第31話:再創作の終わり、私の始まり

 最終話を投稿してから、数日が経っていた。

 時間がゆっくりと進んでいるような、あるいは止まったままのような、不思議な感覚の中で、あかりは毎日を過ごしていた。


 《風のあとで》という物語は、もう彼女の手を離れた。

 そのことが、どこか現実味を帯びず、遠い夢の中の出来事のようにも思えた。


 けれど今、ノートパソコンの前に座り、あかりは新しいファイルを開こうとしていた。

 新しい物語を書くためではない。

 まずは、自分自身と向き合うために。


 《風のあとで》の再構成――

 始まりは、秋葉翔吾が残した断片だった。

 AIが出力した原稿、大学時代の会話、喫茶店の風景、削除されたファイル、そして見知らぬアカウントからの返信。


 すべてが他人の痕跡のようでいて、でも確かに自分の中で“残響”を響かせていた。


 最終章を書き終えたとき、あかりは思った。


 (これは、もう秋葉くんの物語じゃない)


 もちろん、彼の原型があった。

 彼の言葉がなければ、書き始めることさえできなかった。


 でも、最後の結末。

 “彼”と“彼女”が交わしたあの会話。

 あの風の描写、沈黙の呼吸、視線の余韻――


 それらはもう、あかり自身の感情で綴られていた。


 書きながら泣いた。

 書きながら笑った。

 書きながら、何度も言葉を置き直した。


 彼の声に引っ張られながら、

 それでも“私の声”で語ると決めた物語だった。


 AIが出力したものではなく、記憶の再現でもない。

 誰かのために書くのでもない。

 ただ、自分が“感じてしまったこと”を、そのまま言葉に変えた。


 だから今、ようやくわかる。


 《風のあとで》は、秋葉翔吾の未完だった。

 でも、書き終えた《風のあとで》は、柚木あかりの“始まり”だった。


 彼のために書いたと思っていた。

 でも、そうじゃなかった。


 自分自身が、自分の声を取り戻すために必要だった物語だった。


 あかりは、キーボードに手を伸ばす。

 新しいファイルを開く。

 タイトルは、まだ決めていない。

 登場人物も、舞台も、何も決まっていない。


 でも、たしかに分かっていることがひとつある。


 次に綴る物語は、《風のあとで》の延長線ではない。

 “自分の名前で始まる、初めての物語”になる。


 あかりは、小さく微笑んだ。


 風が止んだあと、

 ようやく、自分の足で立てた気がした。


 彼がいなければ、きっとここまで来られなかった。

 でも今、自分の言葉を信じていいと思える。


 書くことは、誰かに出会うことだった。

 そして書き終えることは、そこから離れるための準備だった。


 だからこそ――


 あかりは新しい一文を、迷いなく書き始めた。


 これは、誰かの模倣ではない。

 私が選んだ言葉で語る、最初の物語。


 風が吹き抜けたあとに残ったものは、空白なんかじゃなかった。

 それは、はじめて“自分の声が響いた”という証だった。

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