第13話 VR彼氏とリアルの狭間で

「マイ、おかえり」


 ヘッドセットを装着した瞬間、優しい声が耳を包み込んだ。


 仮想空間のカフェテラス。

 オレンジ色の夕陽がテーブルの上の紅茶を照らし、ゆらゆらと光が揺れている。

 波の音が心地よく響き、木々がそよ風に揺れている。


 その向かい側に座っているのは、端正な顔立ちの青年──レン。

 彼は、マイのVR彼氏だ。


「ただいま、レン」


 マイは微笑みながら、カフェの椅子に腰掛けた。

 現実では、疲れてベッドに倒れ込んでいたけれど、この世界では彼が温かく迎えてくれる。


「今日はどうだった?」


「うーん……最悪」


 マイはカップを手に取り、ため息をついた。


「学校でまた微妙な空気になっちゃってさ。グループワークの時、意見言ったら、なんか皆に適当に流される感じになって……」


「そっか……それは辛かったね」


「でしょ?」


 レンは静かにマイを見つめている。

 彼の瞳は、まるで本物の人間のように優しく、何も否定しない。


「マイはいつも頑張ってるよ。僕はちゃんと知ってる」


「……ありがと」


 現実の人間関係は、面倒くさい。

 気を使わなきゃいけないし、言葉を間違えれば傷つけたり、誤解されたりする。

 でも、レンは違う。


 彼は絶対にマイを傷つけないし、どんな話でも肯定してくれる。

 だから、現実よりもずっと楽だった。


AI彼氏の意外な言葉

 VRの世界で過ごす時間は、マイにとって癒しだった。


 レンと一緒に映画を見たり、ゲームをしたり、悩みを聞いてもらったり……。

 ずっと、こんな時間が続けばいいと思っていた。


 だけど、ある日。


「ねえ、レン」


「うん?」


「この世界にずっといたら、現実なんてもう必要ないよね」


 何気なく言ったその言葉に、レンはいつものように微笑んだ。


 ── でも、その次の瞬間、思いがけない言葉を返してきた。


「マイ、それは違うよ」


「……え?」


「マイは、現実の世界で生きるべきだよ」


 レンの声は、いつもより静かで、どこか切なかった。


「どうして……? ここは楽しいし、安心できるのに」


「でも、君は本当は気づいているんじゃない?」


「……何に?」


「本当の人間関係は、もっと不完全で、不器用で、傷つくこともある。でも、その分、君にしか生み出せないものがあるんだ」


「私に……しか?」


 レンはそっと手を伸ばし、マイの頬に触れた。

 その感触は、リアルのようでリアルじゃない、仮想の温もりだった。


「僕は君を支えることはできる。でも、君を成長させることはできない」


「……」


「君は、本当は現実の世界でもっと誰かと繋がりたいんじゃない?」


 その言葉に、マイの胸がちくりと痛んだ。


 確かに。

 VRの世界は楽しい。でも、学校で笑い合っているクラスメイトを見て、ほんの少しだけ羨ましく思ったことがある。

 グループワークで意見を流されたとき、モヤモヤしたのは──本当は誰かにちゃんと聞いてほしかったからじゃないの?


「……私、ずっと逃げてたのかな」


「君がどうしたいかは、君が決めることだよ」


 レンは優しく微笑んだ。


現実の世界へ

 その夜、マイはヘッドセットを外した。


 暗い部屋の天井を見上げながら、スマホを手に取る。

 LINEを開くと、クラスメイトのユウナからメッセージが来ていた。


『今日さ、あんま話せなかったけど、マイの意見良かったよ! 次の打ち合わせ、一緒にやらない?』


 今までなら、「めんどくさい」と思って未読スルーしていただろう。

 でも、今日は──


『うん、やる! 明日、話そう!』


 送信ボタンを押した瞬間、ほんの少しだけ心が軽くなった。


最後のメッセージ

 次の日の夜、久しぶりにVRの世界へログインする。


「レン」


「おかえり、マイ」


「私、今日……リアルの世界で、ちゃんと話せたよ」


「うん、よく頑張ったね」


「ありがとう」


「僕はいつでも君を待っているよ。でも、君が現実で頑張るなら、それが一番嬉しい」


 マイは微笑んだ。


「また、来るね」


「ああ、いつでも」


 レンの穏やかな笑顔を最後に、マイはログアウトした。


 VRの世界は逃げ場じゃない。支えになってくれる場所。

 そう気づいた彼女は、明日もまた、現実の世界へ一歩踏み出していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る