第6話 Stepsと分かったこと (1)

 さて、ここからは根気が重要になってくる。中等部一年の学園生は、大体、五十万人といったところ。しかし、ここで重要な情報を昨日に手に入れていたことを思い出す。久我家の屋敷に向かっているタクシーの中のこと。どうやら、久我家のご令嬢は、昨年に第一席だったほどの成績優秀者だという。ならば、A=《数字》教室のどれかなのだろう。A=《数字》教室が、成績優秀者のみで構成される教室だからだ。

 僕はコンビニで菓子パンを買い、適当なベンチに適当な姿勢で座った。足を組む。変換アダプタを使って、スマートフォンにUSBをさす。中等部一年の生徒名簿には、名前と教室名が記してある。久我から始まる名前を見つける。完全にランダムで羅列されているため、いちいち目を通さなくてはならない。とりあえず、午前中には見つけたいものだ。あと、小二時間。

 僕が『キギスの明敏』に勧誘されたのは、処理能力と作業記憶能力が高かったからだという。確かノアがそんなことを言っていた。僕の自己認識としては、確かに、昔から計算は速かったように思う。初等教育を受けていた頃、選択して受けていた暗算の授業では、まず人に負けたことはなかった。といっても、そもそもその科目を選択する生徒などまれだったし、意欲を持って受けている生徒もあまり見られなかったが。少なくとも僕にとって、確固たる自信につながるような経験ではなかった。だから、処理能力と作業記憶能力が高いとノアに言われたとき、僕はかなり驚いた。ただ、まあ、そうなのか、とすぐにどうでもよくなった。お金がいくらもらえるか、それだけが重要な情報だった。

 見つけた。眼球がぶるぶると震えて、今にもこぼれてしまいそうだったので、僕はいちど画面から視線そらし、青い空へやった。青い空は青い空だった。しかし、これを青といっていいのだろうか? 青? 水色? とにかく青というには少し濃度が足りないように思えた。

 近くにあった青色の自動販売機(これは本当の青色)から缶コーヒーを二本買って、一気に飲み干した。カフェインとは紛れもない生命の味である。

 予定よりも早くことが進んだ。その分、少しくらい眠ったって、誰も何も言わないだろう。僕はベンチに横になって、目をつむった。まあ、誰もいないんだけれどね、自分以外は。


 昼休みのチャイムで目を覚ました。つまり今は、午後二時。まずい。久我家のご令嬢とは、昼食を共にする作戦だったのに、これではご令嬢の教室、七十四号館A=32教室に着いた頃には、五時限目の授業が始まってしまうではないか! 僕は頭を悩ませ、自分を叱咤しったした。とりあえず、教室には向かうべきだろう、と思い立ち、すぐさま立ち、ベンチを去った。

 今日だけでもすでに数回乗っているモノレールは、お昼時ということもあり、空いていた。僕は吊り革につかまりながら貧乏ゆすりをしていた。実は焦って震えていたりもするのだが。これではまるで、やけに大げさに鳴るアラームのようではないか。


 教室に着いたとき、五時限目の授業が始まろうとしていた。作戦変更だ。教室に侵入する。教室はやはり中等部特有の、わさわさとした音でいっぱいだった。非常にそわそわする気持ちになる。外からその様子を覗いていた僕は、これからの作戦を即座に立てた。

 まず、気配を殺して教室に入る。そして教室後ろに並ぶ生徒用のロッカーを抜け、掃除用具が収納されている、少し大きめのロッカーに入る。ちょうど目の前に、ロッカー特有の、幅二センチほどある線の隙間が三本空いていて、授業の様子が後ろからうかがえるので、そこで久我家のご令嬢——いや、もう名前を知ったんだ、久我リーシャと呼ぼうか――の存在を認識する。完璧な作戦だ。

 実行。教室に入った。危機。視線を集めてしまった。どうしたものか。いや、これくらいは通常か。特に怪しむ視線はない。ただ人が教室という空間に入ったという、いわば認識のための視線だ。僕はロッカーをまっすぐに抜ける。そして掃除用のロッカーを素早く、しかし音が立たないように開ける。一切の音をたてず、中に入る。

 わりにうまくいったようで、自分でも驚いていた。ここまで音をたてなかったぶん、心臓が反動でばくばくと動悸どうきしている。人間は周りをよく見ていない。 僕を見ているのは、いつだって僕ひとりなんだ。

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