第16話:裁きの天使

「そんな」堕天使ルドラはほんの一瞬だったが――驚愕した。目の前に現れたのはシノ=シェラハ=フーマ、ライオーの妻だった――。それだけではない。〝神殺し〟桜花斬話頭光宗おうかざんわとうみつむねの匕首を手にしていた。ルドラにとっては致命的な力を持つ短刀だった。


「ライオー様!」シノは叫ぶ。


「ライオー、戦って!」ルドラはシノの相手をライオーにさせ、自分はホークウィンドを捕らえようと動いた。


 神殺しを相手にするのは流石に荷が勝ちすぎる。


 ライオーは忍者刀、朔光左門清正さくこうさもんきよまさをシノに向ける。そのまま滑るような動きでシノに襲い掛かった。


「正気に戻って!」シノはライオーを攻撃できない。夫の連撃に防戦一方になった。


 ホークウィンドはルドラが魔法を唱え始めたのを見た。シノを後方から狙い撃つ気だ。ホークウィンドは忍者刀を構えると縮地でルドラに迫る。


 ルドラは攻撃を躱したが、流石に呪文の詠唱は中断せざるを得なかった。唸りながらホークウィンドから逃れようとする。トモエたちを人質に攻撃を中止させるには遅すぎた。


「逃がさない――」ホークウィンドはルドラが宙に舞おうとしたのを見て懐から手裏剣を投げた。背に生えた翼に苦無型の手裏剣が突き立つ。


 激痛にルドラは呻いた。ルドラの身体は再生能力を備えていたが、吸血鬼の様な超回復力はなかった。


 忍者には相手の弱点を即座に見抜く〝目付け〟と呼ばれる技術がある。これを発展させたものが〝直死の魔眼〟と呼ばれる特殊能力だった。ルドラも驟雨レインストームの流派の達人忍者マスターニンジャであり、直死の魔眼を持ってはいた。


 が、ホークウィンドは風のように舞い、狙いを絞らせない。西風ウェストウィンドの達人であるホークウィンドも直死の魔眼使いだ――堕天使とはいえ神の眷属である自分を滅することはできないが、もろに食らえばしばらくの間行動不能は免れないだろう。


 突風が舞ったかと思えば凪いだような緩やかな動きに急激に変化する。緩急自在の攻撃にルドラは翻弄された――まさかシノが神殺しを持って登場するとは思っていなかった事も災いした。


 驟雨は降り注ぐ豪雨の様な連打で相手を圧倒する流派だ――しかし先手を打たれてその優位性が発揮できなかった。宙に舞えるようになるまであと5分はかかる――それまで攻撃をしのげるか。


 しかし、決着は思いもよらない形で付いた――シノが攻撃をしのぎ切れずに倒れたのだ。流石に匕首を取り落とす事は無かったが、ライオーに首元へ忍者刀清正を突き付けられた。


「ライオー、殺しなさい!」ルドラは勝ち誇った。ホークウィンドの攻撃を何とか捌きながらだったが。


 ――ライオーは清正を振り上げる。


 *   *   *


「ライオー様……」あまりの結末にシノは思わず絶句する。その時、ライオーの義兄ゴーリキの言った言葉が頭をよぎった。


〝ライオーと戦うことになって、もう駄目だと思ったら、神殺しの刀身を光に反射させてライオーの瞳に当てろ〟


 シノはその言葉の真偽を疑うような真似はしなかった。そんな時間は無かった。部屋を照らす魔法の照明を神殺しで反射してライオーに当てる。


 何も起きない。


静止した清正を気丈に見つめながら、刀身の光を当て続ける――弱い灯かりの為ライオーはひるまない。


 ライオーの忍者刀が振り下ろされた。


 シノは神殺しで攻撃を受け止めようと刀をライオーの剣筋に持ってくる。


 その剣筋が不規則に乱れた。神殺しで防げる攻撃がそうではなくなった。虚無ヴォイドの達人の技だ。剣筋が隠れる。シノは思わず片目を閉じた。もう一方の目で必死に清正を追う――その先は自分ではなかった。


 ライオーが清正を取り落とす。その呼吸は荒かった。真冬の吹雪の様な、笛の音のような音が口から零れた。


 一方ルドラは致命的な事態になった事を悟る――ライオーの洗脳が解けた。ホークウィンドの攻撃を捌くのをルドラは止めた。もう何もかもが終わりだ――それを悟ったのだ。


「キミ……」立ち尽くしたルドラにホークウィンドは攻撃の手を止める。


 ルドラは声も出さずに泣いていた。


 いつの間にかシノがホークウィンドの隣に来ていた。神殺しを握り直し、ルドラに狙いを定める。


 最初は右の翼だった。神殺しが翼の関節に突き立つ。その次は左。そして左手、右手――致命傷にならない様に、しかし痛みはしっかりと与える様に何度も何度も斬り付ける。なぶり殺しにするつもりだ――。


