九十九物語
レガシイ
第一幕 裂けて通れぬ私は誰か?
一幕目 裂けて通れぬ私は誰か
皆さんは、百物語をご存知でしょうか?
百の怪談を語り終えると、本物の怪が現れるという、この世ならざるものを喚ぶための儀式。
ですが、語らずとも今貴方の立つそこが現世か幽世かなど、誰が証明できましょうか。
果たして、貴方の横の人物は本物の友達ですか?
過去の記憶はどこまで鮮明にありますか?
本当に、貴方は人間ですか?
怪談を…最後まで語ったことはありますか?
私達は、九十九に憑くモノ露すら知らない。
恐ろしい、百怪談を。
「てわけで、百怪談だって!知ってる?知らないよね!?白ちゃんは!!」
薄っすらと紅くなった日が差し込む教室の窓際。ガラスという不自然が通して差し込む自然の光は、普段の教室を幻想的な世界へと一時的に変化させる魔法のようにも思える。そんな教室の中で快活にも上がる声。背丈は小さく、二つに編まれて染められた金髪が特徴的な女子高生の
「…百物語は知ってるし、その上で興味はないかな。全部作り込まれたホラ話にしか思えないし」
「えー、最近流行ってるんだよ百怪談。ホントに興味無いの?人魂は?塗り壁は?一反木綿は?」
「蛍の光、石膏塗りたての壁、白い反綿が風で飛んでいったのを見間違い。ていうか、チョイスが古いよ。何時代の人間?」
水琴の親友、
そんな彼女が放課後に勉学で残っているのは、水琴の頭が下から数えたほうが早いほどに残念で、一週間という短い猶予で単位を落とす寸前の親友の成績を無理矢理上げるためである。
「うー…だって、勉強もう飽きたんだもん!眠いし!私病み上がりなんだよ!?」
「風邪を引いたのは不運と思うけど…飽きたもなにも普段勉強しないからだよ。眠いのも昨日夜更かししたからでしょ?ほら、また同じ所間違えてる」
「もうヤダー!」
白の厳しく正しい意見に、勉強が得意ではない水琴は机に突っ伏して泣きながら叫び声を上げる。
「あら二人共、今日も残って勉強?」
二人の声しか響かぬ教室に、新たな声が入る。二人の共通したもう一人の親友、
「お疲れ様。でも、もう終わるところだよ。そろそろ帰らないとスーパーのセールに間に合わないし」
「意外と庶民的なのが白の可愛いところよねぇ」
「これで財力まであるんなら私は白ちゃんを呪っちゃうもん」
「変に怖いこと言わないでよもう…。じゃあ、私は帰るから、ちゃんと間違えたところ復習してね?」
「えー…はーい…」
短いやり取りの後に白は苦笑いして帰ろうとするが、その際に六華が呼び止め、彼女は足を止める。
「そういえば白、帰り道は気をつけなよ。なんかコート着た大っきい不審者がいるんだって」
「…なにそれ?」
「なんでも、布が巻かれた大きな板を持ってうろついてるらしくて、近くの小学校から通報が入ったらしいよ。西区って白の帰り道に近いでしょ?変な人にはついて行っちゃ駄目だからね?」
外の夕日は沈み始めており、六華の茶色がかった髪が夕暮れに暗く反射する。日が傾き始めてることもあってか、不審者の情報と合わせて母親のように白の身を心配し、二人はいつものように白を見送る。
「それくらい分かってるよ、大丈夫だって。じゃあ、二人共お疲れ様」
「バイバーイ」
「また明日」
後ろ手に手を振る白の後、残された二人は彼女を思い、それを言葉にする。
「少しくらい頼ってくれてもいいのになー。私達、白ちゃんのためならいくらでも力を貸すのにー」
「…仕方ないわ。借りを作るのが苦手な子だもの。頼られるまで、私達は陰から応援しましょ。ほら、今度は私が教えてあげる」
「えー…白ちゃんの方が優しいんだけど…」
