第5話:現れた宿敵

 トレボグラード城塞都市に帰ったライオーは捕虜にした邪神の神官から引き出した情報で、妻イーニィの死にイタクア以外の者が関わっていた事を知った。


 ルドラ――神官は恐怖に満ちた声で語った。イタクアに仕える暗殺者にして忍者、その実態を知るものはほとんどいない。彼が城内に潜入し、邪神をイーニィに引き合わせた。神官はルドラに一度しか会った事がなかった。地下派にも地上派にも属さずイタクアに直接仕えていると神官は言った。彼はエセルナート王国での任務――イーニィを生贄にイタクア復活を成し遂げる――を終え、今は隣国リルガミン神聖帝国で、〝救世主〟ダバルプスに接触している。それが神官に白状させて分かった事だ。


 ライオーはすぐにも帝国に向かいたかったのだが、至高神カドルトの神託でイタクアの信徒が王女アナスタシアを狙っている事が分かった――さらに〝狂王〟とあだ名されるトレボー王の命も狙っていると判明し、ライオーは王の護衛に当たることになった。王は王女の護衛に不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドのパーティを当てることを命令し、憎悪の戦方士コールドゥの一件以来三年ぶりに王女に付くことになった。


 王女には直属の女護衛騎士カレンとその配下の乙女騎士団がついていたが、ホークウィンドたちに悪感情を抱く者は少なかった。王女を際どい所で守ったのが彼女たちだった。


 ライオーは一族から腕の立つものを数人集め、王の護衛に回した。王宮内に潜伏しているであろうイタクアのシンパの調査も進めて、一網打尽にするつもりだ。目星をつけた相手を初めて逮捕した日、ライオーは宿敵と呼ぶべき相手――妻の死に関係した忍者ルドラと王城で対面することになったのだった。


 *   *   *


「ライオー、お前は腕も立つがチェスも強いな」


「は。陛下。有りがたきお言葉」


〝狂王〟トレボーの言葉にライオーはかしこまった。ライオー以外に隻眼の老魔術師ガーザーと、一族の忍者〝ドラゴンの達人〟ゴーリキが王と晩酌をしていた。


 ゴーリキは背は2メートルを超えるガーザーと同じくらいの、体格は彼よりもがっしりとした筋骨隆々の偉丈夫だった。腕力だけなら怪力で知られる王をもしのぐ。寡黙で、目立つことを嫌う男だった。妻と娘がいて、笑顔を見せるのは家族の前だけだ。年はライオーより5つ上だった。


 酒を注ぐのは王宮の女官たち、そしてゴーリキの妻とライオーの後妻シノ。


 この場で酒に弱い者はいなかった。もっとも女たちは酒を飲んでいない。


 ライオーは酔いを醒まそうと中座して王の部屋を出た。天守閣の窓から夜も眠らない城塞都市を見下ろす。背後に人の気配を感じ、振り返った。自分の胸ほどの背の高さの、青白い短髪の少女がいた。白黒を基調に青のアクセントがついた女官のお仕着せを着ている。赤い目が印象的だった。ライオーは気づく、こんな少女は王宮にはいなかったはずだ。ライオーは腰のナイフを意識する。打ち直した日本刀――清正は王の居室だ。少女の赤い瞳にはライオーが映っている。ライオーは自らが金縛りにあっていることに気づいた。


 少女は悲しげな瞳でライオーに近づいてくる。その動きは獲物に巻き付く蛇を思わせた。少女はライオーの身体に自らを重ねると、その口をふさいだ。


 唇を割って舌が入ってくる。ライオーは必死に体を動かそうとするが、無駄だった。少女は暗いまなざしでライオーをむさぼる。


 ライオーの口内に突如熱くて冷たい甘い液体が広がった。目の前の少女が痙攣している。少女の身体が陽炎のように消えた――少女の心臓があった位置に、小刀が刺さっていた。小刀の持ち主――シノ=シェラハ=フーマが冷酷な目で少女のいた空間を睨んでいる。


