第18話:狂王戦死

「陛下……!」軍偵忍者ライオーは主の覚悟を見て絶句した。


「下がれ。死ぬのは儂一人でよい。お前たちは愚娘を助けてやってくれ」狂王トレボーはワードナの護符、持つ者を無敵にすると言われる伝説の魔法具を見、それから集まった近衛たち一人一人の目を見て言った。


「しかし、ワードナの護符は呪われています。使えば――」


 先鋒を務めるトレボーの娘アナスタシア王女は罠に嵌まった。周到に張られた罠を見破るには王女はまだ実戦経験が足りなかった。


「急げ。早くしないと本当にアナスタシアは」トレボーは愛馬の鞍に手をかける。


「しかし――」ライオーはトレボーを気絶させて運ぼうとした。背後にいる部下を見やる――その時視界が歪んだ。転移魔法だ――相棒の老魔術師ガーザーがかけたに違いなかった。


「陛下!」狂王トレボーが笑うのをライオーは確かに見た――。


 *   *   *


 友軍が周りにいないところまでトレボーは馬を走らせた。俺は死ぬ。死ぬために馬を走らせている。その思いが頭蓋の中を跳ねまわった。ここで良いという所まで来ると、馬から降りて鞭を当てた――だが愛馬はトレボーの元を離れなかった。もう一度試したが、愛馬は身じろぎしただけだった。


 俺を一人にはしない。そういう事か――トレボーは戦友が最期まで自分を見捨てずに居てくれる事に感謝した。友と、今では祈る事さえほとんど無くなった神にも。


 風が吹き抜ける――俺は、一人じゃない。


 護符を作動させる古代語をトレボーは唱え始めた。半刻近くもそうしていたろうか。護符が赤く光る。必要な動作は全て完了した。後は発動まで待てばいい。


 トレボーはどっかと腰を下ろす。愛馬が顔を寄せてきた。彼方に見える娘の陣を見る。もう少し粘れよ――そうすれば。


 トレボーはわれ知らず城下で流行っていた歌を歌いだした。忍びで出かけるにはトレボーは目立ちすぎるが、ガーザーの変装の魔法で度々城下へと足を運んでいた。自身の率直な評価を聞くことがトレボーは好きだった。忖度は嫌いだった。


 穏やかな気持ちの中にももの寂しさが漂う――自身の死という事を滅多に人間は考えない――例えいつ死ぬか分からない戦士であってもだ。いや、考えるが、間近に迫ったものとしてではない。いつでも自分は死を克服できると思う。そうでなければ戦士ではない。だが――死を免れる人間はいない。どれほど神に近づこうともだ。


 だが、思考は断ち切られた――周囲の空間が歪んだのだ。


「無粋なやからめが――フェードルはよほど儂が恐ろしいと見えるな」トレボーの周囲に七人の暗殺者が転移した。


 黒い鎖帷子チェインメイルに黒装束の戦士たちだ。


「トレボー王。お覚悟」ガルダリス語だった。実体化すると同時に斬りかかってくる――二人同時の攻撃をトレボーは立ち上がりながらの斬撃で吹き飛ばした。後ろから襲ってきた一人は腕と脚に致命傷を負い倒れこむ。


「儂を殺しても護符は止まらぬぞ」真正面の敵と切り結びながらトレボーは不敵に笑った。


 男たちは無言でトレボーを押し包む。トレボーは目もくらむような斬撃を放った。二人が同時に斃れる。それにも怯えず左の戦士が突きかかってきた。トレボーは左手に持った護符でその攻撃を受け止める。火花と共に金属音が響いた。男が目を剝くのも構わずトレボーは剣を突きさす。護符を盾代わりに使うとは思ってもいなかった暗殺者たちは一瞬ひるんだ。


 その時、トレボーの頭に名案が浮かんだ――ワードナの護符には転移魔法の効果もあった。効果を呼び出す古代語をトレボーは唱え始める。暗殺者たちはトレボーが何をしようとしているかまでは分からなかったが、それを唱え終わらせてはいけないことは分かった。


 残り四名の暗殺者たちは一斉にトレボーに斬りかかる。がそれは悪手だった。トレボーは身体を回転させて攻撃に応えた。暗殺者は四人まとめて絶命する。


 片を付けたトレボーは護符の力を発動させた――目標に十分届く。死んでしまうとしても、どこかしら救いはあるものだ――そう思った。


 *   *   *


「大帝陛下、トレボーは討ち取れるでありましょうか」大帝付き近衛隊長が疑問を口にした。


「討ち取れずともよい。ワードナの護符さえ回収できればな」フェードル大帝には恐れていることがあった――まさかその恐れ通りの事が起こるとは思いもよらなかった。


「敵襲!敵襲!敵襲!」旗本の旗が揺れた――恐怖の怒号が巻き起こる。


「エセルナート国王トレボー推参! フェードル、貴様の命をもらい受けに来た!」赤ぞろえの近衛騎士を踏みしだいて大音声だいおんじょうを上げたのはまさかの主――トレボーだった。護符の転移魔法で飛んできたのだ。愛馬にまたがったその姿はまさに生ける軍神だった。


