第4話 白き城の眠り姫

 エイアンは、どうやって城の外へ出たのかすら思い出せなかった。

 ただ気がつけば、冷たい空気が肌を刺し、しんしんと雪が降っていた。

 あまりにも現実感のない出来事に、足元がふらつく。

 「……コレイ」

 エイアンの声は震えていた。

 「なんで棺みたいな中にいるんだよ……」

 やっと辿り着いた。やっと、会えたのに——。エイアンは、思考も感情も降りしきる雪に溶けてしまうようだった。

「パチン、パチン」

 どこからか、金属音が鳴り響き、茫然自失のエイアンを我に返した。ふと音のする方を見ると、城の庭の片隅で、老庭師がひとり静かに、薔薇を剪定をしていた。雪の降りしきる中、枯れることのない薔薇の枝を整えている。

 エイアンは、まるでその光景に引き寄せられるように、ゆっくりと近づいた。

 老庭師は、剪定ばさみを動かしたまま、虚ろな顔のエイアンを横目で見ると、ゆっくりと口を開いた。

「姫様は、身体だけ朽ちることなく、今も昔と変わらぬあのままのお姿を保ち続けておられる……」

 その声には、長年の歳月を経てもなお癒えぬ、音もなく降る雪のような哀しみが滲んでいた。

「昔は、それはそれは華やかな国だった。姫様がいらした頃は、毎日が祭日のようだったさ」

 エイアンは、無言のまま耳を傾けた。

「じゃが、姫様はある日、『散歩に行く』とだけ告げて、城を出られたのだ。それが、最後になった」

 老庭師の手が、ふと止まる。

「門の閉まる時刻を知らせる鐘が鳴り終えても、姫様は戻られなかった。王と騎士たちは必至に探し回ったが、どこにもおられんかった。いよいよ夜も更け、最期の望みをかけて森へ捜索隊を送った」

 彼の声が、少し低くなる。

「そして、明け方になってようやく見つかったのだ。泉のほとり、水仙の花の横で倒れている姫様が」

 エイアンの背筋に、ひやりとしたものが走った。

「泉ですか?」

「そう。この城の裏手にある、森の奥深くにある泉だ。姫様は、そこで横たわっていた。まるで眠るように……」

 老庭師は剪定ばさみを静かに閉じると、ゆっくりと雪の上に座った。

「身体は温かいのに、息をしているのかすら疑わしいほどだった。まさしく、今のように、な」

 エイアンは思わず息をのむ。

「……じゃあ、彼女は今、生きているのですか?」

 問いかける声が震えていた。

「……誰にもわからんのだよ」

 老庭師は雪を踏みしめ、エイアンの方へと向き直った。

「国中の医者を呼び、あらゆる術者を頼った。しかし誰一人として、この眠りの正体を解き明かすことはできなんだ。心臓は止まっておるのに、呼吸は続いていると申す者もおる。……あれから幾年月が過ぎたかも、もうわからん」

 エイアンは拳を握りしめた。

 そんなはずがない。コレイがこのまま、永遠に目を覚まさないなんて。

「……あなたは、一体いつからここに?」

 老庭師は静かに微笑んだ。

「この城が続く限り、わしはここにおる。庭を整え、城の声を聞く。それが、わしの役目じゃからな」

 エイアンは、その言葉にしばらく沈黙した後、ぽつりと言った。

「城の中を見せていただいてもいいですか?」

 老庭師はうなずく。

「城がそう望むのならば、君はそうすべきだ。ゆっくりと、隅々まで見ていくがいい。訪れる者など、もう久しくおらなんだ。城も喜ぼうて」

 再び剪定ばさみを手に取り、薔薇へと視線を戻した。

「わしは、いつでもここにおる。何か聞きたければ、また訪ねてくるがいい」

 エイアンは老庭師に深く頭を下げ、再び城へと戻った。クリスタルの棺がある大広間へと。

 

 目の前に横たわるコレイの顔は、驚くほど安らかだった。あまりにも静かで、まるで時間が彼女だけを置き去りにして過ぎてしまったかのように。

「……どうして、コレイがこんな目に……」

 問いかけても、答えはない。

 彼女の頬はふっくらとし、唇にはまだ温もりが残っていそうなほどだった。まるで、今にも金色の美しい目を開き、微笑んでくれそうに。

 それなのに、彼女は眠ったままだった。

 エイアンは、棺の前でそっと膝をつき、うずくまる。

 

 どれほどの時間が過ぎたのだろう。

 ふと、肩に温もりを感じた。毛布がかけられている。

「……老庭師がかけてくれたのかな」

 振り返っても、周りには誰もいなかった。エイアンは、もう一度棺を見つめる。

「これは……?」

 コレイの身体の横に、ラベンダーの髪に隠れて一冊の本が置かれていることに気づいた。

 そっと棺の蓋を開け、本を手に取る。表紙に記された文字を読むと、それは歌の本だった。

 なぜこんなものが。

 エイアンは本を抱きしめると、立ち上がる。向かうべき場所は、もう決まっていた。

「……泉」

 彼は庭へ向かい、老庭師に泉の方角を尋ねた。

 老庭師は微笑みながら、森の奥を指さす。

「泉は……森の最も深い場所にある」

 エイアンは静かにうなずくと、森へと足を踏み入れた。

 長い年月、誰も立ち入ることのなかった場所。木々は静かに佇み、風が囁くように葉を揺らしている。エイアンは、そっと木に触れた。

 この森は、何を知っているのだろうか。何を見てきたのだろうか。深く息を吸い、彼は前へ進む。すべての答えが、この先にあることを信じて。

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