「…みっちり、厳しく教えてあげるから覚悟なさい」
「横暴だー!」
二人の会話を少しだけ聞いていた白は、内心気持ちを弾ませる。学校で唯一、心を許せる二人の親友。学校から出る時、何か日頃のお礼でもしようかと思考の端で考えながら、人気のない夕暮れの道を歩きだす。
(こっちの方が近道だな…、)
「嬢ちゃん、そっちの道はやめときな」
「?…うわ、不審者」
「誰が不審者だ。こっちは善意で言ってんだぞ」
スーパーのセールに間に合わせるため、普段とは違う近道をしようとすると、突然渋い声で呼び止められ、今しがたすれ違った声の正体を確認する。
季節は夏の盛り前。だと言うのに暑そうなコートに、何故か夕日が特段目に入る訳でもないのにサングラス、彼の背には大きな上背の半分程の大きさで、布に巻かれた板状の荷物。
彼女の頭によぎるのは不審者の三文字と六華の忠告。
「…こんな季節の夕暮れに、サングラスかけたコートの大男なんて不審者にしか見えませんけど。何か変なの持ってるし」
「これは…そう、でかいチョコだし…目は…ほら、夕日が眩しいだけだし…」
「今何月だと思ってんの?」
呆れるほどの適当な嘘を吐く不審者を前に、あまりに通報や悲鳴を上げるといった普通の女子高生の反応が出来ない白。思わず時間を取られたことで苛立ったか、声を荒げてしまう。
「下らない、もう行くから。他の人に通報されないうちに、そういうの辞めたほうがいいよ」
男は明らかに分かる適当な嘘を吐き、白を引き止めようとしたが、今の彼女は時間に追われる身。不審者の相手をしている暇はなく、自慢の脚力で止められた道を走り出す。
「どうしても行くなら止めはしない…ってもう行っちまいやがった…?」
彼の右手には手書きの陰陽文字が記された札。文字は水が滲んだようにぐしゃぐしゃだった。しかし、それを深く気にとめること無くクシャリと握り潰して彼はボソリと呟いた。それが…怪異の予兆だと、疑うこともなく。
白は疲れない程度にステップを軽く、いつもの近道を身軽に速く駆けていく。
タッタッタッ
(もう暗くなってきた、セールは…このままいけば間に合うかも)
住宅街だが、人通りと街灯は少なく路地が多い道。
そんな道を彼女は走る。いつも通りでは無いにしろ、何度か通った近道のはず。なのに、一向に頭の中のナビが先程曲がってきたY字路から次のルートを示さない。
(…?こんなに長かったかな)
違和感を覚えた彼女は徐々に走る速度を落とし、歩き始める。いつも鞄につけている、祖母からもらった鬼灯の簪がチリンとなる。
「おかしいな…何処かで道を間違ったかな…」
『ねぇ…』
「?…うわ、また不審者…」
夕日が本格的に傾き始め、いつも通る道の街灯が目を覚まし始め、道を標していく。再び、コートを着た大きな人物と街灯の下で通すれ違う。その人物は真っ赤なコートで、一般よりも少し大きなマスクをつけた背の高い女性。そしてそれは、不思議と彼女の目を引いた。
度重なる不審者との遭遇に呆れ返る白、しかし何故かその場から立ち去れず、目を離せなかった。
『私…キレイ?』
「え…と。綺麗なんじゃないですか?マスクが大きくてよく分からないけど、多分目元もパッチリしてるし…」
白を呼び、質問した声は低い女性のもの。空気が淀み、彼女は自身の気付かないうちに冷や汗を流している。気付けば、学校を出てからそう時間は立っていないにも関わらず、白の視界の限り、辺りはもう暗い。どことない恐怖感の漂う、夜の時間が始まりかけている。
そう、鬼灯白は魅入られてしまった。
『本当に…?じゃあ…これでもぉ…??』
ガバッ
「?…!?」
