電脳祈祷匣庭少女

石山 京

第1話 あなた、人間?

 人間の才能ティア表。その頂点に君臨するのは間違いなく、努力の才能である。その才を持たざる者に、この競争社会で上に立つ権利はない。努力の才を持っていて初めて、挑戦権を与えられるのだ。


 そして俺、三上みかみ勇心ゆうしんはこの世にありふれたその才を持たざる者たちの代表例だ。生まれてからの二十二年間、なんとなく勉強し、なんとなく遊び、なんとなく進学し、そうこうしているうちに就活のタイミングを逃し、結果先行きに不安を抱えながら卒論に取り組んでいる、自分で言いたくはないが典型的な努力のできない人間だ。

 そしてその証拠は、目の前にいる俺の指導教員が今から語ってくれるだろう。


 つた栄一郎えいいちろう。人工知能の分野において世界的な権威であるらしいこの教授は、なぜ俺の大学にいるのかが分からないくらいには優秀な、側の人間である。


「……それで、決まったかね? 何度でも言うが、そろそろ決めなければ後々辛くなるのは自分だぞ?」


 ただし、持つ側の人間であったとしても、当然全てを持っているわけではない。ことこの教授に関して言えば、愛想がない。それも絶望的に。

 この人が笑うとあたり一帯に雷が降り注ぐ、それが二十年間この研究室の先輩たちにより語り継がれてきた伝説である。


 ……降らせるならいっそのこと槍にしてくれれば笑えたのに、とは思わなくもない。


「聞いているかね?」


 閑話休題。教授は呆れるでも不機嫌になるわけでもなく、ただ無表情で俺を見つめている。

 実際、そろそろテーマは決めないとまずい。卒業論文が期限までに間に合わなくなる、というほどではないが未来の自分にツケを払わさせる領域に足を踏み入れかけている。


「補助程度であれば考えなくもないが、基本的には自分で決めてもらう。それがこの研究室の方針だ」

「……はい」

「せめてどの分野にしたいかくらいは決める、乃至ないし案を出してもらわなければ、私は何も出来ない」


 無の仮面の奥にはどんな感情があるのだろうか。それを確かめることもできずに俺はただ俯いた。

 そんなこと言われても、無いものは無いのだから仕方ない。口に出したわけでは無いのだが、俺の心の中を読んだかのように教授は一つ息を吐いた。


「明日、ちょうど私も時間がある。今日一日もう一度、考えてみると良い」




 夜になった。何も進むわけはなく、結果この数時間はただ時間が過ぎるのを待っただけ。せめてもの気分転換のため、俺は座り続けていた椅子から立ち上がって研究室から廊下に出た。


 人の気配がない真っ暗な廊下に一歩足を踏み出すと、俺を迎え入れるように自動で明かりが灯る。

  蔦教授のおかげでこの建物にはかなりのお金がかけられているのだ。俺自身の目で見たことはないものの、この建物の地下にはスーパーコンピュータまであるらしい。


 散歩でもすれば少しは気がまぎれるのだろうか、そう思いながら階段を降りていくとそれに合わせて妙な音が大きくなってきた。俺が今感じている胸騒ぎのような、落ち着かない音。

 音の正体はすぐに判明する。出入り口まで着いて自動ドアを開けた俺の目の前は、バケツをひっくり返したようという言葉がこれほど合う天気もない土砂降りだった。


「えぇ……」


 俺の呟きは、ざあざあという雨音にかき消される。


 ゲリラ豪雨とかいうやつだろうか。そうであってもそうでなくても、今外を散歩するのは自殺行為だろう。いくら俺の心の中が目の前の光景くらいの雨模様でびしょ濡れでも、体まで濡れる必要はない。


 少し息を吸い、ため息をこうとした俺の視線の先に一筋の稲妻が走った。

 その数秒後、固まった俺をゴロゴロゴロゴロと地球の怒りの如き音が通過していく。ガラスが震え、地震かと思うほどの揺れに襲われる。


「……はぁ」


 止めた息を吐き出した俺は身をひるがえし、今来た道を戻り出した。

 何もかも上手くいかせてくれない神に恨みつらみの数々を理不尽に押し付ける。せめてもの抵抗として行ったことのない地下にでも行ってみようか、多少の気分転換くらいにはなるかもしれない。


