第3話 「運命の占いとすれ違い」
―めぐり逢いの奇跡―
春の訪れを感じさせる柔らかな陽射しが、神社の境内を包み込んでいた。
梅の花がほのかに香り、風に舞う花びらが石畳の上に淡い模様を描く。
新しい季節の始まりは、どこか世界がきらきらと輝いて見える。
だが、その美しさに気づくこともできないほど、心が曇っている人もいる。
その日、まだ朝の空気が冷たい中で、俺はまたひとつ、誰かの願いを受け取ることになる。
足早に境内へやってきたのは、十七歳の少女――名は美咲。
制服のまま、両手をきゅっと胸の前で組んでいる。
長い髪は後ろで一つに束ねられているが、少し乱れているところに彼女の迷いが現れていた。
美咲は、巫女として神社でバイトをしている。
だが今日は仕事ではなく、ただ“願いごと”のために、俺――ご神木の前へやって来た。
彼女は小さく息を吸い込み、そっと目を閉じた。
「どうか……運命の人と、出会えますように」
その声は、春の風に溶けていく。
俺はゆっくりと葉を揺らした。
恋の願い、人生の分岐点。
人間が“運命”と呼ぶものに、どれほどの重みがあるか、俺はずっと見守ってきた。
けれど、“運命の出会い”という願いには、いつも少しだけ苦笑してしまう。
(人はみんな、奇跡を待っている。でも、本当は、偶然を手繰り寄せる勇気が必要なのかもしれないな)
美咲は、最近“占い”にハマっていた。
雑誌の占い、ネットの恋愛診断、そしてこの神社に古くから伝わる「運命の枝占い」――
彼女は自分の未来がどうなっていくのか、知りたくてたまらなかった。
なぜなら、今の彼女は“日常の繰り返し”にどこか息苦しさを感じていたからだ。
友達との会話も、家族との時間も、まるで同じ景色の繰り返しのよう。
「きっと私も、どこかで運命的な誰かと出会えるはず」
そう信じたくなる気持ちは、痛いほど分かった。
俺はそっと、風を起こした。
美咲の前髪がふわりと揺れる。
運命を変えるには、ほんのわずかなきっかけで充分なのだ。
その日、神社にはもう一人の若者が参拝に来ていた。
彼の名は遥斗。
同じ高校の生徒だが、美咲とは面識がなかった。
彼は最近転校してきたばかりで、まだクラスにも馴染めずにいた。
遥斗は美咲とは対照的に、人との距離の取り方がうまく分からず、
寂しさを心の奥にしまい込んだまま、今日もこの神社へと足を運んでいた。
「誰か、僕を必要としてくれる人と出会えますように」
偶然にも、同じ朝、同じ神社で、同じように“誰か”との出会いを願ったふたり。
だが、二人は境内の石畳ですれ違い、互いの存在に気づくことなく、
それぞれの想いを胸に、家路についた。
(やれやれ、人の縁というのは不思議なものだ。すぐ隣り合っていても、なかなか繋がらない)
美咲はその後も、学校やアルバイト、日々の暮らしの中で“運命の相手”を探し続けた。
占いの結果を信じ、今日はラッキーカラーのブレスレットをつけてみたり、
友人から紹介された合コンにも、勇気を出して顔を出してみたり。
だが、思うように“運命の出会い”など訪れなかった。
一方、遥斗もまた、自分の居場所を見つけようと努力していた。
新しいクラスメイトたちに話しかける勇気が出ず、昼休みは屋上や図書室で静かに時間を過ごすことが多かった。
そんな彼を、美咲は廊下ですれ違いざまに一度だけ目にしたことがあった。
だが、お互いに“相手が運命の人”だとは、夢にも思わなかった。
それでも、二人の人生は、まるで見えない糸で引き寄せられるように、
ときおり、同じ時間、同じ場所に足を運ぶことが続いていた。
放課後の商店街、図書館の入り口、バス停。
ほんの一瞬、視線が交差しそうになりながら、すぐに逸れてしまう。
ある日、美咲はいつものように占いを信じて、
“今日のラッキーアイテムは赤いしおり”という言葉を思い出し、学校の図書館で赤いしおりを見つける。
そのとき、ちょうど隣の席で遥斗が本を閉じる音がした。
美咲はふとその音に顔を向けたが、遥斗は目を合わせることなく本を抱えて席を立った。
(惜しい……もう少しだったのに)
俺は葉を揺らして、ため息をつく。
(こうして“偶然”を積み重ねていけば、いつか“必然”になる日が来る。
けれど、運命の出会いは、最後の一歩を自分で踏み出さないと始まらない)
美咲は、ある夜、夢を見た。
神社のご神木の下で、見知らぬ誰かと笑い合っている夢。
目が覚めたとき、胸の奥がじんわりと温かくなっていた。
「きっと、どこかにいる。私だけの“運命の人”が……」
翌朝、美咲は心を決めて、もう一度神社へ向かった。
手には、赤いしおりを挟んだ本を持っている。
境内の空気は少しだけ冷たく、けれど朝日がやわらかく差し込んでいた。
同じ時刻、遥斗もまた、なぜか引き寄せられるように神社を訪れていた。
どちらも、互いの存在を知らぬまま、ご神木の前で足を止めた。
そのとき、春風がそよぎ、遥斗の持っていたノートがふいに地面に落ちる。
美咲はその音に気づき、慌ててノートを拾い上げた。
「あ……」
二人の手が、同じノートに触れる。
「ありがとう」
遥斗は、はにかむように微笑み、美咲もまた少し恥ずかしそうに微笑み返した。
何気ないやりとり。それでも、その瞬間、ふたりの心の奥で“なにか”がそっと芽吹いた。
それが運命か、偶然か――
答えは誰にも分からない。
けれど、ふたりが出会ったその日から、日常が少しずつ色づき始めていった。
俺は静かに葉を揺らしながら、ふたりの姿を見守っていた。
運命は、ただ待っているだけでは動かない。
“出会い”の奇跡は、すれ違いを重ねた先に、ふと訪れるものなのだ。
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