11;二件目
「すまない。新井先生のほうは僕らで何とかしておくから君たちは教室にもどってくれるか」
そのとき、ひとりの教師が彼らに声をかけた。
「なぜです?」
蓮はその教師の前に立つ。教師はため息混じりにこう言った。
「……あのねぇ、どうみても重体なのに生徒が勝手に手出しして悪化されでもしたら困るの。それにもう授業始めるから」
「我々は処置技術を学んだ日異協の隊員ですが?」
その物言いに蓮はムッとして悪態をつく。だが教師はその目に一層蔑みの色を浮かべてはねつけるように言った。
「日異協なら多発してる不審者の対応とか考えててくれない? とにかく早く教室に戻りなさい」
教師はのらりくらりとして聞く耳を持たない。蓮は下唇を噛んでさらに反抗しようとする。
だが、ももが咄嗟に彼の腕をとった。蓮は驚いて振り向く。
「今は戻ろ」
撫子色の目が静かに訴えかける。無闇に反発すれば、かえって面倒ごとになるだけだと。
蓮は我に返り、肩の力を抜いた。
「……そうだな。そうしよう」
「失礼しました」
ももがおじぎをし、続いて蓮と杏奈も頭を下げる。そうして三人はその場を去った。
「ねぇ二人とも、どう思う?」
教室に戻る途中、杏奈が問いかけた。
その顔は何か良からぬものを見たかのように強張っていた。
「何が?」
蓮が小首を傾げる。
「あれさ、薬物の症状っぽくなかった?」
その一言に空気が凍る。
杏奈が言ったからには適当な憶測ではない。日異協の人間である以上薬物事案そのものには当たることもしばしばある。ゆえにその症状は育成期間中に叩き込まれているからだ。ついでに彼女は医者を目指している人間だ。その事実もまた、発言の信憑性を高めてしまう。
「言われてみれば……」
「うーん、そうだよね……禁断症状っぽくはあった」
蓮は息を呑み、ももは顎に拳をあててぼやいた。
「まぁ……断定はできないけどさ」
重い空気を察した杏奈がボソッと付け加える。
それでも、この憶測は無視していいものでないことは明らかだった。
そしてそのまま一限目が始まった。
が、蓮たちには先刻の出来事が気が気でなく、杏奈はある程度授業を聞いているものの蓮とももは上の空だった。
違法薬物に関する不穏なニュースが流れる中、身近で依存者の可能性がある人物が現れた。これはただ公的機関の処理に任せて怖いなぁと尻目で見ているだけでよい出来事ではもちろんない。
不審者情報が開示された直後に校内で発生した異常事態。関連性がある可能性はほとんど皆無だとは三人には思えなかった。
無関係であればそれでいい。だが事件とは連続することがある。
「焔坂くん、柚木さん、ちゃんと話聞いてる?」
「「えっ、あ! すみません」」
こうやって教師に指摘されるくらいだ。
といっても、不穏な空気は教室全体に染みわたっている。授業をしている教師だっていつもより動きも喋りもぎこちない。無理もないことである。
蓮は頬杖をついて窓を見た。
薄い雲がかかりはじめている。
*****
「あー、今日も部活だりー」
「楽しいからいいじゃん、夏の大会もあるしがんばろーぜ。これが最後なんだし」
体育館の更衣室に、バスケ部員の三年生の男子生徒が入っていった。
ロッカーは決まっておらず、二人は適当な場所を選んで、開ける。
「ん?なんだこれ」
一人がロッカーの中に何かを見つけた。
「どうしたよ」
「いや、これ、なんだろうって。袋……? 白い……粉……?」
「え……? やばくね……?」
そこには小さなジッパー付きポリ袋に入った粉末が。
二人ともそれが異常なものであることはすぐに判断できた。
当然、なにも問題ない物質な可能性もあるのだが、近ごろの状況が状況だし、ロッカーにこんなものがあること自体不可思議なのだ。もはや根拠はそれだけで足りる。