マスクをしていた女は、ゆらゆらと不定に動きながらそれを外し、自らの顔を白にはっきりと見せる。
最初こそ、距離のせいで見えなかった顔は目を凝らすことで耳まで大きく裂け、生傷のように血の滲む惨たらしい顔がはっきりと顕になる。
この世ならざるモノというのが一目にして分かるその異形の顔。一言で表すのならそう、"口裂け女"の姿。
「…ぁ…」
白はあまりの光景に動揺して一瞬動きが止まる。その僅かな数秒、口裂け女は十メートル以上はある距離を一足に詰めて再び同じ質問をする。
『ねぇ、私、キレイ?』
「ッーー!!」
生まれて初めての恐怖に指一本動かせない白。僅かな希望であったソレとの距離も、硬直の隙にじりじり詰められ無くなり、女に首を掴まれ、反射的に目を瞑ってしまう。その時、男の声が耳元で響いた。
「だから言ったろ、こっちの道は危ないって」
「わっ…!?」
白の後ろに現れた先程の男は、白の後ろ襟首を掴んで引き寄せて口裂け女の腕を回避し、お札を向ける。
「うげ、まじかよ」
男の向けた札は、殺気を向けてきた口裂け女によって焦がされ瞬時に煤と化し、ほんの一瞬の足止めにしかならない。口裂け女の先程までの嬉々とした顔は一転、表情を歪ませる。人型だからこそ解るその像。憤怒の表情で男に襲いかかり、男の腕を明らかな人外の力で掴み、メキメキと音を立てて骨を軋ませる。
「やっばっ」
ドンッ
男を掴んだ口裂け女を、辛うじて身体を動かした白が壁に向かって蹴り飛ばし、異形のソレは鈍い音を立てて狙い通りに壁にぶつかり一瞬停止する。華奢な少女からは到底放てるとは思えない蹴りに男は一瞬驚くが、立ち上がって彼女の手を取り、走り出す。
「良いぞ!走れ!!」
「ちょっ、待っ…!」
ゴトンッ…
身体を動かすまでに無理やり思考を繋げた白。だというのに、その事情もお構いなしに男は手を取って走り出す。余裕の無い現れか、男は背負っていた長方形の荷物を落としてしまう。
「ねぇ!待って!待ってってば!」
白の手を取り、最初のY字路まで二人は走る。道は変わらずとも距離の概念が狂うことは無いようで、女の姿は遠ざかる。男が一瞬横目にした彼女の表情は男から見て不安げで、額や首筋からは冷や汗が流れている。その姿は、彼女が抱いている恐怖感を理解させるのに難しい思考はいらない。
「ねぇ!なんで!?」
「この辺で良いか…」
止まろうとした男の手が緩み、白は乱暴に手を振り払って止まる。
直後、男は煙草に火をつけて煙を白に吹きかけ、睨みつける彼女を落ち着かせるために理由を簡潔に話す。白の焦りを緩和するため、極めて静かに、そして冷静に、壁にもたれかかって男は語りだす。
「ゲホッゲホッ…ふざけないでくださいよ!」
「焦るな、コイツは"魔除け"だ。煙草の煙を'語り怪"は嫌い、吹かしてる間は認識を阻害する。ま、要するに俺から離れるなってこと」
「さっきから魔除けとか女の人のお化けとか!貴方もアレも!一体何なの!?」
「それも含めて、詳しい説明は省くが話してやる。まず、奴等は"語り怪"《かたりげ》。この世に蔓延る"怪談の具現化した姿"だ。そして、俺は
「だったら…!専門家だって言うんなら、早くなんとかしてくださいよ!」
鏡の冷静な態度を見て苛立った白は、いつもの凛とした態度を保てずに"専門家"の言葉に強く反応し、鏡の腕を掴んで声を荒げる。
「そんな簡単な話じゃねぇ、俺は戦えないんだよ。取り敢えず落ち着け、な?必ず無事に帰してやるから」
「……」
声を荒げることこそ無くなったが、反対に今の状況をジワジワと理解し、言葉と表情を失う。常人ならばその場で発狂してもおかしくない怪異との遭遇、鏡は白に余計な不安を与えないように言葉を選ぶ。