 ……後から思い返せば、この大雨はむしろ神に感謝しなければならなかったのだが、この時の俺はそんなこと知る由もなかった。


 微かな期待を抱いて階段を降りたものの、俺を迎え入れたのは当然、変わり映えのない光景だった。無機質な白い壁に扉が並び立つだけの面白みのない廊下。もっとも、研究用の建物には面白味なんてものはいらないのかもしれない。


 それでもなんとなく先に進んでいくと、程なくして行き止まりに到着した。大した成果もなくここまで来てしまったことを誤魔化すように、俺は何もない周囲を見回した。

 見慣れた扉にそのロックを解除するためのカードリーダー、そして部屋の名前を示すプレート。そこにはスーパーコンピュータ室と書かれている。


 ほんの出来心だった。

 どうせ通れるわけがない、そんな言い訳まであった。


「————えっ?」


 ピッという解錠音で、俺の予想は裏切られた。


 機械に異常があったのだろう。それ以外は考えられない。

 開いてしまったロックの前で、俺は呆然と立ち尽くしていた。


 開いてしまったのなら入らなければ礼儀を失する、意味の分からない理屈が俺の頭をよぎる。


 気がつけば、俺はスパコン室の中に足を踏みいれてしまっていた。


 窓もない真っ暗闇の中、ただ機械音と空調音だけが響いている。電気をつける気にもなれず、なんとなく先へ進んでいく。

 スパコンは本来厳格に管理されなければならないもの。許されないことをしているという罪悪感と謎の高揚感。子供の頃に戻ったような感覚。息が荒くなっていることが自分でも感じられた。


 少し中に入ると僅かに光が見えてくる。プロセッサの電源ランプだろう。

 しかしそのさらに奥、ちょうどスパコンに隠れて俺からは見れない場所。そこに何か別の、淡い光のようなものも見えた気がした。


 人工的な薄明かりに照らされている部屋をさらに進んでいく。

 ぼんやりとした光がだんだんと強くなってきた。


 果たして、スパコンのさらに奥。謎の空間に三方を黒い壁に囲まれ、残りの一面をガラスで塞がれたはこの中。

 そこでは——少女が、ただ静かに祈りを捧げていた。


 膝をつき、両手を胸の前で組んでいる艶やかな黒髪の女の子。赤と白、薄桃色を基調とした装束に身を包み天に向かって神に願うその姿は、さながら敬虔な巫女のようだった。


 ————綺麗だ。


 俺が人生で出会った中で最も美しい女性で、最も幻想的な光景だった。


 自ら儚い光を放つように輝く少女。目をつむり微動だにしないその姿はまるで神の化身のようで、俺の目を釘付けにする。祈祷、ただそれだけの動作で彼女はこの場を飲み込んでいた。


 ゆっくりと、彼女の目が開かれる。


 長い睫毛の奥の、この世のどんな宝石でも見劣りする瞳がこの世界にお披露目された。千カラットはありそうな大きな瞳。その瞳から、一筋、二筋と欠片がこぼれ落ちていく。


 その瞳が、俺の方へ向けられた。


 時の流れが引き延ばされたような感覚。潤む瞳に見つめられた俺はバジリスクに見つめられているかの如く硬直していた。問題は、彼女がバジリスクと称するにはあまりにも清廉過ぎることと、彼女がそれを解くための術を持っていることだった。


「——だれ?」


 水が流れるように清純な声。その言葉には、違和感があった。


 ——違う。その言葉の聞こえ方には、違和感があった。彼女から聞こえた気がしなかった。まるで、テレビから出る音を聞いたような感覚だった。


「————あなたは、人間?」


 その言葉はまるで、自分は人間ではないと、そう言っているようだった。

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