第9話 戦国時代の生死観
転生して1年が経った。
マサヒロはこの一年、竹中半兵衛としての将来に備え、まずはこの時代の生活様式、価値観、文字を学ぶことに注力してきた。
この「戦国時代」と呼ばれる時代を一年過ごして、分かったことがある。
それは、"死"というものが現代と比べ物にならないほど身近に存在している、ということである。
というのも、人があまりにも簡単に死ぬ。
週に一度はどこぞの集落のだれだれが死んだ、と報せが入るのが当たり前となっている。
そのくらい、死というものが日常に溢れている。
転生前は、「戦国時代は戦によって人が多数死ぬのであろう」と思っていたが、実際は違った。
最大の死因は戦ではなく病死である。というか、風邪である。
風邪で人は簡単に死ぬ。
理由は単純で、薬がない。
正確には、抗生物質がないからである。
"風邪"ごときで死ぬなど現代では全く考えられないが、この時代において何故風邪が死を招くかを順序立てて整理してみると、
まず、この時代の人々は食料不足により慢性的な栄養失調の状態である。よって、免疫力が低く、風邪をひきやすい。さらにいったん罹ると悪化しやすく、高熱がでる状態になりやすい。
事実、マサヒロも風邪をこじらせ、高熱と咳に二週間苦しんだ。
現在ならば、解熱剤と咳止めで簡単に対処できるが、そんなものはこの時代に存在せず、おかゆと睡眠だけで治癒しなければならない。
加えて、衛生状態も劣悪なため、細菌感染は日常茶飯事である。
つまり高熱により身体が弱まっているところに、細菌感染がおこり、結果、肺炎になるのである。
現代ならば、肺炎には抗生物質を飲むのが効果的であるが、この時代にはそんなものはない。
つまり、肺炎になった場合、薬ではなく自力で直さなければならない。
が、食料事情が良くないこの時代に、肺炎を自力で克服できる者はごく限られている。
よって肺炎が長引くことにより、肺が損傷を受け、呼吸が困難になり、最終的に命を落とす。
これが風邪で簡単に人が死んでしまう典型的な流れである。
マサヒロが高熱を出した時は、運よく肺炎にならずに済んだが、それ以降、マサヒロは体調管理には極めて慎重になった。生水は絶対に口にせず、可能な限り多様な食材を摂取するよう努めた。
ただ、それでも自身を死に至らしめるかもしれない"単なる風邪"を100%防げるわけもないので、抗生物質に近しいものを摂取できないか、真剣に悩んだ時期もある。
抗生物質はアオカビからできていることは知っていたので、食品に生えたカビをじっと見つめ続けた時期があった。
が、相変わらずの"奇行"と周りから見られることに弟と幸から苦情があり、さらに、さすがにカビの生えた食べ物を食べる勇気もなかったので、抗生物質の摂取の試みはあきらめた。
死が身近である一方、生もまた身近である。
一週間に一度はどこぞの集落のだれだれが死んだ、との報告が入るとともに、どこぞの集落のだれが子を産んだ、との報告もそれ以上に入る。
ただし、出産の報告に対する喜びの意味合いは、現代とはまったく異なる。
なぜなら、死者の数に対して出生数が少ないということは、自身の死を直接意味するからだ。
その背景にあるのは、労働力の低下である。
具体的に言えば、死亡数に対して出生数が少ないということは、集落の人口が減少していることを意味し、すなわち農作業に従事する家族や集落の労働力が減ることを意味する。
結果として、将来的には収穫量が減少し、最終的には食料が枯渇する。それはすなわち、自身の死を意味する。
よって、出産はもはや自身の生存に直結する死活問題である。
子をなすという行為は、生きるために不可欠な労働力の確保であり、現代のような個人の選択や希望によるものではない。
むしろそれは、集落全体が過酷な生存環境を生き延びるための切実な手段なのである。
このように、この時代における「多産」は、労働力の確保という明確な目的を持った、極めて現実的で切迫した行動であった。
「死が身近である」とは、単に物理的な意味にとどまらず、精神的にもそうである。
具体的には、この時代に生きる人々は、「一年後に自分が生きている保証がまったくない」という、現代人には到底想像もできない不安を常に抱えて生きていた。
その最大の理由は、食料供給の不安定さにある。
この時代において、生きるために不可欠な食料である米は、基本的に集落や領地内での自給自足によってまかなわれていた。
しかし、もしその年に災害や異常気象などで米が収穫できなかった場合、翌年には飢饉が訪れ、その先には逃れようのない「死」が待ち受ける。
もはや避けようのない未来が、明白なかたちで迫ってくるのである。
それに直面したときの人間の恐怖は、筆舌に尽くしがたい。
そうなれば、残された手段はただ一つ。
食料のある場所から奪うこと、すなわち略奪である。
だが、略奪といっても、相手もまた死に物狂いで自分たちの食料を守ろうとする。戦いにおいて守る側が圧倒的に有利である以上、略奪は極めて危険な賭けであり、成功の可能性は低い。結果として、命を落とす確率は非常に高い。
だからこそ、食料を安定的に確保できる環境を求めることは、単なる願望ではなく、生存本能に根差した切実な行動となる。
領地の経営が優れ、食料が不足しないよう管理できる領主のもとに身を寄せたいという願いは、現代人には想像もつかないほど強いものだった。
一方で領主にとっても、より大きく強い組織、すなわち国に属していれば、外敵から略奪を受けにくくなる。
また、仮に自領の食料が不足しても、他の領地からの補助を受けられる可能性がある。その代償として、納税と、戦時の軍事参加が義務づけられていた。
このように、「一年後、自分が生きているかどうか分からない」という極限の状況にあっては、それならばいっそのこと、戦で大きな功をたてる命の賭けにでようとする心理状態も、決して異常ではなく、むしろ自然な選択として理解できる。
そんな熾烈な生存環境の中で、マサヒロは淡々と集落の経営に努め、着実に成果を上げていった。
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