「話せなくても黙れりゃ充分、そのまま聞け。まず、お前はアイツに"憑かれた"んだ。何もせず逃げ切るのは不可能と思ったほうがいい」
「そんな…」
「しかもこの空間は日が沈んでる、"外"はまだ夕暮れ前だろうが、この道路と時の流れが違う。これ以上時間をかければ現世もこの幽世も本格的に奴の狩り場だ。アイツは"口裂け女"。有名な都市伝説だ、知ってるだろ?」
「足が早かったり…捕まるとどこかに連れて行かれたり、ポマードが効いたり…」
白は投げかけられた問を、手繰るようにして自らの記憶の引き出しを開けて答える。聞き慣れない言葉と非科学に怖じけながらも、彼女は少ない理性を全面に努めるが、焦りと動揺は隠せない。
「最後のは信じるな。とにかく、捕まらないように俺等は逃げながら落とした"道具"を取り戻す。甘く見積もっても可能性は五分ってとこだな…地味にヤバいなこりゃ」
冷や汗をかきながら少しづつ焦りを見せる鏡。白の記憶にある板状の大荷物。それこそが現状を打開する方法と知る。
「私は…憑かれてるんだよね」
「そうだな、だから俺から離れるなよ。いざって時に守れない」
「いえ…二手に別れましょう、貴方は道具を取りに行って。私が囮になる」
「…正気か?命をなげるほど恐怖にやられちゃいないように見えるが」
「貴方の言う語り怪?が話の通りの怪異なら、アレの質問に答えてない私は、まだ狙われてる途中ってことでしょう?だったら…これが最善のはず」
(!そこまで解するか…ぶっちゃけ当たりだ。しかも確率もこっちのが高い。だが)
「却下だ。命は数字に置き換えられんこれは確率論じゃないからな」
強く止める鏡とは裏腹に、拳を握りしめて覚悟を決めバッグにかけてある簪を取って頭に挿して彼女は逃走の態勢に入る。
責任感が強く、効率を求めた結果の圧倒的な合理的判断。二人の意見がぶつかる中、それを割くように口裂け女が遠くから足音を立てる。耳で判断できるその強い足音の次に、見て速いことが分かるように長い髪を走る風でなびかせながら走ってくる。
『ミツケタァ』
「…話しすぎたか。一旦距離を…!?おい!馬鹿な真似は止せ!!」
バシンッ!
鏡は白の手を引いて走ろうとするが、彼女は鏡の意見を無視して手を振り払う。そして意を決した表情で一歩前に踏み出し、学校の鞄を口裂け女に投げつけて気を引く。
「ッのっ!大馬鹿野郎!!」
注意を引き、鏡の走り出そうとする方とは反対へ全力で走っていく。苦渋の決断のため、鏡は大きな歯軋りを立てて白に委ねる。
『こタぇてくレなィのぉ?』
「んぁぁああくそっ!ざけやがって…!!」
(こうなりゃ速攻"怪収"するしかねぇ!スピード勝負か…!こんなことなら煙草控えればよかったなぁ!)
鏡の言葉と姿を無視した口裂け女は質問に答えず、自らに明確な危害を加えた白に再び狙いを定める。地鳴りを響かせながら追いかけ、鏡は反対の道を一周して例の道具を取りに行く。幸いなことに、白は最初の賭けに勝ったらしく、ループしているのはあの一本道の先だけのようで頭のナビは正常に働く。
タッタッタッ
ダダダダダ!!!
(この道なら、私が向こうに着く頃には回収できてるはず…!)
しかし、いかに足が速い白といえど、相手は人間ではなく人知の及ばぬ語りの怪異。今にも地面を踏み砕きそうな、力強すぎる足音で白に近づいていく。圧迫感と緊張感で白は押しつぶされそうになりながらもその足は止められない。もし止めてしまえば、そこにはノンフィクションの"死"という文字が待っている。
(さっきよりも速い…!)
『モうゥぅ!マってェぇ!!』
「!?」
ズパンッ…ズルッガララ…!
