第29話 邪魔者
萌黄色のドレスに身を包み、長い髪を丁寧に編み込んだイレーヌは、緊張した面持ちで部屋を出た。
隣を歩くオリヴィエは、先程からずっと心配そうな顔でイレーヌを見つめている。
今日は、フェデリコとの茶会の日だ。
茶会と言っても大規模な物ではない。参加者は護衛を除けばイレーヌとフェデリコの2人だけである。
わたくしもフェデリコ様も未婚で、婚約者もいない。
彼が客人であるということも踏まえれば、変な誘いじゃないわ。
しかも、妙な誤解を招かぬよう、会場に指定されたのは屋外だ。美しい庭園を見ながら話でも、と誘われてしまえば、さすがに断ることはできない。
断って、嫌われるわけにはいかないもの。
これほど緊張する茶会は生まれて初めてだ。昨日の晩は今日が嫌すぎてなかなか眠れなかった。
庭園へ出る寸前、立ち止まってオリヴィエを見つめる。
「大丈夫ですよ、殿下」
オリヴィエは、イレーヌの緊張の理由なんて知らない。それでも不安がっている心を見抜いて、優しく寄り添ってくれる。
「ありがとう、オリヴィエ」
あんな奴にオリヴィエが殺される未来なんて、なにがなんでも阻止してやるんだから。
◆
「今日もお美しいですね、イレーヌ様」
相変わらず優雅な笑顔を浮かべ、フェデリコはイレーヌに一礼した。
華やかな顔をしているフェデリコには、派手な装飾品がやたらと似合う。陽光を浴びて煌めく姿は、格好いいを通り越して眩しいほどだ。
「ありがとうございますわ」
とびきりの愛想笑いを浮かべ、イレーヌも礼を返す。
フェデリコがどういう理由から誘ってきたかは分からないが、関係を悪化させるわけにはいかない。
パンテーラ王国とは貿易も盛んであり、他国との関係も考えれば、パンテーラ王国との関係を強化するべきなのは明らかだ。
そしておそらく、フェデリコも同じことを考えているはず。
利害は一致しているわ。
けれどわたくしも向こうも、関係を深めたいのは国であって個人じゃない。国の頭が変わったところで、何の問題もないでしょうね。
そのためフェデリコは、革命派と手を結び、現王家を殺す企てに参加したのだ。
死後のことは分からないけれど、革命でごたついたティーグル王国に対し、パンテーラ王国は優位な立場を手に入れたに違いない。
内心、今もわたくしのことを排除したいと思っている可能性もあるわね……。
じっとフェデリコの顔を観察するが、何も分からない。というか彼の笑顔のせいで、本当にイレーヌに好意を抱いているかのように見えてしまう。
「イレーヌ様。お茶菓子を楽しむ前に、庭園を案内してくださいませんか。散歩がてら、二人で話でも」
砂糖のように甘い笑顔を浮かべ、フェデリコが笑った。
「分かりましたわ」
頷いて、イレーヌは振り向いた。オリヴィエと目を合わせ、頷き合う。
「……イレーヌ様。できれば僕は、君と二人で話をしたいと思うんですが?」
言外に、オリヴィエが邪魔だと言っているのだろう。
庭園は外からも見えるし、安全な場所だ。だが、その誘いを受ける気にはなれない。
一瞬でも二人きりになったりしたら、その隙に殺されちゃうかもしれないじゃない!
現実的に考えて、今すぐフェデリコが手を出してくる可能性は低いだろう。しかし、こんな男と二人きりになるのはごめんだ。
婚約なんて、もっと無理だわ。
信頼も信用もできない相手と、どう結婚生活を続けていくっていうのよ。
「フェデリコ様。彼はわたくしの護衛騎士で、常に傍にいてもらう決まりですの」
だから仕方ないのよ……と残念そうな表情を作ってみせる。二人きりになりたくないわけではない、という嘘の意思表示である。
それを理解したのかは分からないが、背後に控えていたオリヴィエも口を開いた。
「俺のことは、置物とでもお考え下さい」
◆
「綺麗な花ばかりですが……イレーヌ様の前では、やはりどの花も霞んでしまいますね」
「まあ」
「見てください。この花なんて、イレーヌ様の美貌に自らを恥じ、蕾に戻ってしまったようですよ」
なにそれ? うすら寒い褒め言葉ね、呆れて溜息が出そうだわ。
という心の声を表に出さず、イレーヌは優雅な微笑みを浮かべ続ける。
「イレーヌ様は、さぞや男性にも人気でしょう。婚約者に名乗りを上げる男が後を絶たないのでは?」
否定も肯定もせず、曖昧に首を振る。確かにイレーヌの婚約者になりたい者は多いだろうが、大半が王女の婚約者になりたいだけだろう。
「もし僕も立候補したいと言ったら、どう思いますか?」
「……御冗談を。パンテーラ王国のご令嬢方が泣きますわよ?」
甘い声と顔でこんな言葉を言われたら、たいていの少女はときめくだろう。それを自覚していそうなところが気に入らない。
「はぐらかされてしまいましたね。美しいイレーヌ様の心を射止めるのは、果たしてどんな方でしょうか」
フェデリコがイレーヌに顔を近づけようとした瞬間、視界の端で茂みが動いた。
何気なく目を向けると、草の間からにょろにょろと動く生き物が這い出てくる。
「へ、蛇だわ……っ!」
城内に現れる蛇は毒蛇ではなく、害はない。そう知っているけれど、無理なものは無理だ。
しかも蛇は独特の動きでイレーヌに近づいてきている。
「オ、オリヴィエ、蛇、蛇よっ!」
思わず叫び声をあげ、夢中になって逃げる。オリヴィエの背後に隠れ、目をつぶって彼の左腕をぎゅっと掴んだ。
「殿下、もう安心です」
オリヴィエの声に従って目を開いた時、蛇は真っ二つに切られていた。ひっ! と悲鳴を上げ、すぐに目を逸らす。
「殿下? 蛇は退治しましたが」
「そ、それはありがとうっ!」
だからって、蛇の死骸も見たくないわよ! とは言えない。身体にまとわりつかれるよりは何倍もマシだ。
「……これはこれは。さすが殿下の護衛騎士。見事な腕前ですね」
しゃがみ込んで蛇の死骸を確認した後、フェデリコの視線は真っ直ぐにオリヴィエへ向けられた。
「それにイレーヌ様は、ずいぶんと君を慕っているようだ」
フェデリコに指摘され、オリヴィエの腕にしがみついたままだったことに気づく。とっさに腕を放したが、険悪な雰囲気になっている気がする。
なに、この状況は……!?
どうしたらいいの!?
「イレーヌ様。そろそろ戻りましょうか。また邪魔者が出ては困りますから」
そう笑うフェデリコの瞳は、なぜか、ちっとも笑っていなかった。
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