淡墨の深層 第五十三章 愛? それとも…修羅?

 ハードな通し勤務を終え、疲れ果てて帰宅したアパートの部屋で……

 抱き合って寝ていた……

 ミサコと……シン。


 そのシンは……

 ミサコと一緒に外へ出ると言い出したんだ。


「シン、出るって……真冬の12月……今夜も外、かなり冷え込んでるぞ。どこかホテルでも入るカネ、持ってるのか?」

「・・・・・・」

「無いんだな。なんせシンは、就活中だからな」

「いや……あの、駅まで……ミサコは駅まで送って……俺は戻って来るよ」


 コイツ……今、何時だと思っているんだ?

 そうか……無職……通勤していない……電車に乗っていないから……

 『終電』と言う概念が、欠落しているのだろう。


「山手線で新宿までなら、今からでも終電にギリ間に合うだろうけど……そこから先……厚木行きの小田急線に、ミサコは乗れないんだよ。それでも駅まで送って行くのか?」

「あ……それは……」

「真冬の新宿でミサコを独り……終電難民にしてもいいのか? いくら合気柔術が強いって言っても、17歳……高2の女の子なんだよ、ミサコは!」


 この時の僕は……高3時代の最後辺りでの冷え込んだ夜、高1だったまゆなをほぼ同じ目に遭わせてしまった『夕闇色の記憶』を思い起こしていたんだ。


「え? 合気……柔術?」


 ああ……シンはそれも、まだミサコから?


「ミサコ……シンには話してないの?」

「あ……うん。だって……わざわざ言う必要ないから……」


 そうだけど……この二人の絆は……その程度なのか。

 僕に……ミサコが強引にキスをして来たあの夜……

 僕になら『わざわざ』……言ったじゃないか。


「シン……さっきも訊いたが、守れるのか?」

「え?」

「シンはミサコを守ってあげられるのかって、訊いてるんだ!」


 その時だった。


「れい!」


 なんだよ……ミサコは……。


「私……あの……やっぱり……」


 その時の僕は、ミサコの瞳が湛えているメッセージを……

 なんとなく解ってしまったんだ。

 ミサコの……深い心境が。

 だから……彼女へ顔を向け、首を横に振りながら……


「ミサコ……もういいからさ、やめようよ。僕はあやさんへ戻れたんだって、さっき言っただろ?」

「・・・・・・」

「君は今……シンとステディなんだよね?」

「れい……」


 答えたくないなら……答えなくてもいいさ。

 僕にとってはもう、どうでもいいこと……と言うことに、なっているのだから。


 いずれにしても……今のままのシンでは、ミサコを守ってあげられない。

 あの時の……まゆなを守ってあげられなかった僕と同じじゃないか、情けない!

 いくら合気柔術の使い手でも、その細身で……真冬のこんな寒気に勝てるわけがないだろ!


 シンが守れないなら……

 ミサコは僕が……

 僕が守るしかないじゃないか……



 あやさん……本当に……ごめんなさい……。


 僕はため息交じりに……


「はぁ……ミサコ……もう革ジャン脱げよ。シンも……」


 顔を見合わせている二人だったが……


「どこかに泊まる予算も無い……さりとてミサコだけ帰そうにも、終電は終わっちまってるし……外は冷え込んで、真冬の木枯し紋次郎……今夜はここで、3人で寝るしかないだろうよ」


「れい……すまない」

「そうだよシン……もっと早く仕事が見つかってカネがあれば、どこにでも泊まれたのにな」


「れい……ごめんね」

「ミサコは! ソコ、ごめんねじゃなくて、ありがとうございますでしょ? 君と僕とは元々何の関係も、あ……いや、その……今、君はシンの女なんだから」

「あ……ありがとう……れい……」


 ミサコ……今の、ほんの少しの笑顔は……きっと苦笑いなのだろうな。

 僕は構わず続けた。


「あと……今夜寝る場所な。今日は通し勤務でクッタクタに疲れているから……ベッド使わせてもらうよ。てか、これ僕のベッドなんだけど」


「クスッ」


 お嬢さん……余裕あるねぇ。

 いつぞやは僕と……君の策略通りに、一緒にこのベッドで寝たからですか?


 もう……ソンナコトはどうでもいい。


「必然的に、お二人には床で寝てもらうから……さっきの続きでも、何でもして下さいな」

「「・・・・・・」」


「とにかく今日は通し勤務でメッチャ疲れたから、もう寝る! 以上、何かご質問でもありますか?」


「れい……」

「は~い。ミサコ師範」

「疲れているのにごめんね……一つだけ訊きたいの」

「ああ、いいよ」

「あやさんとは……戻れたって言ったのは、その……」

「ああ……完璧に、戻れたよ。寧ろ進化したくらい」

「そう……。あの夜の……二次会であやさんと話し合った時のね……あやさんから聞いた話の中で、あの日れいには言ってなかったことがあったの」


 おいおいミサコ……今ここには、君の『新しい彼氏』のシンも居るんだぞ。

 そんな話、始めてしまっていいのか?


 まぁ……本人がいいなら……シンはもう、いいか……。


「どんな?」

「あやさん、れいとの……その、アレ……」


 え? その件? じゃあやっぱダメだ!


「アレの時……毎回途中から感じ……」

「あ~! 待った待った! シンも居るんだから……」

「あ……ごめん」


 あやさんもあやさんだよ……

 「大人の余裕でさ……れいのことでも楽しく話しておけばあの子、身の程を知ると思っていたの」って、それはわかるけど……

 だからといって、ミサコへはそこまで話さなくても良くね?


 まぁでも、あやさんが言ってしまった前提ならば……いい機会だから、伝えておくか。

 シンに伝わるのは、もうホントにどうでもいいし……

 ミサコがそれで……今度こそ本当に諦めてくれるならば……。


「わかったよ……じゃ、いい機会だから白状するわ」

「れい……いいの?」

「ああ……。その問題も、月曜日に……あの日あのあと、あやさんトコへ行って……全部話して、赦してもらえた夜に乗り越えました!」

「乗り越えた……って?」

「乗り越えたの! もう一晩中……何度も何度も死ぬほど、乗り越えました! 翌朝もか……半ダース使い切ったわ! アハ! そんで、同じく昨夜もね! 死ぬほどね! 今日だってもしも通し勤務じゃなかったら、今夜もキュン死予定だったのに残念~!」

「そう……だったのね……うっ……」


 いや、そんな……君が訊くから答えたのに泣くって……

 勘弁しろよ、ミサコ……。


 シンはこの状況、どう受け止めているんだ?


「ミサコ……そういうことなんで、これからはシンと仲良くな。僕はもう寝る! おやすみ!」

「おやすみ……なさい……うぅ……」


「シン! ミサコが……ほら、なんか知らんが泣いてるぞ! ちゃんと守ってやれよ! おやすみ!」

「あ……ああ。ミサコ……大丈夫?」

「ん……うぅ……」



 二人へ背を向けて布団を被った僕だったが……

 疲れ果てていたにも拘らず、中々眠りに入れなかった。


 やはり……その涙は……

 そういうことだったのか?

 シンと……デキたのではなかったのか?

 まさか……そう装っておいて、シンをダシにして……再度ここへ来るための?

 だとしたら、ミサコ……君って子は……どこまで策略家なんだ。

 君のその想いは……


 愛? それとも……修羅?


 更に……この夜の僕は、一つ重要なことを失念していた。

 それは……

 あやさんとの大切な約束が……

 既に、破られてしまっていたということを。


「ミサコには二度と会わない」


 と言う……あやさんとの約束が……。

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