13-2. 四面楚歌


「別に場は温まってない」

 その隣に座り直した梟は、煙草に火を点けている。

 みちるは梟へ顔を向け、何度か瞬きを繰り返す。その真っ直ぐな眼差しは、梟に何かを問いかけるようだった。

 唇を薄く開け、口から息を小さく吸ってから、みちるは言葉を吐き出した。

 

「サバちゃん、自分の首を差し出すつもりでしょ」

「首を差し出す、ってどういう意味の慣用句だ?」

 みちるの口から出た言葉は、梟が知らない組み合わせだった。

 そこから、みちるの母語である日本語で使われる言い回しだろう、と察した。

 

「自分の命を差し出す、って意味」

 みちるはそう言ったあと、かつての日本のいくさは敵将の首を持って行くものだったから、とやや語弊のある説明をした。

 

「俺が出頭して新国家が安定するなら、それでいい」

 梟は唇の端から薄く煙草の煙を吐く。

 

「だが、俺が死んでも安定はしない」

 溜め息が出そうになるのを必死で堪え、みちるに気づかれるのを防ぐ。

 

「旧リエハラシア側だけが悪と見做みなされれば」

 梟の中では、言葉として「悪」と出すのも、本当は釈然としない気持ちがある。

 だが、その感情には蓋をした。

 

「このまま内戦の火蓋が切られる可能性すらある。……それが狙いかもしれないが」

 長年、戦争を続けてきた国同士を一つにしたところで、火種自体が消えたわけではない。

 焚き付ければ、いくらでも燃え上がる。その小さな火を消すも燃やすも、そこにいる人間次第だ。


「ここでまた、内乱状態に逆戻りさせたくないんですよね」

「当たり前だ」

 みちるが打つ相槌に、梟は大きく一回頷く。


「そのために……命を差し出すの?」

 口元には笑みを湛え、穏やかな声で尋ねるみちるだったが、握り締めた拳は震えている。

 平静を装って、梟の意図を聞き出そうとしている。

 

「人を揺さぶる方法は、いつだって感情絡みだ」

 梟は煙草の灰を、床へ振り落とす。心許なく散っていくその様は、まるで自身のようだ、と感傷的にもなる。

 

「始まりは、一人の人間の死。肝心なのは、が、そこに転がっていることだ」

 冷静になろうと必死なみちると違い、梟は至って平然としていた。

 諦めるでもなく、恨むでもなく、淡々と言葉を続ける。

 

「俺が死んだ後に、証拠が捏造だったという反証を流す。アリスのに、それを頼んでおいた」

 この廃村へ向かうと決めて歩き出した時、すでにライオニオへ連絡を入れていた。

 

「そうすれば、国内世論、国際世論は反転する」

 淡々とした梟の言葉に、みちるはぐっと唇を噛む。

 

 みちるが言葉を挟もうとしたが、梟が先に口を開いた。

「旧クルネキシア首脳部を打ちのめす、最高のアイディアだ」

 梟はそう言うと、煙草を口に咥える。みちるはその動きをじっと見つめていた。

 

「……だろうと思った」

 目を伏せて呟いたみちるの声は、低く掠れていた。

 

「だろうと思ってたけど、いざ言われると、メンタル抉られるね」

 みちるは顔を俯かせる。

 自嘲気味の言葉は、なんとか軽く笑い飛ばそうとしている。

 それとは裏腹に、膝の上の拳は震え続けていた。

 

「悪かったな」

 謝る必要はないのに、と思いながらも、梟は謝罪を口にしていた。

 

「死んだふりじゃなくて、本当に死ぬつもり?」

 みちるが浮かべる作り笑顔の中には、困惑も混じっていた。

 

「どうやって死を偽装する?」

「あなたは身元を証明する記録がないんだから、簡単ですよ」

 試すように聞き返した梟に、みちるは食い気味に答えた。

 

「死体を一つ用意して、爆弾か何かで木っ端微塵にする。あなたに纏わるものを、その周囲へばら撒けば終わり」

 みちるは、説得しようとしているのか、梟に向かって前のめりになって語りかける。

 

 みちるが言う方法で、死を偽装するのは可能だろう。

 梟の身元を確認する情報は、残っていない。

 梟が特殊部隊に所属した時、旧リエハラシア軍は経歴を抹消したのだ。


「それはいいアイディアだ」

 梟はそう言うと、煙草を深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。時間をかけ、視線を宙に向けている。

 

「国家安全管理局に、俺の部下がいなければ、の話だが」

 連絡の途絶えた、国家安全管理局で部長職に就いている、梟のかつての後輩。

 梟の後輩、つまりは元リエハラシア軍、それも特殊部隊に連なる組織にいた人間だ。

 

「俺が教えてきた後輩は、それくらい簡単に見抜く。俺が任務で死んだら、後釜に座る予定だった男だ」

 一番手強い敵は、味方だった相手――みちるも梟も、それは痛いほど理解している。

 

「……その後輩さんは、私たちの協力者ではない、と?」

 みちるの瞳は震える。

 唾を飲み込んでから、ゆっくりと言葉にする。

 

「今現在、手を貸してもらっていない。連絡もつかない。拘束されているのかもしれないが、どちらにせよ、役には立たないということだ」

 梟は、後輩が味方ではない可能性を仄めかす言い回しをする。

 それを汲み取ったみちるは、作り笑いを消して真顔になる。

 

「おまけに、アリスは拘束された。アリスの連れも、いつまで動けるか怪しい」

 梟は燃え尽きかけた煙草を床に押し付け、深いため息をつく。

 

「まさに、四面楚歌」

 みちるは日本語で、ぼそりと呟いた。

 

「また、よくわからないたとえを出してきたな」

 梟が眉間に皺を寄せ、聞いたことのない言葉に困惑していると、みちるは梟の目の前へ向き合うように座り直す。

 

「あなたは死なせない。安心して」

 真っ黒な瞳に映る、梟の姿はどこか朧げだ。

 みちるは力強く、語りかける。

 

「絶対に、こんなくだらない策略は、ぶっ潰してやる」

 くだらない策略というのは、梟をテロリストであり戦犯だとして追い込もうとしている旧クルネキシア首脳部の思惑を指しているのだろう。

 だが、自身の考えのことも指している気がして、梟の神経をざらりと触ってくる。

 

「諦めの悪いヤツだな」

 みちるを宥めるために、梟はわざと吐き捨てる。


「それだけが取り柄だから」

 それに対し、みちるはニコッと笑った。目を細め、瞳を見せないようにする笑い方で、感情が見えなくなる。

 ただの作り笑いよりも厄介な笑い方だ。

 

「私たち、悪運だけならありますから」

 みちるは服のポケットから、チョコレートを取り出すと梟へ差し出す。

 

「運頼みとは情けない」

 チョコレートを受け取った梟は、肩を竦める。

 受け取ったチョコレートの包装の、ひんやりとした感触が指先に伝わってくる。

 包装の材質のせいか、気温のせいかはわからないが、その冷たさが、現実を思い知らせてくる。



 

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