口裂け女はハサミをどこからか取り出し振るう。白は窮地に立った人間の勘か、真横に飛びこんでギリギリそれを回避する。口裂け女がハサミを振るった先の塀は、おおよそ工具の範疇から外れた威力を伴い、斜めに斬れて崩れる。それを目の当たりにした彼女はよたつきながら立ち上がり、脚に鞭を打って走り出す。
「はぁっ…はぁっ…!」
いくら健闘しても、所詮は人間の女子高生。ハサミを振るいながら走る口裂け女の速度は下がることなくむしろ上がり続け、距離がどんどん詰まっていく。後ろに付かれる頃には白の足は限界を迎え、肩で息をし、恐怖と焦燥で無理矢理身体を動かしている状態だった。
「わっ…!」
後ろから地面に大きく縦に斬撃。足に掠り、血を流して白はよろめき、右足から崩れる。振り向いてしまってはもう立てないと分っていながらも、"確認"という、日頃から行い、身についてしまっている行動を中断できなかった。
「ぁ…」
『ワタシ、キレイ?』
口裂け女は、圧倒的な存在感で地面に膝をつく彼女の目の前に立ち、目線を合わせるように、それでいて自身から伸びる影で包み込むように屈み、同じ質問をその狂気の笑顔で投げかけた。
ギヂヂヂッ…!
「あ"…あ"が…ッ!」
『ねぇ…私、キレィイィ?』
口裂け女は答えを待たずして、腰を抜かして座り込んだままの白の首を左手で掴んで持ち上げ、右手のハサミを首筋へ向ける。冷やりとした鋭い金属特有の冷たさで、白の恐怖の意識はハサミに一気に集まる。せめてもとハサミを掴んで抵抗するが、その人外たる膂力に押されてハサミはどんどん首筋へと近づいていき、確実に彼女の首を…いや、口を裂こうとする。
ググググッッ
(ふッ…ざけんな!!ふざけんなふざけんなふざけんな!!!)
「このッ…!」
『ァァアア!!ナンデ!?ワ"タ"シ"ハ"ァ"ァ"ァ!!』
「ァ…が……」
グヂャッ
鋏を持つ手首に込める力を解き、最期の抵抗に精一杯の怒りと共に口裂け女の顔面を殴りつけようと拳を突き出すがそれは叶わない。
鋏が首元をかすり、鮮血が首筋に伝う。
しかし、抵抗の意志を強く見せ、質問に対する回答のない彼女に口裂け女は苛立ったのか、低音でありながらも甲高い悲鳴を上げる。黒板を爪で引っ掻くような不愉快さと不気味な咆哮は日の暮れた街に木霊し、同時にそれを掻き消すほどの痛々しい打撃音で白を壁に何度も叩きつける。
やがて響いた生々しく、粘性のある液体が飛び散る音。彼女の後頭部には、放射状に赤黒い血液が飛び散り、腕はダラリと力なく重力に任せていた。
最期のトドメと言わんばかりに、口裂けは再び鋏をどこからともなく取り出す。
「おいクソブス女ァ!!!こっちだ!!」
(ちくしょう!まだ準備が終わってねぇのに!!)
……ギギギッ…!
(くそっ、やっぱり俺は魅入られてねぇ!今からでも間に合うか!?)
白が殺されかけるのを見て、道具を手にした鏡は咄嗟に助けに入ろうとする。しかし、口裂け女は質問の対象としていない鏡を一瞥し、白の口元にハサミを近づける。自らにヘイトが向かないと分かった鏡は、現状を打破する唯一の術の準備を進めるために道具を取り出す。
(間に合え間に合え間に合え!!)
『一緒、一緒!!私ぃ!!キレ…イ…!?』
ゾヮッ
「『?』」
………ガダガダガヂガヂガヂ!!
鏡はどこからともなく滝のように汗が吹き出し、鳥肌が全身を走る。それは口裂け女も同様で、歯をガチガチと鳴らし、まるで獅子を前にした小動物のように怯える。口裂け女は白の首を掴む左手にさらに力を込めるも、その柔らかな女性の肉は締まらない。それどころか、自らの首が締めつけられるような幻覚さえみせるその殺気に、恐れられる存在であるはずの彼女は恐怖し、戦慄する。
(あれは…角か…?)
俯いていた白の額に、黒い影のようなものが集まり、一本の赤い角が生成される様に生える。そして先程まで地面を見つめていた顔は突然上がり、口裂け女をその双眸で見据え始める。その目はまるで先程までの夕暮れが集まったかのように、否、それよりももっと深く、紅に染まっていた。
明らかに異常な様子の彼女は鋏を掴み、軽く力を込める。
バギンッ
『ヒィッッ!!?』
いとも容易く、まるで焼き菓子を割るように、掴んだハサミを砕き割る。同時に、反対の腕で首にかかっていた口裂け女の手首を掴む。
『ッ!ハナッ、ハナセ!!』
クシャッ
『ア"ッア"っ"ア"ァ"ァア"ア"!!!』
(何だ!何が起きてる!?)
