第30話 神岡璃音と武曽晴菜

 千尋たちと別れた隼人たちは、お祭りや運動会などでよく見る白い三角テントの前までやってきた。ここが総合受付である。


 通常のMBバレーの大会ではコーチは大会中、助言やアドバイスを禁止されている。しかし、このジュニア大会のルールではコーチのベンチ入りが許可されているため、エリスと暗子の選手登録だけでなく、隼人もコーチとして登録する必要があった。加えて、大会で使用する〈魔法〉の登録――7オーダーも申請しなければならない。


 受付はやや混んでいて、前方に可愛らしいピンク色のパーカーを着たペアが並んで談笑していた。


 その特徴的な風貌ふうぼうに隼人たちはすぐ誰なのか気づき、ほぼ同時に気づかれた。


 銀髪をポニーテールに縛った神岡璃音と、見事に鍛え抜かれた筋肉の武曽晴菜が振り向く。エリスと暗子に緊張が走ったが、声をかけられたのは隼人だった。


「おー! お兄さん、でっか! 若そうに見えるけど男子の選手じゃないよね、コーチ?」


「そ、そうだが……」


 神岡は人懐っこそうな笑顔を浮かべつつも、瞳は冷ややかにこちらを品定めしてくる。隣の武曽は獲物を狙うような鋭い眼差しを向けてくる。こちらが二人のことを一方的に知っているだけだから、なんだか居心地が悪い。


「身の丈も我より高し、衣の下の肉体も鍛えられていると見える。璃音よ、我はこの殿御とのごを気に入ったぞ!」


「ええっ! それって一目惚れってやつ⁉」


 神岡は口元に手を当て驚く。


「うぬ。あるいは、そうなのかもしれん……」


 武曽は、ぽっと頬を染める。


「堅物の晴菜に春が来ちゃった……まあ、それは置いといて……お兄さん、どう? あーしたちのコーチにならない?」


「は?」


 予想外の提案に隼人はポカンと口を開ける。


「あーしたち、絶賛コーチ募集中なんだよねー、前のコーチが海外に行っちゃってさ……晴菜は自分よりでかいコーチじゃなきゃ嫌だとか、わがまま言うし……むちゃくちゃ困っていたところなの。そこに現れたのがお兄さん! これって運命でしょ⁉ ああ、お金は心配しなくていいよ! あーしたち、アクアマリアにスポンサードされているプロだから!」


「知ってる。アクマリだろ……」


「お! お兄さん、ファッション詳しいね!」


 そういうわけではなく、以前、戦術分析のついでに調べたから知っているだけだ。アクアマリア略してアクマリは、若い女性向けファッションブランドである。


「とりま連絡先交換しよ! 細かい条件は後で――」


 神岡がパーカーのポケットからスマホを取り出した瞬間、今までプレッシャーで固まっていたエリスと暗子が、弾かれたように動き出す。


「ちょっと⁉ 何なのよ! アンタたち‼」


「そうっす! 隼人にいはアタシらのコーチっすよ! 勝手に引き抜こうとしないでほしいっす‼」


 その声に神岡と武曽は、ようやくエリスと暗子が視界の中に入ったようだった。


「ぬ? 誰だ? この娘っ子らは?」


「あーしたちが知らないってことは、新人の高一か、それともザコでしょ」


「うぬ! 弱者の名前を覚える必要はない」


 過去に対戦した事実を完全に忘れ去られていると悟った松百ペアは、わなわなと身を震わせる。


「忍者は屈辱くつじょくを忘れないっす‼」


「アンタたちが忘れたんだったら、試合で思い出させてやるわよ! 優勝は渡さないわ‼」


 松百ペアにメラメラと燃える瞳でにらまれた神岡は、いいことを思いついたように言った。


「忍者? よく分かんないけど、アンタたち本気で優勝を目指しているんだ? じゃあ、こうしようよ! あーしたちが優勝したら、お兄さんを譲ってよ!」


 その言葉に隼人たちは一瞬声を失うが、エリスが気を取り戻して弱々しく尋ねた。


「ワタシたちが……優勝したら、どうするのよ……」


 武曽がエリスをにらみ返す。


「そのときは、如何様いかようめいでも下すがいい」


「お金でもいいし、謝ってほしいなら土下座でもするよー」


 武曽と神岡は、実に軽く答えた。自分たちの優勝を微塵みじんも疑っていない。


 エリスと暗子が目を合わせる。


 暗子は小さくうなずき、エリスは拳を胸元に当てた。


「分かった……その条件を飲むわ……」


「ラッキー! ありがとね!」


「次の方、どうぞー!」


 受付スタッフに順番を呼ばれた神岡はひらひらと手を振り、隣の武曽は悠然とテントの中へ歩いて行った。


 二人の背中をしばらく眺めてから、隼人は怒気を含んだ声で松百ペアに真意を問いただす。


「おい! 何、勝手なことを――」


「勝手じゃないっす!」


 暗子とエリスの目に涙がにじんでいる。


「ワタシたち、優勝はするつもりだけど……もしダメだったら、ペアは解散で……隼人は無職になっちゃうじゃない」


「アタシはダメでも……隼人にいとエリスには、せめてMBバレーを続けていてほしいっす」


 二人の不器用な優しさに、隼人はため息をついた。


「戦う前から負けることを考えるやつがあるか……それに俺は、お前らだからこそコーチをやりたいと思ったんだ」


「本当っすか?」


「あいつらの方が実績はあるけど……」


「実績はこれから作るんだろ……それに――」


「それに?」


「――武神ペアは俺の好みじゃない」


 中々際どい発言にエリスと暗子は、意味ありげな笑みを浮かべた。


「へー、やっぱり隼人は美少女JKが好きなんだ……」


 エリスが隼人の左腕を掴む。


「スタイルもアタシらの方が何倍もいいっすからね……隼人にいも正直な男っす!」


 暗子が右腕を掴んだ。


 受付の順番が回ってくるまで、隼人は少女たちと腕を絡め合ったままだった。

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