 十分以上にわたって斬り付けは続いた――ルドラは血塗れになる――それでもシノの目から怒りは消えなかった。


「殺してよ――もう生きる意味なんか無い」ルドラは激痛に体を揺らしながら挑発した。


「いい覚悟ね」シノはその言葉に凶暴に反応した――逆手に神殺しを握るとルドラの心臓に突き立てる。


 ルドラは目は閉じなかった――いかずちが落ちた。金色の光が弾ける。痛みは全く感じなかった。


 光が実体化する――黄金を張った盾だった。


「そこまで」ルドラとシノの間に背の高い黄金の人影が立っていた。神殺しは盾に止められていた。


 白い翼が背から生えている。人間ではない。青い瞳は炎の様だった。長剣を腰から吊るし、まるでくすんだ所のない太陽の様な輝きを放つ長い金髪が揺れている。金色の全身鎧は胸が膨らんでおり、一目で女性だと知れた。まるで溶かした黄金か夏の日の様な存在だ。


「我は大天使ミカエル。全知全能の唯一神ヤハウェのしもべ。天使ルドラに裁きを与えに来た。双方剣を引きなさい」鈴の音の様に澄んだ声音だった。


 シノは暗示にかかった様に神殺しを下ろした。


「裏切り者の私を処分しに来たの? 天界から今回の顛末を見下ろすのはさぞ気分が良かったでしょうね」大天使の圧倒的な存在感にも怯まずルドラは食ってかかった。


「貴女の事情を汲まない訳では無い」ミカエルの言葉は続く。


「ルドラ、貴女はこれから人間になる。もう沢山だと思うまで人間の苦しみを味わいなさい――数百年、いや数千年にわたって七転八倒の苦しみを味わうことになる。みそぎが終わった暁には自由の身になるわ。天使でも人間でも悪魔でも好きな存在になれる。貴女の望みは叶えられるのよ」


「私はライオーと離れたくない。別れるくらいなら死んだ方が――」それを聞いたミカエルは相好を崩した。ふっと微笑みが浮かぶ。


「その願いは叶えられるわ」ルドラの頬に優しく口付ける。


「ライオー、こちらに」軍偵忍者を呼ぶ。


 ミカエルは剣を抜き放つとシノが止める間もなくライオーに振り下ろす。剣は肉体を傷つけずに通過した――ライオーの身体が揺らぎ、小さな青い光が胸元から出る。

「ライオーの魂――その一部よ。これを貴女に。ルドラ。大事になさい」


 ミカエルはシノの方に向き直った。


「シノ=シェラハ=フーマ。貴女の怒りは分かります。ですがこの裁きで彼女を赦してやってはくれませんか。誇り高き女性ひとよ」


 ミカエルの瞳を覗き込んだシノはライオーが帰ってくることを悟った――知らず知らずのうちに涙が流れる。


「シノ姉さん」ライオーがシノを呼ぶ。神殺しの光でくさびを打ち込まれた洗脳がミカエルの剣で斬られた事で完全に解けたのだ。


「後はトモエたちとヴェルニーグね」ミカエルがヴェルニーグが閉じ込められた結界を切ろうとした。その刹那、結界が光を放ちヴェルニーグは現世へと帰還していた。


「始原の龍ともあろうものが天使に助けられるなんて恥はかけないわ――」白銀龍ヴェルニーグは精一杯の威厳を見せて言った。


「シェイラ、それにトモエちゃん」ホークウィンドが安堵の息をつく。ルドラが二人の戒めを解いたのだ。人型になったシェイラがホークウィンドの胸元に飛び込む。


「トモエ。貴女はライオーたちの元に帰りなさい」


「ヴェルニーグ」トモエは白銀龍の言葉に絶句する。「私、貴女と一緒に居たい――いつまでもとは言わないから。だから今は私と――」必死の懇願にヴェルニーグはほだされた。


「シノ、ライオー、この子をいま少し私に預からせてはもらえないかしら? 悪い様にはしないから」


「お願いするわ」シノはうなずいた。


「裁定は終わり――全ては神の御心のままに」大天使ミカエルが宣告した。


 ルドラは人間に転生、トモエはヴェルニーグと旅に、ライオーはシノの元に、シェイラはホークウィンドと共に、それがミカエルの裁定だった。


「死が私たちを分かつまで――しばしの別れよ!」大天使ミカエルは剣を掲げた――雷が走る――二柱の天使の姿は消えた。



 ――後には定命の人間たちが残された。

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