第2話 イメージアップ作戦ですわ!

「今日は下がっていいわ。わたくし、少し一人になりたいの」


 そう言ってメイドたちを下がらせ、自室で一人きりになったイレーヌは、ベッドに座って今朝の夢のことを思い出す。


 国民たちは王家を恨んでいて、貴族の中にも王家をよく思っていない人たちがいた。

 そんな貴族たちが裏で隣国と手を組み、革命を企んだ。

 そして、イレーヌは殺された。


「……これを回避するには、どうすればいいのかしら」


 目を閉じ、現状を整理する。

 父である国王は現在、ほとんど仕事をしていない。病弱な父に代わって、公務に励んでいるのは母である王妃だ。


 とはいえ母は、政に全く関心がない。彼女の関心は社交界や流行りの舞台、音楽にばかり向けられていて、仕事は高官に任せっぱなし。


「そして跡継ぎであるわたくしも、贅沢三昧の日々……」


 どう考えても最悪の状況だ。


「問題はいくつもあるけれど、まずわたくしにできることから始めるべきね」


 イレーヌは王位継承者だったとはいえ、実際に政を執り行っていたわけではない。にも関わらずあそこまで国民に嫌われてしまったのは、ワガママ王女という悪評のせいだ。


 14歳の今も、既にイレーヌのワガママっぷりは周囲に知られている。しかし、まだ間に合う。

 なぜなら、正式に社交界デビューをするのは15歳の誕生日からだからだ。


 それまでにとりあえず、イレーヌがするべきことは……。


「イメージアップ作戦、決行ですわ!」





「先生。今日もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますわ」


 ドレスの裾を持ち上げ、丁寧に頭を下げる。たったそれだけのことに、家庭教師であるクロエは目を見開き、驚きのあまり手に持っていた分厚い本を床に落とした。


「まあ、先生。どうかしまして?」


 そしてその本をイレーヌは拾った。


「ひ、姫様……?」

「はい」

「い、今、姫様はなにを……わ、私が落とした本を、拾って……?」

「ええ。どうぞ、先生」


 にっこりと笑って、拾ったばかりの本を差し出す。ひょえ!? となにやら変な悲鳴を上げ、クロエは瞬きを繰り返しながら本を受けとった。


 クロエは、幼い頃からイレーヌの家庭教師を務める女だ。

 侯爵家出身の令嬢でありながら、未婚を貫き、国立図書館の館長を務める才女でもある。


 正直、家庭教師にはもったいない人物だ。そんな才女を強引に家庭教師に任命したのは、イレーヌを溺愛する王妃である。

 王妃の命令に逆らえるはずもなく、クロエはしぶしぶ家庭教師をすることになった。


 それなのに、わたくしは今まで散々な態度で、ちっとも真面目に勉強をしてこなかったのよね。


「先生。わたくし、宿題の件で先生に謝らなければいけないことがありますの」

「……え? は、はい。分かっていますよ。やっていないのでしょう?」

「いえ。やったのだけれど、どうしても分からないところがあって。先日教えていただいたところですのに」

「えっ!? しゅ、宿題をやってくださったのですか、姫様が!?」


 そんなに驚くことないじゃない……とは、言えないわね。

 だってわたくし、一度も宿題をやったことなんてないんだもの。


 勉強嫌いのイレーヌは、出された宿題をやったことは一度もなかった。しかし考えてみれば、それは大問題だ。


 わたくしはいずれ王になる身。それなのに勉強もしない王女なんて、みんなに嫌われるに決まってるじゃない。


 もちろん今だって勉強は嫌いだ。宿題なんてやりたくないし、できることならクロエの授業もサボりたい。


 でも、だめよ。ちゃんと勉強しないと。

 勉強して、わたくしが才女だってみんなに思ってもらう必要がありますもの!


「ええ。先生、わたくし、すごく反省しているんですの。勉強をサボっていた過去のことを」


 跪いて、そっとクロエの手を握る。女性にしては大きな手のひらは硬く、中指には立派なペンだこがあった。


「先生。わたくし、今日から心を入れ替えて頑張ります。ですから……わたくしを見捨てず、教えていただけませんか?」

「姫様……」


 じわ、とクロエの目に涙がたまっていく。懐から取り出したハンカチで涙を乱暴に拭うと、クロエは跪いてイレーヌに目線を合わせた。


「姫様は、勉学において最も必要な資質を持っていらっしゃいます」

「最も必要な資質?」

「はい。それは、自分の過ちを認められることです。……最初から、正解ばかりを選べる人なんていませんから」


 イレーヌの目を真っ直ぐに見つめ、クロエはゆっくりと微笑んだ。

 考えてみれば、彼女の笑った顔を見るのは初めてかもしれない。


 当たり前よね。わたくしは今まで、先生の話をちっとも聞いてこなかったんだもの。

 その上、口うるさいとか、鬱陶しいとか、あちこちで先生の悪口を言ったりして……。


「姫様。分からないところはなんでも聞いてください。私に答えられないこともあるかもしれませんが、その時は一緒に考えましょう」

「先生……!」


 なんだかわたくし、できる気がするわ。

 やればきっと勉強だってできるわよ。だってわたくし、王女なんだもの!


 そうしてイレーヌは生まれて初めて、真面目にクロエの授業を受けた。

 感動したクロエがその様子を周囲に言いふらし、イレーヌの評判は上がった。


 とはいえ。


 イレーヌに勉強の才能があるかどうかは、また別の問題だったのである。

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