第10話 愛されラレッタちゃん
「それじゃあラレッタちゃん、パンを買ってきてちょうだいね」
「まっかせてください! 愛されラレッタちゃん、お使いに行ってきます!」
ハジマリノ街、教会前。
今日もラレッタの元気な声が響きます。
「ごめんなさいねぇ。私ったらうっかりしていて、パンを切らしてしまったムシャムシャ」
「……ちなみに今食べてるのはなんですか?」
「パンを食べてムシャムシャ」
「切らしてるんじゃないんですか!?」
そんな応酬も、今や日常の風景に溶け込んでいます。
ヨクボー教、ハジマリノ支部。それがラレッタが育ってきた第二の家でした。
「それじゃ、いってきまーす!」
ラレッタは走り出します。
シスターに「いってらっしゃい」という言葉に手を振り返し、全速力で走っていきました。
「ややや! これはこれはラレッタ殿ではないですか! 朝から元気ですなぁ!」
「シッタさん!」
メガネ姿の男の人――シッタ・ガブリさんと途中で会います。
彼は色んなことを知っていて、すごい物知りなのです。たまに冗談みたいな話をしてきますが、物知りなシッタさんが知ったかぶりをしているなんてことはないでしょう。
「おつかい中です!」
「そうですかそうですか。そういえば、こんな話はご存知ですかな? おつかいという言葉は、昔は別の意味で使われており――」
「急いでいるので、その話はまた今度でお願いします! それでは、失礼しまーす!」
返事を待つ間もなく、ラレッタは走り出します。
パン屋さんを目指して、ぐんぐんぐんぐんとスピードを上げて。
「ここは近道を使ってみましょうか!」
ちょっと薄暗い、裏道にラレッタは足を踏み入れます。
この道を使えば、三秒早くパン屋さんに到着するから。
――たった三秒の違いでした。
「ようラレッタ、元気にしてんじゃねぇか、ああん?」
その声は三年前に聞いたものと同じでした。けれど、臭いだけはあの頃と違っています。
鼻が曲がりそうなほどの、死の匂い。
そんな臭いを纏った犬獣人が、空から降ってきました。
「と、トゴロスさん……」
「今はミカタゴ・トゴロスだ。覚えとけよ、ああん?」
「名前、変えたのですか」
犬獣人はなにかの節目で、名前を変えます。成人だったり、結婚だったり、あるいは――決別だったり。
生まれ変わる、という意味で名前を変えます。それは、人間の皆さんとは異なり、苗字ではなく名前で。
「ま、そんなこたぁどうでもいいんだがよ。ラレッタ、てめぇ、冒険者やってるんだってなぁ?」
「その通りです! 愛されラレッタちゃん、現在は冒険者として絶賛活躍中です! 今にもラレッタちゃんの活躍が耳に入ることでしょう!」
「期待はしてねぇが……まぁいい。てめぇ、冒険者ならちぃと手伝え」
「……冒険のお誘いですか?」
違う、ということは何となく気づいていました。
それでも、一縷の望みをかけてそう問いかけます。ですが、その問いが不愉快だったのでしょうか。トゴロスさんは口を歪ませました。
「そんな浮かれたことをオレが言うと思ってんのか、あ゛あん?」
「……それでは、何を」
「決まってんだろ、復讐だよ、あ゛あん?」
「ふく、しゅう…………それは、三年前に断りまし――かふっ!?」
ラレッタの細い首を傷だらけの手が掴む。
呼吸が止まる。苦しさから逃れようと、トゴロスの腕を掴むが抜け出せない。
「おいおい、まだそんな温ぃこと言ってんのか、あ゛あん?」
殺す気だと、直感的に察した。
トゴロスの目にはただただ敵意の光を宿している。
「てめぇは受けた仕打ちを忘れたか。奪われた命を忘れたか。てめぇは、仲間のことを忘れちまったのかよ、あ゛あん?」
「ちっ……がう。忘れてなんか、ない……っ」
「忘れてねぇなら、どうしてニンゲンと馴れ合える。オレたちが裏切られたのは、その成れ果てだってことがわからねぇのかよ、あ゛あん?」
「ラレッタちゃ、んは、みんなから……愛されている、から……っ」
「あ゛?」
真っ黒な手が緩む。
その隙にラレッタは抜け出して、地面に転がった、
「けほっ、こほこほ……っ!」
苦しそうに咳き込むラレッタの前髪を掴み、トゴロスは目を合わせる。
「まだ眠てぇこと言ってんのかよ。てめぇが愛されラレッタちゃん? そんなわけねぇだろうが、あ゛あん?」
「本当、です。お母さんもお父さんも、おじさんも……兵士さんだって……っ!」
「ニンゲンどもに愛されてたってならよぉ、なんで裏切られたんだ、あ゛あん?」
「それ、は」
「てめぇも、気づいていたんじゃねぇのか。ニンゲン共はオレらを愛してなんかいねぇってことをよ!」
トゴロスは無造作に、そして強引にラレッタの心の蓋を取り払う。
――愛されていたと考えれば、怨みを忘れられた。人間を信じることが出来た。愛してくれているのだから、自分も愛そうと思えた。
見ないフリをすることは楽だから。
人間を憎むのも、復讐をすることも大変だから。
だから、あたしは自分自身すらも裏切った。肝心なことから目を逸らして、あたしを騙して生きてきた。
シスターの優しい笑顔も。
シッタさんの親切心も。
街のみんなの、どんな言葉も。
あたしはずっと、信じていなかった。
――きっとあの日から、あたしが愛されているだなんて思っていなかったのだ。
「オレを手伝うか、ここで死ぬか。てめぇに選ばせてやる」
もういいや。
もう、疲れた。
知らないフリをするのも、知っているフリをするのも。
全部全部、終わりにしよう。
ずっと吐いていた嘘を、終わらせてしまおう。
「……わかりました」
ラレッタはトゴロスの手を取った。
傷だらけで、血の匂いが染み付いた、その手を。
自分の綺麗な手とは真反対の、三年間を苦しみ抜いた手を。
「愛されラレッタちゃんは、もうお終いです」
「…………」
あたしの最期は、あなたにあげるから。
あたしの代わりに、傷ついてくれたあなたにあげるから。
だからどうか――裏切られたなんて顔を、しないでください。
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