第2話 イメージアップ作戦ですわ!
「今日は下がっていいわ。わたくし、少し一人になりたいの」
そう言ってメイドたちを下がらせ、自室で一人きりになったイレーヌは、ベッドに座って今朝の夢のことを思い出す。
国民たちは王家を恨んでいて、貴族の中にも王家をよく思っていない人たちがいた。
そんな貴族たちが裏で隣国と手を組み、革命を企んだ。
そして、イレーヌは殺された。
「……これを回避するには、どうすればいいのかしら」
目を閉じ、現状を整理する。
父である国王は現在、ほとんど仕事をしていない。病弱な父に代わって、公務に励んでいるのは母である王妃だ。
とはいえ母は、政に全く関心がない。彼女の関心は社交界や流行りの舞台、音楽にばかり向けられていて、仕事は高官に任せっぱなし。
「そして跡継ぎであるわたくしも、贅沢三昧の日々……」
どう考えても最悪の状況だ。
「問題はいくつもあるけれど、まずわたくしにできることから始めるべきね」
イレーヌは王位継承者だったとはいえ、実際に政を執り行っていたわけではない。にも関わらずあそこまで国民に嫌われてしまったのは、ワガママ王女という悪評のせいだ。
14歳の今も、既にイレーヌのワガママっぷりは周囲に知られている。しかし、まだ間に合う。
なぜなら、正式に社交界デビューをするのは15歳の誕生日からだからだ。
それまでにとりあえず、イレーヌがするべきことは……。
「イメージアップ作戦、決行ですわ!」
◆
「先生。今日もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますわ」
ドレスの裾を持ち上げ、丁寧に頭を下げる。たったそれだけのことに、家庭教師であるクロエは目を見開き、驚きのあまり手に持っていた分厚い本を床に落とした。
「まあ、先生。どうかしまして?」
そしてその本をイレーヌは拾った。
「ひ、姫様……?」
「はい」
「い、今、姫様はなにを……わ、私が落とした本を、拾って……?」
「ええ。どうぞ、先生」
にっこりと笑って、拾ったばかりの本を差し出す。ひょえ!? となにやら変な悲鳴を上げ、クロエは瞬きを繰り返しながら本を受けとった。
クロエは、幼い頃からイレーヌの家庭教師を務める女だ。
侯爵家出身の令嬢でありながら、未婚を貫き、国立図書館の館長を務める才女でもある。
正直、家庭教師にはもったいない人物だ。そんな才女を強引に家庭教師に任命したのは、イレーヌを溺愛する王妃である。
王妃の命令に逆らえるはずもなく、クロエはしぶしぶ家庭教師をすることになった。
それなのに、わたくしは今まで散々な態度で、ちっとも真面目に勉強をしてこなかったのよね。
「先生。わたくし、宿題の件で先生に謝らなければいけないことがありますの」
「……え? は、はい。分かっていますよ。やっていないのでしょう?」
「いえ。やったのだけれど、どうしても分からないところがあって。先日教えていただいたところですのに」
「えっ!? しゅ、宿題をやってくださったのですか、姫様が!?」
そんなに驚くことないじゃない……とは、言えないわね。
だってわたくし、一度も宿題をやったことなんてないんだもの。
勉強嫌いのイレーヌは、出された宿題をやったことは一度もなかった。しかし考えてみれば、それは大問題だ。
わたくしはいずれ王になる身。それなのに勉強もしない王女なんて、みんなに嫌われるに決まってるじゃない。
もちろん今だって勉強は嫌いだ。宿題なんてやりたくないし、できることならクロエの授業もサボりたい。
でも、だめよ。ちゃんと勉強しないと。
勉強して、わたくしが才女だってみんなに思ってもらう必要がありますもの!
「ええ。先生、わたくし、すごく反省しているんですの。勉強をサボっていた過去のことを」
跪いて、そっとクロエの手を握る。女性にしては大きな手のひらは硬く、中指には立派なペンだこがあった。
「先生。わたくし、今日から心を入れ替えて頑張ります。ですから……わたくしを見捨てず、教えていただけませんか?」
「姫様……」
じわ、とクロエの目に涙がたまっていく。懐から取り出したハンカチで涙を乱暴に拭うと、クロエは跪いてイレーヌに目線を合わせた。
「姫様は、勉学において最も必要な資質を持っていらっしゃいます」
「最も必要な資質?」
「はい。それは、自分の過ちを認められることです。……最初から、正解ばかりを選べる人なんていませんから」
イレーヌの目を真っ直ぐに見つめ、クロエはゆっくりと微笑んだ。
考えてみれば、彼女の笑った顔を見るのは初めてかもしれない。
当たり前よね。わたくしは今まで、先生の話をちっとも聞いてこなかったんだもの。
その上、口うるさいとか、鬱陶しいとか、あちこちで先生の悪口を言ったりして……。
「姫様。分からないところはなんでも聞いてください。私に答えられないこともあるかもしれませんが、その時は一緒に考えましょう」
「先生……!」
なんだかわたくし、できる気がするわ。
やればきっと勉強だってできるわよ。だってわたくし、王女なんだもの!
そうしてイレーヌは生まれて初めて、真面目にクロエの授業を受けた。
感動したクロエがその様子を周囲に言いふらし、イレーヌの評判は上がった。
とはいえ。
イレーヌに勉強の才能があるかどうかは、また別の問題だったのである。
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