第7話 初めてのダンス

「……あの。俺はリシャール家の次男ですが、誰かと間違えているのでは?」


 イレーヌに微笑みかけられたにも関わらず、オリヴィエは困惑した顔でそう言った。

 首を傾けた拍子に長い髪が揺れ、わずかに汗の匂いがする。

 オリヴィエのことだ。きっとパーティーの寸前まで訓練に励んでいたのだろう。


「ええ、知っているわ。オリヴィエ・フォン・リシャール。わたくし、貴方を誘ったんだもの」


 紫色の瞳が細められる。オリヴィエの困りきった顔を見て、なんだか気分がよくなった。


 ふふ。精神年齢で言えば、わたくしは19歳。今のオリヴィエと同い年なのよ。


 オリヴィエの後ろで慌てた顔をしているのは、オリヴィエの兄と父だ。

 まさか、オリヴィエが王女から誘われるとは思っていなかったのだろう。


「どうかしら?」

「……俺でよければ」


 予想通りの答えだ。この状況でオリヴィエが断れるはずがない。


 もっと嬉しそうな顔しなさいよ! なんて、オリヴィエ以外なら思ったでしょうね。


 曲に合わせ、オリヴィエと踊り出す。そういえば、こうやってオリヴィエと踊るのは初めてだ。

 パーティーの際も常に傍に控えていたオリヴィエのことをイレーヌは一度も誘わなかったし、オリヴィエがそれを望むこともなかったから。


 整った顔をしているわりに、浮いた話は一度も聞かなかったわね。

 真面目で鬱陶しい、なんて愚痴ならいくらでも聞いたけれど。


 ダンスに不慣れなのだろう。オリヴィエのステップは正直、へたくそだ。けれど必死に、背が低いイレーヌに合わせようとしているのが伝わってくる。


 一曲踊り終えると、相変わらずの不愛想な顔でオリヴィエが口を開いた。


「……申し訳ありません。ダンスは下手で。その、稽古ばかりしているものですから」

「分かるわ。本当に貴方は、剣の稽古が好きよね」


 うっかり口にした直後に、イレーヌは自らの失敗に気づいた。

 オリヴィエとは初対面なのだ。それなのに、この言い方はまずかっただろう。


 オリヴィエだってびっくりしてるわ。なにか言わなきゃ!

 えーっと……あ、そうだわ!


「手のひらよ、手のひら!」

「手のひら?」

「ええ。貴方の手、すごく硬かったわ。きちんと鍛えている人の手だと思ったの」

「イレーヌ殿下……」

「それに肌も。日に焼けているのは、毎日外で訓練に励んでいるからでしょう?」


 イレーヌの傍にいない時間、オリヴィエはいつも稽古に励んでいた。寝る間を惜しんで訓練していると聞いた時は、理解できないと呆れたものだ。


 恋人もおらず、娯楽にも興味がなく、一心不乱に訓練ばかりする真面目な騎士。


 つまらない、なんて思うだけで、どうしてかなんて考えたことはなかったわね。


 毎日なにかをする、ということは大変だ。最近は勉強を真面目にするようになったからこそ、その辛さがよく分かる。

 セシリアと話をして、仕事の後になにかをすることの困難さも分かった。


 どうしてわたくしは、なにも知ろうとしなかったのかしらね。


「ねえ、オリヴィエ。よかったら、ちょっと話せないかしら?」

「はい?」

「外の空気が浴びたい気分なの。付き合ってくれない?」


 あ、まずいわ。自分が主役のパーティーなのに外の空気を浴びたいだなんて、ワガママだったかしら?


 焦ったイレーヌは慌てて発言を撤回しようとしたが、それは失敗した。


「……喜んで、殿下」


 初めて見るオリヴィエの微笑みに、イレーヌが言葉を失ってしまったからである。





 バルコニーに出て、オリヴィエと二人で向き合う。二人きりと言っても、バルコニーはガラス張りだ。

 広間にいる人に姿に見られている以上、あまり近づくことはできない。


「貴方はどうして、そんなに訓練に励んでいるの?」


 率直に尋ねると、オリヴィエは黙り込んでしまった。

 今ならなんとなく分かる気がする。オリヴィエはただ、真剣に考えてくれているだけだ。


 それなのにせっかちなわたくしは、オリヴィエの話をろくに聞かなかったのよね……。


「……どうして、と言われても、考えたことはありませんでした」

「そうなの?」

「はい。幼い時から、騎士として育てられていますので」


 他にも選択肢はあるはずだが、両親がオリヴィエの適性を見抜いていたのだろうか。


「……貴族なんだから、騎士としての実力に関係なく、遊んで暮らせるのに?」


 貴族の中には優れた騎士もいる。だが大半は、仕方なく騎士をやっている連中ばかりだ。

 そういう連中は戦場には絶対行かないようにしているし、訓練への参加率も極めて低い。


 伯爵家の次男であれば、そういった生き方もできるだろう。


「大事なものを護るために、強くならねばならぬと、叔父から教えられました」

「叔父様に?」

「はい。叔父も、騎士として生きていますので」


 そうなの、とイレーヌが返事をすると、あっという間に沈黙が広がってしまった。

 けれど、不思議と嫌な沈黙ではない。


「……あの。殿下」

「なにかしら?」

「どうして俺を、ダンスに誘ってくださったんです?」


 貴方と話したかったからよ、なんて答えじゃ変よね。

 でも、他になんて言えばいいのかしら?


「……貴方が、退屈そうにしていたから」

「え?」


 退屈そうな貴方が懐かしかったの、とは言えない。代わりにどんな言葉を続けようかと思っていたのに、オリヴィエはそれ以上何も聞いてこなかった。

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