「お、おいどうするよ、警察呼んだほうがいいやつ?」
「いや最初は先生に言ったほうが……」
予期するはずもない展開に二人とも戸惑う。片方は頭をかきむしり、もう片方も顔を上げずにため息をつく。
無理もない。人間普通に生きていればこんな場面に遭遇することなどほとんどないのだから。
「なぁほんとにどうするよ」
「いやぁ……。とりあえず俺先生呼んでくるわ」
その場で悩んでいるわけにもいかず、一人が全速力で駆け出した。そしてそのまま更衣室を飛び出しかけたときだった。
「「うわぁっ?!」」
誰かと衝突した。
「ご、ごめん!」
男子生徒が咄嗟に手を合わせて謝る。しかし、彼は相手の赤い目を見てハッとした。
「あ、あれ、きみってもしかして二年の……」
「三年生……。俺は全然大丈夫ですけど、どうしたんすか?」
「きみ二年生の焔坂くんだよね!? ちょうどよかった!」
「まぁ、はい。俺が焔坂ですけど。体育でタオル忘れてきたのにさっき気づいて取りに来たんです」
蓮がそう語っているうちに男子生徒は例のロッカーまで走り去っており、蓮に手招きをしている。蓮は怪訝な表情になりながら、何かあったのだろうと思いロッカー前まで歩を進める。
「こんなのが入ってたんだけどさ……」
手招きをした男子生徒がロッカーの中を指差す。蓮は眉一つ動かさず、ロッカーの中のポリ袋を見た。少し顔を近づけて凝視し、寸分おかずに切り出す。
「……関係ないものかもしれませんが、一応本部に連絡して鑑定してもらいます」
その言葉を聞いて、男子生徒二人は互いに顔を見合わせて胸をなでおろした。
そして彼らは去っていった。
「いやぁ日異協の人がいてよかったな」
「まじでよ、俺らが疑われたらたまったもんじゃねぇからな。こういうの丸投げできるのまじラッキー」
笑いながらそう会話する二人を横目に、蓮はお目当てのタオルを取って、日異協本部に連絡を入れた。
それからタオルを肩にかけて、例の粉末に向き直る。実働隊員が来るまでどうしていようか、と腕を組む。
とりあえず部活で更衣室を使う生徒がぞろぞろ入られても困るので、彼は更衣室を立ち入り禁止にすることにした。
「え? 更衣室使えねーの?」
「麻薬っぽいものがあったんだ。
「え!? まじで、やばくね!?」
部活でやってきた同級生をしっしと追い払う。鑑定対象に他人の指紋などがつくのもまずいからである。
他にも使おうとする者や、用もないのに絡んでくる者たちを追い払いつづけた。
そうしている間のことだった。
「あれ? なにしてるの?」
杏奈がひょこっと顔を出した。彼女は部活まで真面目にやっているので、何もない日のこの時間は体育館に現れる。
「お、杏奈。じつは更衣室の中でな……」
蓮は先ほどの出来事を軽く説明する。彼女は腕を組んで思案する。
「そんなことが? 校内にその持ち主がいるってことかな……。とうとう身近にも買い取るような人が出てきたか……。ちょっと見てもいい?」
蓮は「いいよ」とだけ言って杏奈を中に入れる。彼女は恐る恐る更衣室へ入って例のロッカーに小走りで向かい、袋を凝視してすぐ戻ってきた。
「確かにそれっぽいものがあったわね。一応先生にも言ってくるわ、黙っておくわけにもいかないでしょうし」
「そうだな、よろしく頼む」
杏奈は頷いて、入り口の方へ駆けていった。そんな彼女の後ろ姿を見届けて、蓮は正面に向き直る。
その時入り口から「うわぁ!?」と叫び声が聞こえたので、驚いて振り向いてみると、杏奈と数人の男性がペコペコお辞儀をしあっているのが見えた。
どうやら隊員が到着したらしい。
しかしさっきも似たような展開になったな、と思いつつ、蓮はその様子を見つめるのだった。
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