第27話(オリヴィエ視点)墓場まで

 イレーヌから手渡されたハンカチには、小さく刺繍が入っていた。

 オリヴィエの名前と、薔薇らしき花。正直それほど上手いとは言えないが、だからこそ、イレーヌ本人の手によるものだと分かる。


 殿下はあまり、手先が器用ではないようだから。


 それになにより、このハンカチはオリヴィエだけに渡されたもの。明確に他の騎士たちとは違うのだと伝えられたようで嬉しくなってしまう。


「殿下。本当にありがとうございます」

「な、なによ。そんなに嬉しいの?」


 照れているのか、イレーヌの頬は赤く染まっている。存外子供らしい方なのだと知った今は、そんなところも愛おしく思えてしまう。


「ええ、とても」


 ああ、そうか。

 俺は殿下が俺以外の誰かを特別扱いすることが嫌だったのだ。


 イレーヌがフェデリコ王子を気にしていることにむかついたのは、彼女の男の趣味が悪くて心配になったから、だけではない。


「……申し訳ありません、不安にさせてしまって」

「不安!?」

「最近の俺の態度が気になっていたのでしょう、殿下は」

「そ、それはその……」

「殿下のことなら分かりますよ。一番近くで見ているのですから」


 否定も肯定もせず、俯いたイレーヌは長い髪で顔を隠した。そんな仕草も可愛らしく見えてしまう。


「殿下」


 膝をつき、イレーヌの顔を見上げる。目が合ったイレーヌが泣きそうな顔をしている気がして、くだらない嫉妬からイレーヌを傷つけた自分を殴りたくなった。


 俺は護衛騎士だ。なのに殿下にこんな顔をさせるなんて、どうかしている。


「今日は騎士団の訓練が終わったら、すぐに殿下の部屋へ参ります。なにかしたいことがあれば、とことん付き合いますよ」

「オリヴィエ……」

「最近はあまり、食事の際も話ができていませんでしたし、殿下のお話も聞かせてください」


 意図的に雑談を避けていたのは、フェデリコ王子の話を聞きたくなかったから。

 イレーヌの口から、彼に関する話を聞くのが嫌だった。彼の名を呼ぶ時にどんな顔をするのか、そんなことを考えただけで腹が立った。


 殿下が俺を好き、だなんて噂は間違っている。

 むしろ逆だ。俺が殿下を……。


 頭の中で出かけた結論を追い出すように、オリヴィエは頭を振った。イレーヌは主君であり、オリヴィエは騎士なのだ。

 主人に抱くべき感情と、抱くべきではない感情くらいは分かる。


「これ、一生大切にしますね」


 ハンカチを丁寧に懐へしまう。これから先イレーヌがフェデリコとどんな関係になったとしても、どんな男を選んだとしても、自分を信頼し、大切に思ってくれた事実は変わらない。


 俺は騎士として、殿下を一生お守りする。


 それだけで十分なのだ。


「……次は、きっともっと上手くできるわよ」


 真っ赤になった顔には、嬉しいと書いてある。本当に分かりやすい御方だ。


「はい。殿下ならきっと、すぐに上達なさるでしょう」


 最初はただ、聡明で賢い王女に騎士として仕えたい。そう思っただけだ。

 けれど彼女の隣で時間を重ね、王女としての彼女ではなく、一人の少女としてのイレーヌのことも愛しく思うようになってしまった。


 困ったものだ。殿下には、この気持ちがバレないようにしなくては。


 自分に恋慕を寄せる騎士なんて信頼できないだろう。それに優しい殿下は困ってしまうに違いない。

 だからこの気持ちは、墓場まで持っていこう。





「それでセシリアったらおかしいのよ! この前も……!」


 楽しそうに喋るイレーヌの前に置かれた料理は、先程から全く減っていない。イレーヌは喋ることに夢中で、ほとんど料理に手をつけていないのだ。


 イレーヌが喋る内容は、正直特に意味がないものが多い。それでも必死に喋るイレーヌが可愛らしくて、つい頬が緩みそうになる。


「オリヴィエ、聞いてる?」

「聞いていますよ。殿下の話ですから」


 頷いたイレーヌがまた話を始める。ずっとこんな時間が続けばいい。そう思うくらいには、幸せな時間だった。





 今日、フェデリコ王子が宮殿にやってくる。王妃のパーティーを含め、一週間ほどティーグル王国に滞在することになったのだ。

 その間は、宮殿内にある客室に宿泊する。


「行きましょう、殿下」

「ええ」


 頷いたイレーヌは、見たことがないほど強張った顔をしていた。もう少し嬉しそうな顔をすると思っていたから、意外だ。


 フェデリコ王子に緊張しているのか?


 フェデリコ王子を出迎えるのが、今日のイレーヌの仕事である。といっても、長く喋るわけではない。すぐにアゼリーのところへ案内することになっている。


「お手を」

「……ええ」


 差し出した手のひらに、そっとイレーヌが小さな手を重ねた。その手が小刻みに震えていて、思わず、強く握ってしまう。


「大丈夫です、殿下。俺が傍にいますから」





 やたらと派手な馬車から下りてきたフェデリコの姿を見て、周囲に控えていたメイドたちだけでなく、護衛のためにきていた騎士団までもが感嘆の息を吐いた。

 黄金で作ったかのように華やかな金髪、宝石を埋め込んだかのように輝いている翡翠色の瞳。

 絶世の美男、と称することに、何の異論も出ないであろう男だ。


 殿下が関心を持つのも無理はない。

 噂になっていたこの美貌を生で見れば、きっと殿下も……。


 ちら、と横目でイレーヌの顔を確認する。だが、予想していた表情とはまるで違っていた。

 青ざめた顔。小刻みに震える身体。そして無意識なのか、爪を立てるほど強くオリヴィエの手を握っている。


 怯えている? まさか、フェデリコ王子に?


「殿下。俺がいますから」


 小声で囁くと、少しだけ、イレーヌの震えがおさまった。

 オリヴィエを見つめる瞳は潤んでいて心配になる。


 どうしてこんな状態になっているのかは分からないが……とにかく俺が、殿下をお守りしなくては!

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