 一瞬あっけにとられた近衛たちだったが気を立て直してトレボーに襲い掛かる。が、よもやの事に実力は発揮できなかった。


 トレボーの嵐のような攻撃に近衛たちは崩れた。一人の騎士が脳天から唐竹割にされたのを見て遁走するものが少なからず出た。


「大帝陛下――お逃げ下さい!」近衛隊長が喚く。その声にようやく我に返ったフェードルは馬を探そうとした。我が愛馬は――しかしトレボーはそんな逡巡しゅんじゅんを許さなかった。


 一気に迫りくる人馬に海が割れるように道ができる。フェードルは己の戦槌ウォーハンマーをひっつかむのが精一杯だ。


 近衛隊長がトレボーの前に立ちふさがる。が、四合も打ち合わぬ内に打ち倒され、馬蹄の餌食となった。


「ひいい」フェードルは思わず悲鳴を上げる――。「出会え、出会え――」背を向けて逃げるフェードル大帝をトレボーがじりじりと追い詰める。近衛たちが必死にトレボーと大帝の間の壁になろうとするが、寄っていく者は一人また一人と斬り倒されていく。


 間に立ちふさがる者がいなくなったのを見て、トレボーはもう一度魔法を発動した――今度はフェードルと自分の二人のみを結界で閉じ込めるものだった。どちらか、あるいは両方が死んで初めて現実世界に帰ってこられる。


 トレボーは宿敵と自ら決着をつける機会を得たのだった。


 *   *   *


「〝狂王〟結界魔法を使って勝ったつもりになるなよ」覚悟が固まったフェードル大帝は相手をあざ笑う。


「お前の大事な阿婆擦れは救えまい。何をしようともな。俺の命を助けるなら娘共々国に帰る事だけは許してやる」


 トレボーはただ笑うだけだった。それにフェードルは神経を逆なでされる。


「娘がどうなっても構わんのか!?」激怒の余り恐怖も忘れたフェードルは喚いた。


「愚娘を救うべく最善は尽くす――だが敵の靴をなめてまでの救いは求めん。あれが戦に加わった段階で覚悟はしている」狂王は言葉を切って大帝を見る。


「立場が逆転したな、フェードル」


「まだだ――お前を殺して護符を停止する。娘を慰み者にされるのを見ないで済むことが俺の慈悲だと思わせてやる――トレボー! 追放者風情が祖国に楯突いた罪を思いるがいい!」言いながら顔に赤みが差していく。


 トレボー程ではないにしてもフェードルも西方世界に名の知られた戦士だった。戦槌を構えるとトレボーにじりじりと近づいていく。トレボーは剣を構えもしなかった。


「舐めるな――」フェードルは怒りに任せて戦槌を振るう――真っ白な光が辺り一面を包んだ。トレボーの身体から白い光が発せられていた。


「終わりだよ、フェードル」トレボーの穏やかな声が反響する。戦槌が振り下ろされる様子がひどくゆっくりと見える。


 ――光の中にトレボーは最愛の、今はこの世にはいない妻ロウイーナの姿を見た。


 *   *   *


 捕虜交換で引き取った者の中に裏切り者が混じっていた――先鋒のアナスタシア王女は同時に攻めかかってきた伏兵に本陣をあと少しで破られるところまで追いつめられていた。


 直属護衛騎士団は獅子奮迅の働きで敵を食い止めていたが時間の問題だ。


 ついに王女自ら剣を抜いて戦い始める。敵軍との兵力差は圧倒的なものだった。王女は直属護衛女騎士カレンがわが身をかばおうとしたのを見た。思わず目をそらしそうになる。


〝愛している。我が娘よ〟戦場に父の声が響いた。魔法風が吹いて敵軍が後じさる。危ういところでカレンは救われた。結界が一気に展開し敵方は吹き飛ばされた。


「カレン――今の」


「姫様も聞かれたのですか。トレボー王陛下は」


「亡くなられたわ――分かるの。ワードナの護符が暴走したわ。お父様は私を救うために――」アナスタシアは言葉を詰まらせた。


 ――トレボーが戦死したのは公歴3224年9月28日。後に歴史の転換点と呼ばれる日だった。

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