淡墨の深層 第四十六章 これが最後で…いいかな?

「「ごちそうさまでした!」」


 ミサコからは、前夜のあやさんとの『話し合い』の内容を改めて聞かされ……

 それ故に……最後には再びミサコを抱きしめてしまった、遅めの朝ごはんの時間を終え……

 ミサコが「あやさんと同じように『同棲ごっこ』がしたい」と懇願した一日は瞬く間に過ぎ去って行き、夕方となり……


 『アイツ』が……


 戻って来た。



「ただいまぁ……って、え? その子、誰?」

「ああ、シン……お帰り。この子……あやさんの元カレの、マサヤさんの彼女の、ミサコ」

「れい!」

「え?」

「あんな卑怯な暴力ふるうヤツ、もう彼氏なんかじゃない! だから今ここに居るんだって……全部説明したでしょ⁉」

「あ……そう……でした。ごめん、ミサコ……」


 そう……だったのはその通りだが……

 でも、もう夕方……ミサコにはそろそろ、帰ってもらわないと……。


「ミサコ……ちゃん?」

「ああ、シン。そう……。ミサコ……彼がヴォーカルのシン」


「初めまして、ミサコです」

「あ……ああ。れいのバンドのヴォーカルの……いや、もう首になったけど……シンです。よろしく」

「こちらこそよろしく!」


 その時のシンを見つめるミサコの目は……

 どこか……獲物を見定めるような視線だったことに……

 僕は既に……気付いていたんだ。

 しかしそのことは、その場では言及しなかった。


「でも、暴力って……ああ⁉ れい、その顔の傷! なんかあったんか?」

「ああ……ミサコの言った通りだよ。あやさんの元カレとその仲間から袋叩きにされて……」

「なんであやさんの元カレ連中から……ああ~わかったぞ! ミサコちゃんに手を出したなぁ?」

「違うの!」


 アパートの一室いっぱいに、ミサコの声が響き渡った。

 然しながら僕は……

 シンにすべてを説明する必要はないと判断し、ミサコを制したんだ。


「ミサコ!」


 ミサコはその一声で僕の意志を理解したのだろう……


「ん~? むぅ……」


 と……黙ってくれた。


 シンもそのやり取りに何かを読み取ったらしく……


「ああ……まぁ詳しいことはいいわ」

「悪ぃな、シン」

「ああ。それより……あ~あ! 今日もダメだったよ」


 シンの言う「ダメ」とは、就活のことだったのだろう。


「それはお疲れさん」

「毎度……済まない……」

「それはいいから……」

 

 シン……良いタイミングで帰って来てくれたよ。

 僕はこれ以上、ミサコと近しくなってはならないんだ。

 シンに少しくらいは……頼ってもいいかな。


「シン……就活でお疲れのところ済まないけど、ちょっとだけ……ミサコと二人にしてくれないか?」

「あ……わかった」


 と、廊下へ出て行ったシン。




「ミサコ……もうこれで……同棲ごっこは、終わりでいいかな?」

「・・・・・・」

「僕がいなくても君はきっと……誰かに幸せにしてもらえるよ」

「誰かに……?」


 そう……誰かに。

 ミサコには、マサヤさんや僕ではない……

 ミサコを幸せにしてくれる『誰か』がいるのではないかと……

 直感的に感じてしまった。

 そしてそれは……

 結果的に『幸せにしてもらえる』かどうかは別として……

 後日……それが誰なのかをミサコへ告げることになろうとは……

 この時点では……やはり『想定外』だったんだ。


「これが最後で……いいかな? 僕は本気マジで……あやさんへ戻りたいんだ」

「れい……」

「いいね……?」

「うん……わかった……じゃあ最後に……ね?」


 そう言って……哀し気な笑顔で抱き着いて来たミサコを……

 もう一度だけ最後に……本当に最後に……

 『自分から』……抱きしめたんだ。


「繰り返しになるけど……昨夜は助けてくれて、本当にありがとう」

「うん。れいももっと……強くなりなよ」

「ああ、わかった」


 と、腕を解き……


「じゃあ……シンを呼んで来る」

「れい!」

「なぁに?」

「昨夜のことは……シンさんが原因だったって言ってたのって……」

「ああ、アレね。それは……戻って来たことだし、本人から聞いてくれるかな?」

「本人から?」

「僕が言うと、アイツの悪口ばかりになりそうだからさ」

「そう……わかったわ」

「じゃ、呼んで来るから……ミサコ……元気でな。もう……あんまり無茶するなよ」

「え? ちょっと……それって」


 ミサコの混乱した声は聞こえていたが……

 敢えて無視して……

 僕は構わず廊下へ出た。



「シン、お待たせ。悪かったね」

「いや……」


 玄関から出て直ぐの所に立っていたシンだった。

 薄いガラス戸一枚の玄関……ミサコとのやり取りは、シンにも丸聞こえだったのだろう。


「今の……聞こえてた?」

「ああ……まぁ、だいたいは」


 この距離だと……やっぱりな。

 ミサコには聞かれないためにと、僕はシンを廊下の外れ……階段の方まで引っ張った。


「聞こえていたなら話が早い。お疲れのところ本当に済まないけど……ミサコを駅まで送ってあげてくれないかな?」

「なんでれいが行かないんだよ?」

「僕は……これ以上ミサコと近くなってはいけないんだよ。聞こえていたなら、わかるだろう?」

「あ……ああ。じゃ、ミサコちゃんとは?」

「もう終わり。それに僕は……これから行く所があるんだ」

「あやさんの……ところだな」

「そう。会えるかどうか判らないけど……逢って、すべてを話して……そして赦してもらって……僕はあやさんへと、完璧に戻りたいんだ」


 過去の……ゆなさんの時のような、夕闇色の後悔は……

 二度と……絶対に繰り返したくなかった。


「じゃ、このまま行くから……ミサコは頼んだよ」

「え? このままって……ミサコちゃんには……」

「もう別れを告げたよ。あ、そうだシン……ミサコからは『とある質問』をされるはずだから……シンのいいように答えてもらって構わないよ。『嘘』じゃなければね」

「ああ、あの……本人からとか、聞こえてたよ」

「なら頼んだよ。とにかく行くから、ミサコは宜しく!」


 そう言って僕は、そのまま階段を降りた。


 この時の僕の判断……

 確かに僕は、もうこれ以上ミサコと近くなってはならない。

 然しながら……この時、ミサコをシンに任せてしまったことが……

 後に、思わぬ結果を招く『火種』となってしまったんだ。

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