第11話 クラクションとアクションとアタック(2)

 学園の近くにとったホテルにチェックインしてから、後輩が指定してきた教室へ向かっている途中、電話が鳴って出てみると、相手はノアだった。一瞬、ノアのことを忘れてしまっていた自分がいたが、声を聞けば顔もありありと思いだせてきた。

『どう、光? 順調?』

「おかげさまで」

『……ロボットと会話しているわけじゃないのよ? もっとこう、頭のおかしい返事をしてよ』

「求められるとシティーボーイからシャイボーイになってしまうんだ」

 ノアはため息を吐くときだけ、ミュート機能を使っているようだ。「それで? 要件があるんだろう? 今かなり忙しいんだ。急ぎじゃないなら後にしてくれ」

『あらそう……順調みたいで何よりだわ』

 何だか歯切はぎれの悪い返答で、すこしあやしい。面倒事めんどうごとに巻き込まれそうな、そんな感じだ。

「切るぞ」というまえに僕は切った。歩きながら通話に出ていた僕はそれを切ったとき、すでに指定された教室のある校舎の前に立っていた。

 ポケットから手を出して、校舎のなかに入っていった。


 後輩は僕を見つけてたったとスキップしてきて、いきなりネクタイを掴んで振り回してきた。まるで風力発電のあれだ。何してるんだと問うまえに、それをやめてしまった後輩は、

「待っていましたよ、先輩」といって、にこっとした笑顔を見せてきた。

「昨日まで敬語じゃなかったのに、どうして急にそうなった。おかしくなったのか」

「先輩が昨日わたしが敬語つかってないのを気に障っているような顔をしてたからじゃないですかあ」といってネクタイをつかんだまま引っ張って前に進もうとする。僕、別にそういうの気にしないタイプなんだけどな、とか思いつつ、後輩は人の気持ちをよく分かっていると勘違いして、心を病んでしまうタイプの人間なのかもしれない、と無関係だが心配になった。

「で? 話をするのか? それともアクションか?」

「アクションですよ、もちろん」

 後輩は僕の手を引いて、教室のなかに入っていった。

 入った教室は大教室で、すでになかには六十人ほどの生徒がわいわいしている。ドアから入って一番はじっこの列の後ろから四つ目の席に、後輩と僕は一緒になって座る。

「次の授業は自習なので、先輩が混ざっててもばれないですよ」と隣でそわそわしている僕に気づいたのか、後輩は言った。「で、あれがリーシェちゃんです」

 指では差さず、目で僕に方向を教える。目線追ってその先は、ざっと五人組になっている一つのグループ。その中心にいるのがどうやら久我リーシャのようだ。持つ髪の色はベージュ色で目立っていて、すこし強気な笑顔と声をしている。ここまで聞こえるのだから、声のほうはかなり鋭いものだ。

「あれが、偽ものってことだよな?」

「十中八九は。ですが、やはり明確な照明方法はないのです。髪質、ほくろの位置、目の色、手のしわ、どれを取ってもやはり同一どういつのもののように思えてはならないのです」

「そこまで確認したんなら、それはもう答えなんじゃないのか」と僕は言った。「つまり、偽ものなんかじゃなくって、あれが本当の久我リーシャだってことだ」

 昨日からずっと考えていたが、結局、僕の答えは変わらなかった。学園でなりすましなど聞いたことがないし、理論上できるわけがないのだ。

「それにしても、苦手な感じの女だ」

「私もですよ」と後輩は小声でいった。「だから、リーシャちゃんじゃないはずなんです」

 後輩の顔を横目で見ると、やはり真剣なものが感ぜられた。僕は後輩を信じることにした。

「まあ、明日になったら、どのみち分かることだ。僕たちは今すべきことをするべきだ」

「いますべきこと、ですか?」

「後輩は勉強な。明日の試験に頑張ってもらわないと、学生なんだから」

「私、腐ってもAクラスなんですから、学力テストで困ったことなんてないですよ……そういうえば、先輩は何クラスだったんですか? ていうか、学園に通っていたんですか?」

「通ってたさ、Bクラスだったけどな。だが、そんなものはどうでもいい。僕は今、計画していることがあるんだ。それによると、後輩には頑張ってもらわねばならないんだ」

「……は、はあ」

「だから、とりあえず、後輩は勉強な。僕には僕のすべきことがある」

 後輩はやけに気圧されたようにコクコクと頷く。始まりのチャイムが鳴った。

 チャイムが鳴っても、教室のワイワイしている雰囲気は変わらない。教師が何も言わないから、おしゃべりを続けている。どこもこんな感じなんだな、と僕は思った。勉強しているやつらは静かにして、ノートにペンを走らせている。こういうやつらに社会を任せたいものだ。

 辺りをざっと見渡して、教室の雰囲気に慣れるようと努める。こういう雰囲気は嫌いだ。

 さっき若紫書店でもとめた、フセーヴォロド・ガルシンの文庫本を開いて、『あかい花』を読み始めた。ときどき、久我リーシェのほうに目を向けて、僕なりに観察してみて分かったことは、やはり苦手な女だということだけだった。

 後輩が僕のほうをときどきちらちらと見ているのには気づいていたが、無視した。

終わりのチャイムが鳴ったと同時に、僕は立ち上がって、久我リーシャのほうへ歩いていって、

「話がある」と言った。

 久我リーシャはぽかんとした顔になった。周りにいた四人の女は、僕が話しかけてきたことからか、くすくすと笑いあっている。

「告白?」と周りにいた四人のなかの一人がぽつりいうと、どっと笑い声が響いた。

「俺はおまえのことを知らないし、おまえは俺のことを知らない。そうだろ?」と僕は周りは気にしないふりをして、久我リーシャだけを見て言った。「もう一度いう。話がある」

「どこで? いつ?」と久我リーシャはにやりと笑って言った。

 僕はあらかじめ書いてきたメモを渡した。そして何も言わずにそこを去った。後ろから聴こえる笑い声は、頑張って聴こえないふりをした。


 大教室から出て、後ろから後輩が追ってきた。

「どういうつもりなんです? ちょっとアクションしすぎじゃないですか? 先輩、先輩がここにいるって、実はばれたらやばいことなんですよ? 普通に不法侵入ふほうしんにゅうなんですから」

「大丈夫だよ。ばれたら、それまでの人生だったってことだ」

「……先輩って、元ギャンブラーだったとか、絶対そんなんですよね!」

「普通の学園生だったよ。ただ、、ってだけだ」

 失うものがないからね、とは、なぜか言えなかった。

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