺の数少ない取り柄なんだから、活躍させてくれぃ」


 そう言って男——そう、我らが日異協会長、本田魁十はスナイパーライフルを構え直す。


 高架が入り組み、規則的に配置された電灯が照らす幻想的な首都高。辺りには光を忘れたビル群が鬱蒼と鎮座して、笑う満月がこの神域のような世界を包む。


 本田はこの空間に懐かしさを感じていた。


「——昔Snow Lordとも、ここでカーチェイスしたな」


 本田の視覚は芝浦ジャンクションをとらえた。ここまでで最も障害物が多く、ビル群は風の乱れを生み出し、弾道が簡単にブレる。それで今もなお一キロメートル近く離れる車を射抜くのはほとんど不可能だ。


 本田は呼吸を整える。自分が乗る車も高速で動いているから、風は直接は読み取れない。

 だから、今感じる風から実際の風の強さを予測して、風向をとらえ、ビル群の構造から風の乱れ方を推定する。

 いつどこに車が見えればどの角度に撃てばいいか、一瞬で何通りもシミュレーションした。


 そしてついに、複数の高架が交差する中、その柱と柱の間に一台のトラックが現れるのが見えて。ちょっと射線を横にずらしてから、瞬時に引き金を引く。


 破裂音をひとつ連れて、その弾丸はまっすぐ飛んだ。不規則な風の乱流、そのド真ん中、最もあおられにくいルートをピンポイントで通り抜け、トラックを斜めに追いかける。入射角は七十度ほどになるだろう。平行に近く、速度の差を考えるとこのままでは当たらない。


 弾丸がトラックを追い抜いた。そして高架の柱へと向かう。が、そのまま柱にぶつかって


 バァン!


「コエッ?!」


 その弾丸は走ってきたトラックの窓を叩き割り、運転手のこめかみを貫く!


「おい、どうし……うぐっ!?」


 制御を完全に失った車はガタンッと大きく揺れて、スリップし旋回する。本木は状況を飲み込めないまでもドアを蹴破った。


「おおおおおおおお!」


 意を決して飛び出し、受け身をとりながらゴロゴロと転がる。その後ろで車は首都高のレールに突撃し、ひしゃげて止まった。


「ハァ……ハァ……なんだ、なにがおこった……」


 本木は血まみれになってよろよろと立ち上がる。トラックはもう使い物にならないことが一目瞭然だった。


「狙撃手がいたというのか……?一体どこに……」


 冷静に状況を把握して、本木は原因を探った。金のラインが入った黒の上着を脱ぎ、潰れたトラックの陰に飛び込む。

 狙撃手の仕業なのか確信が持てないが、彼も歴戦の武闘派。万に一つの可能性を考えて息を潜める。



「おっ、あれだな」


 そんな時、本田を乗せた車が追いついてきた。路肩に停めて、本田が助手席から降りてくる。彼はトラックに歩み寄ろうとして、足を止めた。


「誰かいるな」


 本田は重く、低い声で言う。その言葉を聞いて、本木がトラックの陰から顔を出した。


「なるほどな、お前の仕業だったか本田魁十」


 本木はダガーナイフを取り出して、笑った。


「本木幸太郎……? 小林組の武闘派がなんで悪Q連のトラックに。……まさか本当に関与してるってのかい」


 本田は声を落とし、探るように問うた。それに本木は訝しげな視線とともにこう答える。


「本当に……か。どうやら足がついていたようだな。」


「お前は世界最大のスナイパーとして恐れられる怪物だ。どこから狙ったかしらんが、トラックをこうしてしまえるのも頷ける」


 本田は世界最大のスナイパーと呼ばれている。幼少期からアーチェリーや弓道でめざましい成績を残していたが、日異協に入ってからは銃の才能に目覚めた。射撃でオリンピックに出れば金メダルは確実、中長距離から銃だけで戦えば彼に敵う者はおそらくいないと言われているほどだ。


 だが、かといって彼は万能な戦士ではない。


「だが、お前は近接戦が大弱点だ。それでいて迂闊に近づくとはなぁ!」


 本木が踏み込んだ。

 本田は近接戦が苦手なのだ。ナイフ術では主力の中だと一番低いかもしれないというほどに。


 しかし、それをカバーする方法はさほど難しいものではない。


「そんなんわかってるし、ここまだ中距離でしょうが」

「ぬ!?」


 本田は本木が前進したのと同じ分だけ後退した。そのまま拳銃の引き金を引く!


「それは読めるぞ!」


 頭への銃撃。しかし本木は弾道を予測して左に体を傾け、なんと本田の銃撃をかわしきった。しかしそれで一瞬、ほんの一瞬、左足が止まる。その隙に——


 タァン


「うっ!?」


 左膝を正確に撃ち抜かれ、本木は前方にバランスを崩した。そして本田が憐れむように呟く。


「残念だったね」

「ま……まて……コッ?!」


 気づいた時には、銃弾が脳髄を貫いていた。本木は即死、その場に倒れる。


「よし、勝ったな。じゃあ回収しようか、木下くん」


 本木の死を確信して、本田は木下に微笑みかける。ずっと唖然として眺めてみた木下だったが、肩をびくつかせ、目を輝かせた。


「す、すげえええええ! はいっ、すぐ回収用車両にも連絡します!」


 彼は元気よく敬礼し、本田とともに作業にとりかかるのだった。

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