「人の夫に手を出すなんていい度胸ね――名乗りなさい。失礼な泥棒猫」


「ルドラ――私はルドラ。イタクア様の忠実な部下」渦巻く光が現れ、少女の顔を形作った。


「ライオー=クルーシェ=フーマは私がもらい受けるわ。妻を自称するシノ。どのみち彼の心は貴女に無い」言葉が終わる前にルドラ――イタクアの使いの姿は消えた。


「あれが最強の忍者ですって――」シノは苦々しげにつぶやく。


「ライオー様もライオー様です。あんな女に易々と身体を許すなんて」


「そうは言っても――」金縛りは嘘のように解けていた。


 怒りの矛先はライオーにも向く。こうなるとシノには何を言っても無駄だ。それでもライオーは抗弁した。


「神官への尋問では〝彼〟と言っていたはずなのに」


「大方恐怖の余り間違えたんでしょう。帰りますわよ」シノはライオーの手を引くと王の居室へと引っ張っていく。


 二人はトレボー王にルドラが現れた事を報告した。王は驚きもせずにそれを聞いた。


 ライオーにとって忘れがたい敵との出会いだった。


 *   *   *


〝悔しい〟翼を生やしたルドラは夜のトレボグラード城塞都市の上を舞いながら嫉妬に身を焦がしていた。自分の身体には性は無い。一見少女に見えるが乳頭も子宮もない。あらゆる性器がない――自分は女ではない。本当の意味で人を愛することはできない。どれほど焦がれようと、本能を満たす事はできないのだ。ルドラはかつえてかわいていた。


 ――自らを生み出した神が愛するこの世界を破壊して、神に自分と同じ絶望を味合わせて――それしか考えてこなかった。イタクアにくみしたのも彼女が一番手っ取り早く世界を破壊する力を持っていたからだ。


 何の感情も持たず世界を滅ぼす暴風の様に生きられれば良かったのに。


 ルドラは自分の心をかき乱す男――ライオー=クルーシェ=フーマの端正な顔立ちを思い出す。ライオーに一目惚れし、幸薄かった少女たちに同情を寄せたその人間らしさにもルドラは惚れた。


 神は人を愛することのできない自分になぜ何かに惹かれる心を持たせたのか。思い人の妻が羨ましかった。イーニィも、シノも。今までライオーが愛した女性の事を思うと、胸にどす黒い感情がよぎる。


 シノはライオーに愛されるのに自分は何故愛されないのか――世界は不公平だ。


 口から歌が零れる。涙が零れた。愛する人を愛のままに愛したい激情が込められた歌は夜の城塞都市の喧騒に紛れて消えていく――しかし微かなその歌を紛れもなく聴いている者はいた。満月を背景に空を飛ぶ〝彼女〟を見た者は美しい精霊か何かだと勘違いしただろう。


 その涙の訳も知らずに。


 *   *   *


「災難だったな」ゴーリキの言葉にライオーは苦い笑みを返した。


「同情してくれてありがたい」


「仇が向こうから現れたんだ。落ち着いていろという方が無理だろう。シノの怒りを買うとまでは思わなかったが」


「てっきり男だと思っていた。まさかあんな少女だとは」


「人間ではなさそうだな」


「イタクアの配下なんだろうが、気配が違う。魔族なのは間違いないが」


「ガーザー殿。何か手がかりはないのか?」二人の話を聞いていたトレボーが老魔術師に尋ねる。


「大したことは分からぬ。これほど正体を隠していられるという事は相当な使い手だという事くらいだ。あとはライオーへの懸想を利用してこちらに引き込めるかもしれぬという程度」


「ガーザー様、それは余りな」老魔術師の言葉にシノは頬を膨らませる。


「シノ。ライオーは貴女を裏切ったわけではないわ」ゴーリキの妻がシノをたしなめる。


「それはそうかも知れませんけど」


「イタクアの一派がトレボー王とアナスタシア王女を狙っている。ダバルプスもな。ルドラはその尖兵せんぺいとして来たのだろう。王城に巣くう同調者を狩る事から始めるべきだ」ガーザーはさほど気にした風もなく言う。


「〝リルガミンの救世主〟ダバルプスは儂と愚娘を除けば自分が皇帝にでもなれると思っているな。その為にイタクアとも組むとはその執念だけは褒めても良いが」トレボーがガーザーの言葉に相槌を打った。


 扉を叩く音がした。返事を待たずに扉が開く。


「陛下、報告です。拷問吏共々邪神イタクアに関係した容疑者が殺されました。目星を付けていた者も命を奪われたそうです」小姓隊長がトレボーの目をまっすぐ見て告げた。


「ルドラの仕業だ」ライオーが呻く。


「儂等を狙うだけでなく証拠も消し去ったのか、念入りな事だ」トレボーはあっぱれという声で唸った。


「ルドラはライオーに執着している。儂とゴーリキ、それにライオーで囮役をやろう。イタクアの信者共もそうそう王たちに危害は加えられまい」ガーザーの言葉に一同はうなづく。


 亡き妻イーニィの無念を晴らす――ライオーはルドラを仇敵として憎む気持ちに火が付いたのを自覚した。

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