第7話:我が子

「貴女は無理でもこの子は、命乞いするなら考えない事もないわ」ルドラはシノを誘惑した。シノは口からも血が零れ、並の人間なら激痛に耐える事すらできないだろう。ルドラは笑みを深めた。


 だがシノはルドラには想像もつかない態度に出た。だんまりを決め込んだのだ。内心ルドラは驚いていた。


「命が惜しくないの?」ルドラは純粋に疑問を抱いた。


「舐めないで、命乞いするくらいなら、私もその子も死んだ方がマシよ」シノは低い声で言った。この女は本気だ――ルドラはその覚悟を感じ取る。


 ルドラは愛しげに子供を抱きかかえる。母胎から無理やり取り出された胎児は泣く事すら無い。シノは時間を稼ぐ。ライオーなら来てくれる――一族に伝わる緊急通報のすべすら使えなかったが、シノは確信していた。それまで何としても時間を――。


 しかしルドラはその表情を読んだ。


「こざかしいわね、やはりこの子の命は私が貰う」ルドラは胎児を頭の前に持ってくる。


 ――ルドラの頭部が四つに割れ、内臓がむき出しになった。その様子にシノは戦慄した。表情は髪の毛一筋ほども変えなかったが。

シノはルドラの目的を悟ったが、屈しなかった。目の前で我が子がルドラに飲み込まれる。彼女の目には愉悦があった。邪神族の肉体が人間のそれに戻る。喉――と言えるなら――が鳴り、へその緒が嚙み切られた。


 必死に身体を動かそうとしたが、無駄だった。シノの見る前でルドラの姿が薄れていく。


 いつまでも、ルドラの残忍な笑い声だけが響いていた。


 *   *   *


 シノは最初我が子を失った事を告げられなかった。しかし彼女の凹んだ腹や血の跡は何が有ったかを語るまでもなく教えた。


 シノ自身もあと少しで落命するところだった。子供を産めない身体になる事を彼女は恐れたが、すんでのところでそれは避けられた。シノは治癒魔法を使うことができ――自分にそれをかけることで最悪の事態は免れた。


 我が子を失ったと知った時、ライオーはただ呻いた。自分を責めた――たとえどうしようもなかったとしても、妻と子を邪神の使いから護れなかった自分は夫としても人間としても失格だと。


 ルドラを――そして、ルドラを操り世界を滅ぼそうとする邪神イタクア――前妻イーニィを殺した宿敵でもある――を殺して仇を打つ。野に下り、復讐の為に全てを捨てようとしたライオーだったが、あるじのトレボーはそれを許さなかった。軍偵ライオーはそれほど惜しい逸材だった。王国が背後についた方が彼の望みを果たしやすいと王が判断したのもあった。


〝狂王〟とあだ名されるトレボーはしかしそのあだ名から想像されるような狂気の持ち主では無かった。自らに課す規範にどこまでも忠実だという偏執的なところはあったが、理不尽なことはしない。人が陥る権力への渇望もなく、ただ純粋に強さを求める。世界征服は亡き妻に捧げた誓いを果たすため――その理由を知る者は少なかったが、知っている者は皆トレボーに心酔した。


 ライオーもそれを知っていた。だから懇願を聞いて王国に残ることに決めたのだ。自分の怒りを理解してくれる、その思いもライオーを留めた。


 シノは当分動けない――治癒魔法で肉体は癒えたが、精神はすぐには治らなかった。ライオーはシノにくノ一の護衛を付けるよう族長に掛け合った。


 ルドラは自分に執着している、それを逆手に取る――ライオーはもう一度シノを襲ってくる時に返り討ちにできないかと考えていた。使えるものは全て使う、そうしないとルドラもイタクアも討てない。任務が無い時はライオーはできるだけシノの側に居るようになった。


 城内にいるイタクア信者は殆どが逃げるか捕まるかした。捕まった信者にライオーは容赦しなかった。大半は自らの過ちを認め、宗旨替えした。現世利益が得られると思って軽い気持ちで信者になった者が殆どだった。――それはそれで節操が無いとライオーを苛立たせたのだが――。罪を認めない程の狂信者は――三、四人しかいなかったが全員自殺した。


 城塞都市の真下に地下迷宮ダンジョンを掘って立て籠もる魔術師ワードナがイタクアと手を結んでいるとの情報もあったが、世界の破壊を狙う邪神と世界征服を目指すワードナでは目的が違う。トレボーに敵対する限り協力関係になる事はあったとしても一時的なもののはずだった。


 しかし魔術師ワードナの根城には不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドの冒険者パーティが迫っている。追い詰められた魔術師がイタクアに助けを求める事は十分考えられる事だ。