軽い握りで、薄い紙を丸めるように腕を破壊してしまう膂力に加え、その場にいるだけで全身の細胞が悲鳴をあげる重圧。口裂け女は手を離して悲鳴を上げ、状況は完全に一転した。当の白は立ち尽くし、その様子を怪しく光る紅の双眸で傍観している。まるで理解させることを考慮しないその絵図を前に、鏡は状況が飲み込めないながらも己のすべきことを実行する。
1メートル弱程度の姿見を取り出して口裂け女へと鏡面を向ける。そして一呼吸置き、口裂け女に向けて彼は"語る"。
(考えるな!とにかく今は奴を【怪収】する!)
「…百怪談が
『ヒィィッ!?』
鏡が取り出した"姿見"に口裂け女が映る。同時に姿見が写す虚構の現実は崩れ、黒く渦を巻いて口裂け女へ標的を定める。
『!!?』
バォンッ!!
口裂け女は豹変した彼女へ取り憑くのをやめ、全力で逃げようとする。しかし、それを彼女が許すわけがない。都市伝説において、車と同速で動くという口裂け女の速さをいとも容易く捉えた彼女は、姿見の目の前まで顔面から殴り飛ばす。
吹き飛ばされ、顔を押さえながら起き上がる口裂け女。目の前の姿見には、大きく口が裂け、殴られたことで崩れた自らの顔面が映っていた。
「彼の世と此の世を繋ぐ扉だ。憑かれりゃ最後、俺の許可無く出られない。定員一命、ご案内!」
【怪収】
『イ"ャァ"ァ"ァ"ァ"ア"ア"ア"!!!』
ギュルルルルッッッ!!!…シュポンッ
鏡に映る姿。途端に虚構の現実は崩れ、実物に向かって無数の黒い腕が伸びる。抵抗して悲鳴をあげる口裂け女の悲鳴もやがて木霊に代わり、文字通りに鏡の中へと吸い込まれた。
「【怪収】…完了!」
(取り敢えずこっちは終わった!あいつは!?)
フラッ
先程までの威圧感は煙のように薄くなり消え去る。白は糸を失った操り人形のように、足と腕からダラリと倒れそうになる。それを察知した鏡は、姿見をお構いなしに地面に放り、急いで近付き支えて身を案じる。
「おい!大丈夫か!?」
「……?…何がですか…?」
(…記憶が無いのか?)
「あ…口裂け女、無事にお祓い?できたんだ。良かった…そうだ、行かなきゃ。あれ…」
グラッ
白の角は無くなり、目も元の黒色に戻っている。自分が気絶している間に全て終わったと思い込んでいる白は目的の為に立ち上がろうとするが立てるわけもなく、倒れるのを再び鏡に支えられる。正常な思考が出来ない状態、強い倦怠感が彼女を包む。
「おっと…成り行きとはいえ仕事手伝ってくれた礼だ。家どこだ、送ってやるよ」
「いや、スーパーが…」
「…は??なんで?」
「…うるさい」
「だったらそうだな…雇ってやろうか?」
「…?」
「丁度助手が欲しかったんだよ俺。こんなことに関わっちまったし、ちょうどいいだろ?」
カクンッ
血を流し過ぎたか人外の力が身体を支配したためか、どちらにせよ彼女の身体には大きすぎた負担。急速に遠のく意識。白には鏡の言葉は聞こえておらず、彼女は鏡の腕の中で首から脱力し、死んだように眠り始めた。
「当然っちゃ当然か…さて…どうしたもんかな」
ボソリと、彼は日が沈み、紅から移りゆく藍色の空につぶやいた。
これは、この世に当てはめられぬ不合理達、語り怪の百怪談達を"怪収"する話。史実には決して語られぬ、でも確かに実在した
白の語り《九十九の語り》を。
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