淡墨の深層 第五十五章 予期せぬ訪問者
『あの夜』から5日目の、12月25日……
世間では、いわゆる……『クリスマスの日』だった。
あの夜……
帰宅したらミサコとシンが抱き合って寝ていたあの夜。
真冬の寒空の下へ追い出すわけにも行かずに、致し方なく…
またも、ミサコを泊めてしまったあの夜以降……
あやさんへは……
未だ、電話の一本も入れられずにいた。
「ミサコとはもう二度と会わない」と言う、あやさんとの約束を破ってしまったのみならず……
シンとデキていたとは言え、そのミサコを……
ミサコを再度泊めてしまったことへの疚しさから……
どんな申し開きをしたら良いかも判らずに……
連絡が出来ずにいたんだ。
何かの都合で一週間も連絡が取れなかった場合、普段ならあやさんから店に連絡が来るのだが……
それがその週、まったく無かった理由は……後に本人から明かされる。
その……世間的には『クリスマスの夜』なのか、それとも……
よく理解できない……『イヴ』が本番で、あまり重視されていないであろう『生誕祭当日』なのか……
僕としてはどうでもいい、その12月25日の木曜日の夜だった。
<タンタンタン!>
玄関の扉を叩く音……
誰か来たようだった。
もしかして……あやさん?
以前あやさんから叱られて、言われた通り……
部屋に居る時でもかけていた、内側からの鍵を開けたが……
そこにいたのは……
「ミサコ⁉」
「れい……ごめん」
「ごめんて……今更……」
本当に『今更』だった。
もう……「二度と会わない」と思っていたミサコが……
どうしてここに居るんだよ⁉
あ……シンに? シンに会いに来たのか?
「もっと怒るかもしれないけど……ごめん……シンに……会いに来た。学校、今日から冬休みなんだ」
やっぱり……そうだったのか。
ミサコの高校の冬休みがいつからなのかなど、知ったことではなかったが……
「ミサコ……いい度胸してるな」
「電話、無いし……ここしか宛てが無くて……」
携帯電話も無い時代、確かにミサコの言う通り……
シンがその時点で拠点としているのは、僕の知る限りでは僕のアパートだけだった。
他に唯一聞いているのは、鳥取県の実家……否、お母さんが住み込みで働いているという旅館の住所と電話番号くらい。
シンは時々いなくなり、一晩以上帰って来ないこともあったが……
どうせ新しくできた彼女の所にでも泊まっているんだろうと、特に詮索はしなかった。
就活中で『勤務先』らしきものも無く……どこか他に『連絡先』があるのならば……
シンのことだから、彼女には……ミサコには真っ先に教えているはずだ。
ミサコがそれらを何も知らないということは、やはり本当に他に連絡先が無いのか………
それとも、ミサコとはまだ……それほどの関係ではないのか……
またはその両方か。
しかしそんな分析は、その時の僕からすれば……
同じく、もうどうでもいいことだった。
「シンは今、いないよ」
「みたいね……。れい……やっぱり怒ってる?」
「はぁ……」
大きく溜め息をついてしまった……否、ついて見せたのかもしれない。
「怒ってないよ。ミサコはもう、シンの女なんだろ? それに……その方がこっちだって助かるし」
ミサコはそれには何も答えず……
「はぁ……」
今度はミサコが……大きな溜め息。
「中で待つ? アイツ、昨日も帰って来なかったから……多分今夜辺り、帰ってくるんじゃないかな」
「いいの?」
「ああ……もう今更、気にすんな」
「ありがとう……ホントにごめんね」
「座ってて」
「あの……ここで……いいかしら?」
「なに緊張してんだよ。そこで……シンと抱き合って寝てたくせに」
急に俯くミサコ。
まずい……言い過ぎたか?
「あ、え~と……ポットのお湯は……あるな。紅茶がいい? それともコーヒー? ウーロン茶もあるよ。意外と緑茶がいいとか……アハ!」
「何でもあるのね」
真っ直ぐこちらを向き、その夜初めて……少し笑顔を見せたミサコだった。
「先々月頃までは、な~んにも無かった。全部……その……」
「全部、なぁに?」
「全部、あやさんが揃えてくれたんだよ!」
「そう……。れいは……あやさんとは、その後仲良し?」
「・・・・・・」
そんなミサコの台詞に対して……
心の中で……
(よくそんなことが訊けるな)……
(あの夜はそのまんまを答えたら泣いていたくせに)……
(シンとデキてたとは言え、君を再度泊めてしまったことを……あやさんへ未だに報告できずにいる僕の立場を判っているのか?)……
そう心に並べてしまった僕は……
またもその心境が、顔に顕われてしまったのだろう。
「れい……ごめんね。私のせいで……なんかもう、メチャクチャだね、アハ!」
口には出さなかったが……
ミサコの「アハ!」に、少しカチンと来たのも顔にも出てしまったらしく……
「あ……ごめんなさい。ついその……」
過去の出来事に於いて『共犯者』だったミサコだけを責める意図は無かったが……
やはりどこかに……「そうだ、君のせいだ」と思っているフシが、自分の中にあったのかもしれない。
「はぁ……。で? そっちはどうなの? さっき、随分と意味深な溜め息だったけど」
「うん……」
「『うん』て……シンと何かあったのか?」
「何も……ない」
「ないなら……いいけど」
「違うの……そうじゃなくて……」
「なくて?」
「あの時は確かに、シンを好きになっちゃって……ごめん。それで抱き合って寝ていたのは、れいが見た通りよ」
「あ……ああ」
「でもそれが全部なの。それ以外シンとは、何もしてない」
「え? でも……ミサコとキスしたって、シンが言ってた……」
「ウソよ! してない!」
え? 何なんだよいったい?
ここでまた……思わず感情的な言葉を吐いてしまった僕だった。
「知るか! もう……僕にとってはどうでもいいことなんだよ!」
「私にはキス、したじゃない!」
「それは君が強引に……いや、だからなんだ? シンとの話と、関係ないだろ!」
「だって……自分でもよくわからないんだもん……」
「ミサコ……そのさぁ……その……わからないって? いったい何が?」
「シンのことは……あの時、好きになっちゃった……ごめんなさい。でも私……れいのこともまだ……だけど、れいにはあやさんが……」
泣き出してしまったミサコ。
僕が……泣かせてしまったことに、なるのだろうか?
目の前の17歳……高校二年生の『揺れる想い』を受け止めてあげられない、19歳の僕だったが……
その時の僕の脳裏に過ぎったのは……
まさかミサコ……シンではなくて、僕に逢いに来たのではないだろうな?
『自分でもよくわからない』と本人が言う通り……無意識下で……。
それからまた数十秒間……
静かに涙を流すみさこと……沈黙の僕だったが……
<タンタンタン!>
「あ……ほら、噂をすれば……シン、戻って来たんじゃない?」
ところが……
「れい! 私! 迎えに来たよ! 明日は有休取ったの! シンはまだ居るんでしょうから、私んちで同棲ごっこしよ!」
え⁉ あやさん?
マズイ……こんな時に!
「また鍵開けっぱにして、ダメじゃない……入るわよ!」
次の瞬間、場が凍りついたのは……
述べるまでも無かった。
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