 迷宮に仇が現れるやもとライオーは思った。彼の相棒、隻眼の老魔術師ラルフ=ガレル=ガーザーと龍の達人ゴーリキは重要情報を得て帰還した。


 ホークウィンドパーティがワードナに対決を挑む時に彼女らを援護すべく王城は守りが薄くなる。それを狙ってルドラが再び現れるだろうとのライオーにとって待ち望んだ報告だった。


 名実ともにエセルナート王国の最強冒険者の一団であるホークウィンドたちはライバルより頭一つ抜けている。足を引っ張ろうとする冒険者もいたが、ホークウィンドたちはことごとくそれを退けてきた。


 公歴3221年冬、ホークウィンドたちはワードナに挑んだ。そしてルドラはガーザーの予想通り再びシノの前に現れたのだ。


 *   *   *


「今頃はワードナとホークウィンドたちの戦いに決着がついているだろう」ゴーリキがライオーに酒を注いだ。ごく弱い酒だ。


「すまない。義兄さん」ライオー、ゴーリキ、ガーザーの三人はライオーの部屋で待機していた。水晶がシノの部屋を映している。シノとゴーリキの妻、そして護衛のくノ一が三人、女官は顔見知りの者だけが担当に入る。シノの個室には対認識阻害の魔法が部屋にかけられ、ルドラが入り込み次第即座にライオーたちに伝わる仕組みだった。


 一刻ほど経った時、遠くに歓声が響いた。だんだん城内に広がっていく。ホークウィンドパーティが奪われた国宝、ワードナの護符アミュレット、本来の名は〝覇神の護符〟だったが、強奪事件の一件後そう呼ばれるようになった――を持ち帰ったのだ。


 ライオーたちが見守るシノの部屋にも伝令役の女官が行く。扉が開けられた――十二、三歳ほどの少女――ルドラではない――がくノ一の一人に耳打ちする。


「ガーザー、転移魔法を――! シノが危ない」ライオーが抑えた声で言った。

「何故だ」

「あの女――足の運びが女官のそれじゃない。恐らく――」

 その言葉が終わるより早くガーザーは魔法を詠唱する。三人はシノの部屋に瞬間移動した。


 *   *   *


「用件は分かったわ。ご苦労様」くノ一はシノの方に向いて少女の伝えたことを告げようとする。その時彼女は悪寒を覚えた。背後から隠されてはいるが冷たい殺気を感じたのだ。訓練されているだけの事はあって半ば無意識に彼女は逆手に構えた匕首を少女に首筋に走らせた。


 火花が散った。少女はギリギリのところでくノ一の匕首を匕首で止めていた。


 シノは少女に言い様の無い切なさと懐かしさを覚える。空間が歪み、夫のライオーとその仲間が現れた。


 ライオーは少女の斜め後ろから忍者刀、朔光左門清正さくこうさもんきよまさを振りぬく。


「ライオー様!!」シノの悲鳴にライオーは間一髪のところで刀を止めた。ライオーも気づく。この少女は――。長い金髪に緑の瞳――。信じられない。


「この子は――」シノが言いたい事はライオーも分かっていた。


「俺たちの、子供――信じられない。あれから半年しかたってないのに――」


「半年? 十三年も放っておいて!」少女は吠えた。


「それだけじゃ無い――ルドラお母さまの話じゃ、私を捨てたんでしょう! 女だとわかった時に!」


「違う――!」


「違わない!!」少女は断じる。


「ライオー=クルーシェ=フーマ! お前はルドラお母さまに愛されていたのに母さまを捨ててシノ=シェラハ=フーマの元に逃げた! シノ! お前はライオーを誘惑して不義の子、私を産んだ上に女では跡継ぎにならないと捨てた!」


 少女とシノたちの視線がぶつかる。


「ルドラに何を吹き込まれたの? 私たちはそんな事は――」必死の訴えは虚しかった。


「汚らわしい口で母さまの名を呼ぶな――雌犬が」


 少女はさらに悪口雑言を吐こうとする。


「トモエ、そこまでになさい――実の母を悪しざまに言ってはいけないわ」澄んだ声――その声にシノとライオーはめまいを覚えた。


「ルドラ……!」ライオーは呻く。くすくすと笑う声が部屋に響いた。


「今日はここまで。トモエ、帰るわよ」少女――トモエの身体に金色の光がまとわりつく。ちかちかと輝く光はトモエを覆いつくす。星々の光を一か所に凝縮したような輝きを放つと、後にはトモエの姿は無かった。


「転移魔法か」ゴーリキがつぶやくように言った。ガーザーもうなずく。


 我が子が生きていた喜びとその子が宿敵ルドラの手駒と化している衝撃に、シノとライオーは引き裂かれそうだった。


 ――ワードナの護符がエセルナートに戻った喜びの日に、ライオーたちは悲喜こもごもの思いを味わうことになったのだった――。

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